第19話 魔女からの反撃
「――魔女がいるからです!!」
眼鏡の神官は、わざとらしく指を突きつけた姿勢のまま、ぐるりと周囲を見回した。
兵士たちの強張った顔も、神官たちの怯えと嫌悪の入り混じった目も――全部、彼の期待通りだ。
(そうだ、その顔だ)
胸の奥が、ぞくりと高鳴る。
「闇魔法などという忌まわしき術を振るう魔女が、この場にいたからこそ、魔物たちは闇に惹かれ、ここへ押し寄せてきたのです!」
「お、押し寄せてきた……」
「あれだけの数が、治療テントを狙ったのも……」
「魔女のせいで……」
周りの兵士達や神官がざわめきだす。
(お前たちは今、「魔女のせいで魔物が来た」と自分の口で言い出した。そうなれば、あとは簡単だ)
周囲の神官たちが、すぐさま声を揃え始める。
「聖女様の御側に、魔女がいるなどあってはならない!」
「このままでは辺境が闇に覆われてしまう!」
兵士たちの反応は、さすがに神官ほど一色ではない。
何人かは黙り込み、何人かは戸惑い、不安げに眉をひそめている。
「……でも、さっき助けられたのも事実だろ」
「だが、闇魔法ってのは……」
「魔物が興奮してたのも本当だしな……」
それでも、揺れている心に「魔女」という言葉を繰り返し叩き込めば――人はすぐに傾く。
それを眼鏡神官は、嫌というほど知っていた。
(これで、魔女狩りへの土台はできた)
心の中で、薄く笑う。
(あとは、あの小娘をゆっくりと火炙りにするための薪を積み上げるだけ――)
そう思った瞬間。
「じゃあ、確認してみましょうか」
静かな声が、ざわめきを切り裂いた。
視線が、一斉に一点へ集まる。
黒髪の少女――レイナが、血で汚れたコートの裾を払いつつ、ゆっくりと顔を上げた。
「私がこの場から離れれば、魔物は来なくなるんですよね?」
淡々とした口調。
挑発も、怒りも、表には出さず。
ただ「確認」と言う。
眼鏡神官は、一瞬だけ言葉を失った。
(……何を言い出すんだ)
「ど、どういう意味ですか」
慌てて声を出す。
「あなたはさっき、『魔女がいるから魔物が呼び寄せられた』とおっしゃいましたわ」
レイナは、彼をまっすぐ見た。
「じゃあ、私が別の場所に移れば――魔物は、もうここには集まらない。そういう理屈になりますわよね?」
周囲が、ざわ、と揺れた。
「……そ、それは」
眼鏡神官は一瞬たじろぐ。
(まずい。余計な確認など――)
口を開きかけたとき、ミネルヴァがすっと前に出た。
「レイナ様」
相変わらず、柔らかな笑みのまま。
「お気持ちはわかりますわ。でも、そんな危険な真似は――」
「危険なのは、ここも一緒ですわ」
レイナがあっさり遮った。
「狙われたのは治療テント。お姉様たちがいる場所ですもの。もし本当に、私のせいで魔物が集まったのなら――その『原因』を離した方が安全でしょう?」
言って、治療テントの布越しに、エリシアへ視線を送る。
「お姉様。仮に私がいない場所にも魔物が来るなら、そのときは――魔女のせいじゃないって、信じてくれる?」
エリシアは一瞬だけ迷ったように目を伏せ、それからゆっくり頷いた。
「……レイナがそうしたいなら。私は、あなたを信じているわ」
その言葉に、ミネルヴァの笑みがほんの僅か、歪んだ。
(信じる、ですって……? こんな状況で?)
だが、表には出さない。
聖女の仮面は、そんな簡単には剥がれない。
「では――実験、といきましょうか」
レイナは肩をすくめた。
「ヴァルト様。別の仮設テント、空いているところはあります?」
「ああ、少し離れたところにあるな」
ヴァルトが短く答える。
「俺と聖女エリシア様、それからレイナはそっちに移動する。ここには、ミネルヴァ様と神官たち、それに何人かの兵士を残せばいい」
「なっ……」
眼鏡神官の喉がひくりと動いた。
(ミネルヴァ様を残す、だと?)
ミネルヴァも一瞬、瞳を見開いたが――すぐに取り繕う。
「わたくしは構いませんわ」
ふわりと微笑んでみせる。
「どこであれ、神の御心のままに――傷ついた人々を癒すだけですもの」
内心では、声を荒らげていた。
(ここは魔物誘引の草がある……でも今ここで嫌です、なんて言えば)
こちらの言い分の「魔女がいたから魔物が来た」というのが通じなくなる。
それは、彼女と眼鏡神官が最も避けたいことだった。
(……いいわ。どうせ魔物は、もう来ないはず)
誘魔草――正確には「魔誘花」と呼ばれる乾燥花を焚いたのは、さっきが初めてだ。
カルディスからは「一度焚けば、短時間で一斉に魔物を引き寄せる」と聞いている。
効果の持続時間までは細かく聞かされていないが――少なくとも、同じ場所に続けて群れを呼び寄せるほど長くは続かないはずだ。
(それに、もし第二波が来るとしても……魔女はもういない)
そのときは、こう言えばいい。
――魔女の残した穢れが、まだ残っていたのだ、と。
そう心の中で言い訳を積み上げながら、ミネルヴァは微笑を深くした。
「では、わたくしはこちらで。皆さま、どうかご安心を」
「おお、さすがミネルヴァ様……」
「神の御心に従ってくださる……」
兵士たちの何人かが、安堵したように息を吐く。
魔女がいなくなるというだけで、彼らの表情は目に見えて緩んでいく。
「魔女は、あちらへ行かれるそうですからな」
眼鏡神官も、わざとらしく肩をすくめてみせた。
「これで、ここは安全でしょう」
(そう、安全なはずだ。魔物はもう――)
不安を押し殺しながら。
レイナ、ヴァルト、そして旧聖女のエリシアは、別の仮設テントへ移動していった。
彼らの背中が遠ざかるたびに、ミネルヴァの心臓は妙に早く脈打つ。
それを悟られないように、杖を握る指にさりげなく力を込めた。
魔女が別の仮設テントに移ったあとも、治療は続いていた。
エリシアは、汗をにじませながらも次々と兵士の傷に光を流し込んでいく。
ヴァルトとレイナは、そのテントの周囲で監視を続けていた。
『私がこの場から離れれば、魔物は来なくなるんですよね?』
あの言葉が、本当に正しかったのか。
それを証明する時間が、静かに流れていく。
「どうやら、本当に静かですね」
しばらく経って、エリシアがそう呟いた。
「ええ。さっきまで鼻を刺していた甘い匂いも、ここにはないわ」
レイナが答える。
「にしても、よくあの場でああ言えたな」
ヴァルトが呆れたように笑った。
「魔女だ魔女だと騒いでる奴らの前で、自分から実験を提案するとは」
「だって、その方が早いでしょう?」
レイナは肩をすくめる。
「言い訳だけしても信じませんもの、ああいう人たち」
その頃――。
元の治療テントでは、別の緊張が高まっていた。
「……なあ、本当に大丈夫なんだよな?」
兵士の一人が、そっと眼鏡神官に尋ねる。
「何がですか」
眼鏡神官は、やや不機嫌そうに返した。
「いや、その……さっきは『魔女がいるから魔物が』って……。でも今は、もうその魔女は別の場所に行ったんだろ?」
「そうですとも」
彼は即座に答える。
「ここには、神の光を司る聖女ミネルヴァ様と、敬虔なる神官たち、それに立派な兵士諸君だけがいる。闇など、欠片もありませんよ」
「だといいんだが……」
まだ完全には不安が抜けない様子の兵士を横目に、ミネルヴァが小さく囁いた。
「……本当に、もう魔物は来ないのですよね?」
いつもより抑えめな声、眼鏡神官にだけ聞こえる声。
その瞳の奥には、張り詰めた光が宿っている。
眼鏡神官は、その視線から逃げるように空を見上げた。
「神殿長からは、魔誘花の『効果時間』までは具体的に聞いておりませんが……」
曖昧な言葉が、口をついて出る。
「一度、あれだけの魔物を呼び寄せました。しばらくは、辺り一帯の魔物の数も減っているはず。問題はないでしょう」
(……はず、だ)
自分で言いながら、その頼りなさに内心で舌打ちする。
ミネルヴァは、その曖昧さを敏感に嗅ぎ取った。
(この男、本当にどこまで聞いているのかしら)
それでも、今さら引き返すことはできない。
自分たちで「魔女のせい」と宣言してしまった以上、ここで何も起こらなければ――魔女の呪い論は成立する。
あとは、「何も起こらないこと」を願うだけ。
ミネルヴァは、祈るふりをして両手を組んだ。
――だが、その願いは長く続かなかった。
「魔物だ!!」
「また群れが――!」
喉を裂くような叫びが、再び前線の方から響き渡ったのは、それからそう時間が経たないうちだった。
「なっ……!?」
眼鏡神官は、思わず顔を上げる。
丘の向こうから、さっきと同じような黒い影が押し寄せてくる。
数こそ第一波より幾分少ないが、それでも十分に「群れ」と呼べる規模だ。
「こっちに向かってます!!」
斥候が叫ぶ。
「なぜだ……!」
兵士が青ざめる。
「こっちには、もう魔女がいないのになんでだよ!!」
「さっき、『魔女がいるから』って言ったばかりじゃねえか!」
悲鳴と怒号が入り交じる。
ミネルヴァの心臓が、どくん、と跳ねた。
(嘘でしょう……!)
額にうっすらと汗が滲む。
さっきまで「安全の証」だった言葉が、今や自分の首を締め始めている。
「お、落ち着きなさい!」
眼鏡神官が慌てて叫ぶ。
「か、神は試練をお与えになるだけです! 聖女ミネルヴァ様が光をもたらしてくださる!」
ミネルヴァは仕方なく一歩前に出た。
「皆さま、落ち着いてくださいませ」
声を張る。
「わたくしがいる限り、ここは神の御加護のもとにありますわ」
そう言いつつも、魔物たちの目に宿る凶暴な光が視界に刺さる。
さっきより、さらに焦点が合っていない。
狂騒じみた足取りで、まっすぐこのテントを目指している。
「構えろ!」
「テントを守れ!」
兵士たちが盾と槍を構える。
しかし、さっきの戦いで疲弊している者も多い。
武器を握る手が震えている兵士もいた。
「う、こ、こないで……」
テントの中で、負傷者が怯えたように呻く。
(こんなところで、わたくしが襲われでもしたら……)
聖女の威光に傷がつく。
それだけは避けなければならない。
「や、やはり闇の穢れがまだ残っているのです!」
眼鏡神官が、自分を鼓舞するように叫んだ。
「さきほどまで魔女がいたせいで、この地は穢されている! だから魔物が――」
言葉の途中で、柵が弾け飛んだ。
猪型の魔物が、怒涛の勢いで突っ込んできたのだ。
「うわああっ!」
「押し込まれるな!」
盾が軋み、兵士が弾き飛ばされる。
その隙を縫って、狼型がテントに向かって走る。
「きゃっ――!」
ミネルヴァは思わず後ずさる。
足がもつれ、椅子に躓きかける。
(だめ、こんなところで転んだら――)
それでも、狼型の牙は容赦なく迫ってくる。
腰が抜けたように、その場から動けない。
眼鏡神官もまた、青ざめた顔で杖を握りしめることしかできない。
(ま、まずい……このままでは私が……!)
魔物の赤い瞳が眼前に迫った、その瞬間――。
「――『影縫い』」
低く、冷えた声が響いた。
地面に落ちていた狼型の影から、黒い糸が伸びる。
狼の四肢を一瞬で縛りつけ、そのまま地面に叩きつけた。
「ギャンッ――!」
悲鳴を上げる隙もなく、その影から槍が生え、狼の喉と胸を貫く。
飛び散る血糊が、ミネルヴァの頬にかすかにかかった。
「……っ」
視線を上げる。
そこには、黒髪の少女――レイナが立っていた。
さっきとは別のテントに移ったはずの彼女が、いつの間にかここに戻ってきている。
「遅くなりましたわね」
レイナが、肩越しにヴァルトへ声を投げる。
「間一髪だったな。まあ、これで疑いは晴れただろうが」
ヴァルトが、魔物の群れへ向けて炎槍を放ちながら答えた。
「残り、片付けるぞ」
再び戦いが始まる。
だが、今度は様相が違った。
ヴァルトの放つ炎槍が、群れの中心を次々と焼き払う。
レイナの闇の槍が、突破しようとする個体を片端から串刺しにする。
「う、うおおおっ……!」
「エインズワース卿が来たぞ!」
「さっきの魔女も一緒に戦ってくれている……!」
兵士たちは、混乱と安堵の入り混じった声を上げる。
だが、戦力が増えたことだけは確かだった。
やがて、第二波の群れも、じわじわと数を減らし――最後の一体が影槍に貫かれたところで、ようやく静寂が戻ってきた。
「……ふう」
ヴァルトが炎を収め、肩を回す。
「本当に、厄介な騒ぎを起こしてくれたもんだな」
レイナは、荒い息を整えながら周囲を見渡した。
負傷者は確かに増えている。
だが、致命傷は――エリシアが、駆けつけて次々と癒やしていた。
「大丈夫ですか?」
「っ、聖女様……」
「光が、温かい……」
ミネルヴァは、その光景をテントの端から見つめていた。
足がまだ震えている。
さっき、自分に向かってきた狼の牙を思い出すと、背筋が冷たくなった。
(危なかった……本当に、あと少しで……)
そのとき。
「……やはり、魔物誘引の草を使ったか」
ヴァルトの低い声が、テントの外から聞こえてきた。
ミネルヴァの心臓が、どくり、と跳ねる。
(なっ――)
眼鏡神官も、顔を引きつらせる。
「い、いったい、何の話です?」
無理やり声を絞り出す。
「さっきから、妙に甘ったるい匂いがすると思っていたがな」
ヴァルトは、鼻先に指を当てながら歩いてくる。
「魔誘花――だろう。乾燥させて焚けば、魔物を興奮状態で引き寄せるやつだ」
「魔物を……誘う……?」
兵士たちの顔色が変わる。
「さっきの群れも、今の群れも――動きが自然じゃなかった。まるで匂いに引きずられてるみたいだったからな」
レイナが一歩前に出る。
「匂いの源は、まだ残っているはずですわ」
そう言って、軽く目を閉じた。
(――『感覚鋭化』)
闇魔法で嗅覚を研ぎ澄ます。
甘い匂いの筋道が、空気の中にくっきりと浮かび上がった。
それは――テントの中へと続いている。
(やっぱり……)
レイナは、迷いなくテントへ入っていった。
兵士たちが慌てて道を開ける。
「ちょ、ちょっと、何を――」
眼鏡神官が慌てて声を上げる。
「匂いの元を探しているだけですわ」
レイナは淡々と答える。
向かった先は――ミネルヴァの荷物が置かれている一角だった。
「や、やめなさい!」
ミネルヴァの声が鋭くなる。
「勝手に人の持ち物を――」
「ここから、一番強く匂いますもの」
レイナは、構わず手を伸ばした。
上等な布で包まれた小さな巾着袋。
見た目は、ただの香り袋のように見える。
だが、巾着の口を開けた瞬間――むっとする甘い匂いが、さらに濃く広がった。
「……やっぱり」
レイナの瞳が細められる。
「これですね。魔誘花」
巾着の中には、乾燥させた薄い花弁が幾枚も詰められていた。
白かったはずの花弁が、乾燥と薬品処理のせいか、わずかに灰がかった色をしている。
「そ、それは……!」
眼鏡神官が青ざめる。
「ミネルヴァ様の持ち物です! 聖女様の私物を勝手に――!」
「へえ、ミネルヴァ様の持ち物でしたのね」
レイナは、敢えてその部分だけを強調した。
ミネルヴァの顔色が、さっと変わる。
兵士たちの視線が、一斉にミネルヴァへ向く。
「魔物を引き寄せる花を、聖女様が……?」
「さっきから、ここの周りだけ妙な匂いがしてたのは、それか……」
「待てよ……じゃあ、魔物は本当に――」
「ま、待ちなさい!!」
眼鏡神官が、顔を真っ赤にして割って入った。
「これは、きっと魔女の影響が残っていたからだ! ここにはさっきまで魔女がいたのです! 闇の穢れが残り、そのせいで魔物が――」
必死の言葉は、途中で切り裂かれた。
「じゃあ次は、ミネルヴァ様にその花を持ってもらって」
ヴァルトが、ぼそりと呟く。
「レイナは町の中に引っ込めて試すか?」
静かだが、よく通る声だった。
兵士たちが、はっと息を呑む。
「そ、そ、それは――」
ミネルヴァの喉が震える。
ヴァルトは、冷えた視線で彼女と眼鏡神官を見据えた。
「魔女の影響が残ってるって言うなら、今度は『魔女抜き』で試せばいい。花を持つのはミネルヴァ様。場所は、さっきと同じ前線近くのテント。魔物が集まるかどうか――それで、どっちの言い分が正しいか、すぐにわかる」
「な、なんてことを……!」
眼鏡神官が叫ぶ。
「聖女様を危険な場所へ――」
「さっきは、聖女エリシア様もここにいたが?」
ヴァルトの声が、さらに冷たくなる。
「危険な場所に聖女様を連れてきたのは、お前たち神官だろう。違うか?」
言葉が、喉に詰まる。
「……そ、それは……」
ミネルヴァの唇が、震えた。
兵士たちの視線が、一斉に二人へと向けられる。
さっきまで「魔女」へ向けられていた疑いと恐怖が――今は、別の標的を探している。
(やめて……こっちを、見るな)
ミネルヴァは、必死に笑みを作ろうとした。
だが頬の筋肉がうまく動かない。
喉が乾き、声が出ない。
「……続けますか?」
レイナが静かに言った。
「『魔女がいるから、魔物が呼び寄せられた』って話」
その瞬間、追い込まれていたのが誰なのか――はっきりと、場の全員が理解した。
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