第17話 魔女狩りへ
その夜。神官用宿舎の一室。
安物の机と椅子がひとつ。
窓には薄い布が打ちつけられ、外の月明かりさえまともに入ってこない。
机の上には、黒い光を湛えた水晶球が置かれていた。
眼鏡の神官は、水晶球にそっと手を触れた。
「……王都大聖堂、神殿長カルディス様。こちら、辺境派遣中の神官にございます」
定型句を唱え終えると、球の中に黒い靄が渦を巻き、やがて人影が浮かび上がる。
『……聞こえていますよ』
落ち着いた低音。
それだけで、神官の背筋はぴんと伸びた。
「か、カルディス様……!」
『例の件に、進展があったのですね』
穏やかな声。
だが、その奥に冷たい刃が潜んでいるのを、彼は知っていた。
「は、はい。本日、予定通り、現聖女エリシア様の治療薬に不良品を混ぜ、評判を落とす作戦を実行いたしました。しかし――」
『しかし?』
わずかに声が低くなる。
神官の胃がきゅっと縮んだ。
「結果から申し上げますと、失敗に終わりました。申し訳ありません……!」
部屋に沈黙が降りる。
水晶球の向こうから、冷たい圧だけがじわりと滲んでくる。
『そうですか。失敗、ですか』
「も、申し開きの余地もございません。ただ……聖女エリシア様ご本人は、自分の力不足だと受け止めておられました。あの方だけなら、いくらでも罪を被せられたはずなのです」
『ふむ、それで?』
「邪魔が入りました。聖女の妹――あのレイナという娘が」
あの時の光景が蘇る。
瓶を手に取り、「これはお姉様の治療薬ではありませんわ」と、あっさり見抜いた黒髪の少女の姿。
「あいつさえいなければ、作戦は完璧に成功しておりました」
悔しさ混じりに吐き出すと、水晶球の靄がわずかに揺れた。
『……やはり, あの子が』
カルディスの声が低く落ちる。
『邪魔ですね』
その一言に、神官の背中を冷たい汗が伝う。
「さらに、報告すべきことがございます」
『聞きましょう』
「レイナという娘は……魔女です。前線で闇魔法を使っていたと。兵士も魔術師も見ております。影から黒い槍を生やし、魔物を貫いたと。本人も、闇魔法を使ったと認めました」
短い沈黙。
やがてカルディスは、抑えた息を漏らした。
『……闇、魔法』
驚愕とも興味ともつかない響きが混じっている。
『まさか、本当に「闇」の担い手が現れるとは』
聖女の癒しが、神からの奇跡ではなく「光魔法」であること。
その対極に「闇」があること。
カルディスは、そのどちらも知っている。
光を「神の奇跡」に仕立て上げ、闇を「絶対悪」に落とす。
その構図こそ、神殿が求めてきたものだ。
「異端者として吊るし上げたいくらいですが……しかし、闇魔法そのものは法律で禁じられておりません。教義上の禁忌に過ぎず、闇魔法を使ったからといって即座に罰することは難しい……」
『ええ。そこが少々、面倒ですね』
と言いながら、カルディスの声はどこか愉快そうだった。
『ですが――「闇魔法を使う魔女が災厄を引き起こした」となれば、話は変わるでしょう?』
神官の心臓が、どくんと跳ねる。
『人々は、真実ではなく物語を信じる。聖女の奇跡の物語を信じる者は、魔女の呪いの物語も、同じように信じるのですよ』
静かな声で、残酷なことをさらりと言う。
「し、しかし今は、偽治療薬の件もあり、私ども神官にも疑いの目が……。下手に動けば、こちらに火が――」
『だからこそ、ですよ』
カルディスは、彼の言葉を遮った。
『そこには、都合よく「魔女」がいるじゃないですか』
神官は、はっと息を呑む。
――そうだ。なぜ最初にそれを思いつかなかったのか。
原因が何であれ、「魔女の仕業」と人々が思い込めば、それでいい。
『あの作戦を、実行しなさい』
カルディスが静かに告げる。
神官は唇を噛む。
恐怖と同時に、ぞくりとした高揚が胸を満たす。
「……承知しました。次こそは、必ず作戦を果たしてみせます」
『期待していますよ』
水晶球の靄が、すっと薄れていく。
静寂だけが、狭い部屋に取り残された。
神官はしばらくの間、固く握りしめた拳を見つめていた。
やがて、水晶球に布をかぶせ、小さく呟く。
「今度こそ――魔女を、焚きつけてやるぞ」
そして、王都の大神殿で――カルディスは、水晶球から手を離し、ゆっくりと椅子の背にもたれかかった。
「聖女の妹が魔女、か」
薄く笑う。
物語として、これ以上なくわかりやすい構図だ。
「神はおらず、聖女の癒しは光魔法。……それでも、人々は『神の奇跡』を望む」
ならば与えてやればいい。
信じやすい奇跡と、憎みやすい悪役を。
「光を際立たせるには、濃い影が要る」
窓の外には、夜の王都の灯が瞬いている。
カルディスはその光景を眺めながら、静かに呟いた。
「辺境でひとつ、炎を焚きましょうか」
人々が、喜々として魔女を探し出すように。
聖女と神殿を「正義」として仰ぎ見るように。
「――魔女狩りです」
その言葉に応えるように、燭台の炎がぱちりと音を立てて揺れた。




