第27話 浄化礼祭の終わり
(成功した)
壇上の中央。
お姉様の光が会場を満たしている。
派手な金色じゃない。安心する白の光。
胸の奥に触れて、痛いところを撫でて、泣きたいところを塞いでくれる光。
そして――。
神殿長カルディスの顔が、苦虫を噛んだみたいに歪んでいる。
(ああ、いい顔)
私は内心で笑って、でも表情は崩さない。
今ここで笑ったら、勝った側の余裕じゃなくて、魔女の悪意だと解釈される。
私はお姉様のすぐ横で、闇をまとったまま立っていた。
足元の影は、さっきほど暴れていない。
私が『見せるために』揺らしていた部分を、すでに収めているからだ。
――そう。
あの闇は、目くらまし。
私が本当にしたかったのは、神官を跳ね除けることでも、恐怖をばらまくことでもない。
中央の絨毯の下に隠された、魔法陣を壊すこと。
お姉様の魔力を奪って、ミネルヴァに流し込む――趣味の悪い魔力奪取の魔法陣。
隠蔽には闇魔法が使われていた。
闇で隠すなら、闇で暴ける。
それが私の得意分野だ。
ヴァルト様が、壇の端で私を見ていた。
(やったな)
そんな目。
私は、ほんの少しだけ顎を引いた。
(ええ。壊しました)
声にしなくても伝わる。
私たちは師弟で、共犯で――たぶん、似た者同士だ。
ヴァルト様は「遠隔で壊すのは難しい」と言っていた。
破壊されないように、陣を守る工夫がされている。
おそらく、術式の一部が床材に染み込ませてあるタイプで、外から削るだけじゃ芯に届かない。
だから、中心に入って、闇をねじ込む必要があった。
――だから私が前に出た。
魔女と罵られる覚悟を、最初から決めて。
闇魔法を放ったのは、神官を退かせるためでもある。
でも本当は、皆の視線を闇に吸い寄せるため。
禍々しい、怖い、禁忌だ――そう騒いでいる間に、私は絨毯の下へ闇を滑り込ませた。
闇は、呑み込む。
闇は、隠す。
闇は――暴く。
隠蔽の膜を剥がし、線を露出させ、そして線を腐らせた。
目に見えないところで、陣の要を切った。
結果がこれだ。
お姉様の奪われていた光が、戻った。
「……すごい……」
「これが、聖女エリシア様の……!」
「さっきとは、まるで……」
会場のあちこちで声が上がる。
誰かが感極まったように胸を押さえ、誰かが涙を拭っている。
貴族たちの顔色も変わった。
さっきまでミネルヴァに酔っていた目が、今は現実に戻されている。
「さすが……」
「やはり本物だ」
「……では、さっきはなぜ?」
その言葉が出た瞬間、私は内心で頷いた。
(そう。そこよ)
私は一歩前へ出た。
「皆さま」
私の声に、また視線が集まる。
嫌悪も、恐怖も、好奇も混じった視線。
でも、さっきより少しだけ温度が違う。
光を取り戻したお姉様を見た後だと、魔女の言葉も無視しにくい。
「今、こうして聖女エリシアは力を示しました」
私は淡々と言った。
「では――聖女ミネルヴァも、もう一度。お願いしますね」
そう言い切る。
会場がざわめいた。
ミネルヴァが、わずかに肩を震わせたのが見えた。
さっきまで神々しく光っていた少女が、今は壇上の空気に押されている。
「え……」
ミネルヴァの唇がかすかに開く。
「……いえ、私は……」
逃げ道を作ろうとする。
(逃がすわけないでしょう)
私が内心で笑った、その瞬間だった。
「ミネルヴァ様!」
さっきまで怒鳴っていた神官が、今度は熱狂の声で叫んだ。
「お願いいたします! ぜひあの魔女を滅するような光を!」
「そうだ! 新聖女様の神力を示してくだされ!」
「さきほどの神々しさを、もう一度!」
(……馬鹿ね)
ミネルヴァを信じているつもりで、首を絞めている。
彼女は今、奪取陣なしでは派手に光れない。
つまり――この場でやれば、ばれる。
ミネルヴァの目が泳ぐ。
口元の笑みが、今度は引きつっている。
そこで……カルディスが、ようやく声を上げた。
「そこまで」
静かな声なのに、よく通る。
さっきまで私を睨んでいたはずなのに、今は何事もなかったような笑みを浮かべている。
腹の底で煮えたぎっているくせに、表面だけは神殿長を保つ。
さすが、長年権威の頂点にいる男だ。
「聖女ミネルヴァ様は、お疲れです」
カルディスは慈悲深く言った。
「浄化礼祭の儀式、そして先ほどの祈祷。連続で神力を振るうのは、身体に負担が大きい」
神官たちが、はっとして口を噤む。
貴族たちも「なるほど」と頷き始める。
(逃げる気ね)
ここで仕留めたかった。
ここで光れないを晒せれば、一気に終わった。
でもカルディスは、逃げ道を作るのが上手い。
私は舌打ちしそうになるのを堪えた。
(どうしよう……)
そんな焦りが生まれかけた瞬間――。
「――いや」
低い声が、横から会場に響いた。
ヴァルト様が、前に出てきた。
エインズワース侯爵家の次期当主。
その肩書きは、今この場で想像以上に重い。
貴族も神官も、反射でそちらを見る。
ヴァルト様は、壇へ向けて淡々と言った。
「今やるべきだ」
それだけで空気が変わる。
「今さっき、聖女エリシアの癒しの力が妨害されていたことが、はっきりした」
ざわめきが走った。
妨害、という言葉が、会場に刺さる。
「そしてそれは、こちらは聖女ミネルヴァ側の細工だと主張している」
ヴァルト様は視線をミネルヴァへ向ける。
「なら今、はっきりさせるべきだろう。比較するだけでいい」
貴族の一人が、思わず声を漏らした。
「……確かに」
「今、確認すべきだ」
「神殿長はなぜ拒むんだ?」
寄進者たちの空気が動く。
神殿にとって最も怖いのは、信仰じゃない。
金だ。噂だ。利害だ。
それを握っているのは、貴族。
カルディスの笑みが、わずかに硬くなるのが見えた。
そして――。
「黙りなさい!」
怒声。
会場が凍りついた。
カルディスが声を荒げる姿なんて、誰も見たことがない。
いつも柔らかく、慈悲深く、神の代弁者のように振る舞う男が。
今、剥き出しの苛立ちを露わにした。
「神聖なる儀式を邪魔したのは、そちらだ!」
カルディスの目が吊り上がる。
「魔女が聖域を汚し、騒乱を起こし、そして今――神殿を侮辱している!」
神官たちが呆然とし、貴族たちが息を呑む。
空気が一段、冷えた。
(……出たわね)
私は内心で思った。
これがカルディスの本性。
優しい神殿長という仮面の下の、権威に縋る男の顔。
カルディスは、はっとしたように口を閉じた。
自分の失態に気づいたのだろう。
そして次の瞬間、また笑みを作った。
引きつった、慈悲の笑み。
「……失礼」
カルディスは、胸に手を当てて言った。
「心を乱してしまいました。神の場であるにも関わらず」
その言い訳が、逆に滑稽だった。
カルディスは、ミネルヴァの肩に手を置いた。
「私はこれで失礼します。行きますよ、ミネルヴァ」
「……はい、神殿長様」
疑心の芽が、確実に植え付けられていく。
カルディスとミネルヴァが壇を降り、人の波を割って去っていく。
神官たちは追おうとして躊躇い、貴族たちは誰も止めない。
私は、拳を握りしめた。
(……ここで全部は暴けなかった)
でも、今日の目的は一つ。
ミネルヴァを聖女として認められない、という空気を作ること。
今のやり取りで、それはできた。
カルディスが怒鳴った。
ミネルヴァが光れない理由を作って逃げた。
疑心は、噂になる。
(十分。今日はこれでいい)
そう思った瞬間、足元から緊張が抜けた。
会場はまだざわついている。
誰もが口を開けたまま、何を信じればいいのか探っている顔。
しばらくして、神官の一人が慌てて指示を飛ばした。
「……え、ええと! 皆さま、場を乱してしまい申し訳ありません! パーティーを続けましょう!」
気まずさを誤魔化すように、楽団が合図を受ける。
やがて、ダンスの音楽が流れ始めた。
最初は誰も動かない。
踊る気分じゃない、という顔。
でも貴族は、空気を読んで空気を作る生き物だ。
少しずつ、輪が生まれる。
そのとき。
「レイナ嬢」
ヴァルト様が、私の前に立った。
いつもなら面倒くさそうな顔をしているのに、今は妙に――整っている。
いや、整っているのは外見じゃなくて、目だ。
戦い終わった後の、落ち着いた目。
「あなたは今日の主役」
ヴァルト様が言う。
「俺も主役にしてくれませんか?」
……何、それ。
私は思わず眉を上げた。
周囲の貴族がちらちらとこちらを見る。
さっきまで魔女だの禁忌だのと言っていたくせに、侯爵家次期当主が手を差し出した瞬間、興味の目に変わる。
(この人、こういうところで平気で振る舞うわね)
思わず笑ってしまいそうになる。
でも表には出さない。
「気障ですわね」
私は口元だけで笑う。
ヴァルト様も笑みを崩さず、手を差し出したまま動かない。
「ほら」
私はその手を取った。
楽団の音が、会場の中心を満たす。
私たちは輪の中へ入った。
ヴァルト様の手が、私の背に添えられる。
距離が近い。
さっき腰を抱かれたときの感覚が、嫌に蘇る。
(落ち着け。演技。演技……)
そう言い聞かせるのに、少しだけ時間がかかった。
「……ありがとうございます、ヴァルト様」
私は小さく言った。
「お陰で、あいつらに少しは吠え面をかかせられました」
「ならよかった」
ヴァルト様は淡々と返す。
でも、口元がほんの少しだけ緩んでいる。
「だが――まだ足らないだろう?」
私は目を細めた。
踊りながら、胸の奥で誓う。
「はい。お姉様を守るには、まだまだ足りません」
ヴァルト様の目が、少しだけ細くなる。
その視線が、妙に優しい。
私は、躊躇った。
この人に頼るのは簡単だ。
でも、頼りすぎたら壊れる気がする。
立場も地位も、違いすぎる。
師匠は師匠で、私は弟子。
それを越えるのは――怖い。
それでも、言葉が出た。
「……師匠も」
私は少しだけ声を落とす。
「お姉様を守るために、協力してくれますか?」
ヴァルト様は、間を置かずに答えた。
「俺は――弟子のお前が守れればそれでいい」
胸が、きゅっとなる。
そして、次の言葉。
「ついでに――お前の姉もな」
……ずるい。
そんな言い方をされたら、心臓が持たない。
私は笑みを作った。
ちゃんと、いつもの自分の顔。
でも、頬が熱いのは隠せていないかもしれない。
「ありがとうございます、ヴァルト様」
私は小さく言った。
「……おう」
ヴァルト様は、少しだけ視線を逸らして答えた。
照れたみたいに。
音楽が続く。
会場の空気は、さっきまでの凍りつきが嘘みたいに、少しずつ動き始めている。
(カルディス。ミネルヴァ)
私は心の中で呼ぶ。
(今日は逃がした。でも、もう終わりよ)
お姉様の名を不当に傷つけた代償を、必ず払わせる。
私はヴァルト様の手の中で指先を握り直して、静かに笑った。
――いろいろとあったけれど。
少なくとも、今日は十分に――楽しい浄化礼祭だった。




