第22話 次なる策略と、次期侯爵
数日後。
王都に戻ってからというもの、妙なほど静かだった。
神殿長カルディスの策が、毎日降ってくるわけがない。
あいつだって、盤面を整える時間が必要なのだろう。
そう思う一方で、私の周囲が何も変わらないわけじゃなかった。
変わったのは――家だ。
久しぶりの本邸での夕食の席。
「レイナ」
父が、ナイフを置いた。
食事に手をつける手も止まり、眼がこちらへ向く。
母も、同じように口元を引き結んだまま私を見る。
……ああ、来た。
「お前、闇魔法を扱っているそうだな」
父の声は低く、淡々としているのに、その奥に苛立ちが滲んでいる。
「神殿から報告があった。辺境で――魔女だと騒ぎになったと」
「そうよ、レイナ!」
母が、堪えきれないように言葉を継いだ。
指先が震えている。怒りか、恐怖か、両方か。
「どうしてそんなものを学んでいるの!? 今すぐやめなさい!」
「やめません」
それだけ言った。
母の顔が、歪む。
「……っ、どうしてそんな――」
「必要だからです」
「必要?」
父の眉が寄る。
「闇魔法など必要ない。お前は――聖女の妹だ。余計なことをせず、静かにしていればいい」
(静かにしていれば、ね)
その言葉が、喉の奥をざらりと撫でた。
静かにしていたら、お姉様は奪われる。
静かにしていたら、私はまた同じ結末を見届ける。
――回帰前の記憶が、黒い波のように胸の奥でうねる。
私はそれを、表には出さない。
ただ、いつものように冷たく笑ってみせる。
「静かにしていたら、守れないものがあります」
「……守る? 何をだ」
父が苛立ちを隠さずに言う。
「神殿に目をつけられたらどうする。お前一人が問題になるだけじゃない。家にも、エリシアにも――」
「だから、やめません」
私は、父の言葉を遮った。
母が椅子をきしませるほど身を乗り出す。
「レイナ! わたしたちはあなたのためを思って――!」
「母上は、本当に私のためを思って言っていますか?」
言ってしまってから、空気が固まるのがわかった。
父の目が細くなる。
母が息を呑む。
「何を、言って……」
理解を求めるのを諦めたのは、今日が初めてじゃない。
幼い頃、私が熱を出しても、母は「聖女の訓練があるから」とお姉様だけに付き添った。
父はいつも「家の役に立つか」でしか子どもを見ていなかった。
お姉様は光。
私は――その影。
だから今さら、「わかってほしい」とは思わない。
私はナプキンを畳み、椅子を引いた。
「食事、ごちそうさまでした」
「待て、レイナ!」
父が声を荒げる。
「話は終わっていないぞ」
「終わってます」
私は振り向かずに言った。
「理解を求めるのは、もう諦めましたから」
そのまま部屋を出た。
背中に投げつけられる母の声も、父の怒りも、今はどうでもよかった。
だが――どうでもよくないのは、神殿の方だ。
カルディスが仕掛けるなら、舞台はもっと派手なところ――そういう男だ。
そして、噂はすぐに耳に入った。
大神殿で、大きな催しが開かれるという。
――「浄化礼祭」。
穢れを祓う、という名目。
王族や貴族を招き、大神殿の大聖堂で執り行われる。
形式は儀式。実態は社交会に近い。
寄進と噂と権威が飛び交う場だ。
(……最悪の舞台ね)
カルディスとミネルヴァが、好きなだけ空気を作れる場所。
お姉様はもちろん招待される。
聖女なのだから。
でも私は――招待されないだろう。
聖女の妹であっても、魔女。
どれだけ功績があっても、彼らは「穢れ」と言えば排除できる。
(……行けないのは、仕方ない)
そう思っても、胸の奥が落ち着かない。
あの場で何が起きるか、想像できないからだ。
お姉様が何かに巻き込まれる可能性がある。
それを、私は見過ごせない。
――次の日、いつものようにヴァルト様の屋敷へ行った。
「ヴァルト様」
「ん?」
「浄化礼祭に出たいんですけど、どうすればいいですか?」
自分でも、いきなりだと思う。
でも回りくどい言い方をする気はなかった。
ヴァルト様は、一瞬きょとんとした顔をしてから、眉を寄せた。
「……いきなりだな」
「ですよね」
私も素直に頷く。
「でも、大聖堂でやる催しですし。カルディスもミネルヴァも出てくるでしょうし」
一拍置いて、付け足した。
「……正直、嫌な予感しかしません」
ヴァルト様は腕を組み、少しだけ視線を逸らす。
考えるときの仕草。
「招待、されてねえんだろ」
「されていません」
即答。
「魔女ですから」
「だろうな」
「ですが、お姉様は行くんです。あそこは、仕掛けようと思えば何でもできる場所です」
しばらく沈黙。
ヴァルト様は、天井を見上げてから、ふうっと短く息を吐いた。
「……そろそろ、やるかぁ」
「え?」
思わず聞き返す。
「何を、ですか?」
ヴァルト様は、私を見て、ほんの少しだけ口角を上げた。
「今はいい」
軽く手を振る。
「少し待ってろ」
「ちょ、待ってろって――」
「いいから」
被せ気味に言われて、言葉を止められる。
私は口を尖らせた。
「……わかりました」
納得はしていない。
でも、この人はこういうとき、これ以上は何も言わない。
「明日も来い」
「いつも通りですよ」
「……まあな」
それだけ言って、ヴァルト様は話を切り上げた。
よくわからない。
けれど「待ってろ」と言われた以上、待つしかない。
私はその日は、それ以上何も聞かずに屋敷を後にした。
――翌日。
私は、いつも通りヴァルト様の屋敷へ向かった。
そのままいつもの研究室へ向かう……はずだった。
「レイナ様」
玄関で迎えた執事が、いつもより丁寧に深く頭を下げた。
「本日は応接室へご案内いたします」
「……応接室?」
思わず眉を上げる。
「いつも通り研究室で――」
「本日は、そちらではなく」
使用人たちの動きも、妙に揃っている。
視線が過剰に丁寧で、距離の取り方も綺麗すぎる。
(……なに、この空気)
嫌な予感というより、違和感。
私は案内されるまま応接室へ入った。
ふかふかのソファ、湯気の立つ紅茶……場違い感がすごい。
そういえばここ、侯爵家の屋敷だったわね。
いつも研究室に行っていたから忘れていた。
ソファに座りながら、落ち着かない視線で室内を見回していると、扉が開いた。
「よう」
ヴァルト様が入ってくる。
いつも通りの無愛想な顔。
ただ――服がいつもより整っている。
髪も、いつもよりちゃんとしている。
「師匠」
私は先に言った。
「何ですか、この待遇。私、何かやらかしました?」
「やらかしてねえよ」
ヴァルト様がソファの向かいに腰を下ろし、足を組む。
「……そりゃ、次期当主様の客人だからな。対応も変わるだろ」
「は?」
私は本気で聞き返した。
「次期当主?」
「ああ」
ヴァルト様が、さらっと言う。
「昨日、お前が帰った後に正式に通した」
紅茶の香りが、急に遠くなった気がした。
「……そんな簡単になれるものなんですか」
「簡単も何も、俺が嫌だって言ってただけだ」
ヴァルト様が面倒くさそうに頬を掻く。
「元から、いつでもなれた」
「……なってなかったのは、ただの気分?」
「気分というか、面倒だからだ」
あっけらかんとした口調。
「当主の仕事は多いだろう。魔法の研究をしたいのに邪魔すぎる」
「じゃあ……なんで今」
ヴァルト様が一瞬だけ目を逸らした。
少し照れ臭そうに。
「……そろそろやるか、って思っただけだ」
ぼそりと呟いて、彼はカップを取った。
昨日、私が「浄化礼祭が気になる」と言った。
師匠、どうすればいいと思いますか、と聞いた。
そのときヴァルト様は「少し待ってろ」と言った。
(……まさか)
「浄化礼祭?」
私は確かめるように言った。
「次期当主になれば……招待されるんですか?」
「まあ、そうだな」
ヴァルト様が短く頷く。
「招待される。で、パートナーを一人連れていける」
心臓が、どくん、と鳴る。
「……私を?」
口から出た声が、思ったより小さかった。
「他に誰がいる」
ヴァルト様が、当然みたいに言う。
「お前、招待されねえんだろ。なら、俺が連れていくしかねえだろ」
息が、詰まった。
(なんで……)
この人が。面倒だと嫌がっていた立場を。
私のために――?
「なんでそこまで……」
思わず言うと、ヴァルト様は眉をひそめた。
苛立っている、というより、照れを隠すための顔。
「勘違いすんな」
ぶっきらぼうに言う。
「次期当主になるのは、どうせいつかやる。逃げてても先延ばしにしても、結局やる」
「……」
「だったら、タイミングがいい時にやった方が効率がいいだろ」
効率が、いい。
確かにこの人らしい言い分だ。筋は通っている。
でも、私は知っている。
この人は案外面倒見がよく、優しいということに。
私は、ふっと笑ってしまった。
「なに笑ってんだ」
ヴァルト様が不機嫌そうに言う。
「……師匠って、変ですね」
「今さらだろ」
「でも」
私は、カップに触れて温度を確かめるふりをして、視線を落とした。
胸の奥が熱いのがばれるから。
「……嬉しいです」
言葉にした瞬間、顔が熱くなる。
それを誤魔化すように続ける。
「ありがとうございます、ヴァルト様」
私は笑みを浮かべて言った。
なるべく軽く。いつも通りに。
ヴァルト様が、咳払いをした。
視線を逸らし、わざとらしくカップを飲む。
「……おう」
それだけ。
たった一言なのに、妙に優しい。
(まさか、この人が。私のために、こんな――)
嬉しい、ほんとに。
「とりあえず、だ」
ヴァルト様はこの空気を誤魔化すように、少し大きな声で話す。
「これで浄化礼祭に行けるようになったな」
「はい、そうですね」
「お前が心配してるのは、エリシア様のことだろ」
「……はい、そうです」
「なら、守れ」
ヴァルト様はそれだけ言った。
「俺もいる。お前もいる。向こうが盤面を作るなら、こっちはぶち壊すだけだ」
乱暴なのに、頼もしい。
私は小さく息を吐いた。
「はい、もちろんです。よろしくお願いしますね、師匠」
「……ああ」
ヴァルト様のお陰で、浄化礼祭に行けるようになった。
だからこそ、油断なく行かないと。
大神殿は、カルディスの掌の上。
浄化礼祭、その企みを全て暴き出してやる。




