第16話 闇魔法を人前で
前線までは、町から馬で小一時間ほどだった。
途中から、空気が変わる。
鼻の奥を刺す、血と焦げた肉と、獣の匂い。
(……戦場、ね)
土埃が舞い上がり、遠くに魔力光がちらついているのが見えた。
前線拠点は、簡素な木柵と土嚢で築かれた、仮設の砦のような場所だった。
崩れた石壁や、急ごしらえの見張り台。
その向こう側――開けた丘陵地帯で、すでに何人もの魔術師と兵士が戦っていた。
「おい、新手が来たぞ!」
「増援だ、助かる!」
柵の上から、誰かが叫ぶ。
私とヴァルト様は馬を降り、柵の隙間から外の様子をうかがった。
地平の方から、灰色の影が何十と押し寄せてくる。
牙を剥き出しにした狼型の魔物。
背に黒い棘を生やした猪のようなもの。
人と獣の中間のような、濁った目をした人型の魔物。
兵士たちは盾を構え、槍を突き出して応戦していた。
その背後から、火や風の魔法が飛ぶ。
だが、押し寄せる数の方が多い。
「……そこそこ、面倒そうね」
思わず呟くと、隣でヴァルト様が肩を竦めた。
「まあ、肩慣らしにはちょうどいいだろ」
そう言って、柵を軽々と飛び越える。
私もその後を追った。
先頭の狼型の魔物が、黄色い目をギラギラさせてこちらに突っ込んできた。
「はいはい、お手でもするか?」
ぼそりと呟いたヴァルト様が、片手を軽く振る。
その瞬間――。
「――《炎槍》」
彼の周囲の空気が、一気に熱を帯びた。
地面からせり上がるように、生き物のような炎の槍がいくつも立ち上がり、走ってくる魔物の群れを貫く。
肉の焦げる匂い。
悲鳴すらあげる暇もなく、数体が一度に地面に崩れ落ちる。
(容赦ないわね)
呆れ半分、感心半分でその様子を横目に見ながら――私の方にも、一体の魔物が回り込んできていた。
狼型より一回り大きい、黒い毛並みの獣。
私の方を見つけるなり、喉の奥から唸り声をあげて飛びかかってくる。
「……ふぅ」
足元に落ちる自分の影が、陽光の角度で細長く伸びている。
私はその影を踏みしめ、そっと息を吐いた。
(――『影槍』)
影が、わずかに揺れる。
次の瞬間、魔物の足元――奴の影から、黒い槍が突き上がった。
鋭い先端が、獣の喉を下から貫く。
「ギャッ――!?」
断末魔を上げて、魔物は前のめりに倒れ込んだ。
黒い槍は、倒れた拍子に土の中へすっと溶けて消える。
息を一つ吐き、周囲を見渡す。
まだまだ数は多い。
兵士と魔物が入り乱れ、地面はあっという間に血で湿っていく。
「くそっ……!」
少し離れたところで、盾を構えていた兵士の一人が、猪型の魔物に押し倒されかけていた。
牙が彼の喉元に迫る。
「あれはまずいわね」
判断するより先に、身体が動いていた。
(――『影縫い』)
彼の足元に落ちる影。
その影から、細い黒い糸のようなものがぴん、と伸びる。
猪型の魔物の四肢を、影ごと地面に縫い付ける。
「――っ!?」
魔物が驚いたように身を震わせるが、動けない。
その隙に、私は少し別角度に移動し、地面を踏み鳴らした。
(『影槍』)
縫い付けた影から、今度は短い槍を何本も生やす。
それらは魔物の腹と喉を容赦なく貫いた。
どさり、と重い音を立てて崩れ落ちる巨体。
下敷きになりかけていた兵士が、恐る恐る身体を起こした。
「た、助かった……っ」
彼の視線が、地面に残る黒い痕――影から伸びていた槍の跡と、私の足元を交互に行き来する。
「い、今のは……?」
近くで風魔法を撃っていた魔術師が、一瞬、呆然とこちらを見ていた。
さらに別の魔術師が、掠れた声で呟く。
「影から……黒い槍が、出ていた……?」
「まさか、今の……」
その言葉は途中で途切れた。
だが、誰もが同じ単語を頭に思い浮かべているのが、痛いほどわかる。
(そうよ。言いたいんでしょう?)
闇魔法、と。
だが、今は立ち止まっている暇はない。
視界の端から、別の魔物の影が迫ってくる。
私は再び影に意識を落とし、冷静に槍を伸ばしていった。
――しばらくして。
「魔物の群れ、ひとまず掃討完了!」
「逃げたやつを追うな! 隊列を立て直せ!」
隊長らしき男の怒鳴り声が響き、ようやく戦場が息をついた。
地面には、魔物の死体と、うめき声をあげる軽傷者。
重傷者はすぐに担架で運ばれていく。
「……ふう」
私は息を整えながら、袖についた血を払い落とした。
そのとき。
「おい, そこの嬢ちゃん」
少し離れた場所から、声が飛んできた。
振り向くと、先ほど風の刃を飛ばしていた魔術師が歩み寄ってくる。
年の頃は二十代半ばくらい。
前線に慣れていそうな、鋭い目つきだ。
「今の戦い方……」
彼は、慎重に言葉を選ぶように口を開く。
「影から槍を生やしていたな。あれは……闇魔法、か?」
「ええ、そうですわ」
私はあっさり頷いた。
ここで曖昧にしたところで、どうせすぐに噂は広がる。
それなら、最初から否定しない方がいい。
魔術師の顔が、一瞬で強張った。
「やっぱり……」
「闇魔法、だと?」
「そんなものを、実際に使ってる奴が……」
近くにいた他の魔術師たちも、ざわりとこちらを振り返る。
ひそひそと囁き合う声が耳に入ってきた。
「禁忌じゃないのか……?」
「教本では『学ぶべからず』って……」
「『魔女』だ……闇の才能を持つ奴が、本当にいるなんて……」
想像していた通りの反応だ。
驚き、恐れ、好奇心。
その全部をぐちゃぐちゃに混ぜたような視線が、一斉に私に突き刺さる。
(まあ、こうなるわよね)
覚悟していたことだ。
それでも, 胸のあたりが少しだけ冷たくなる。
――そこへ。
「なにをそんなに騒いでる」
低い声が、ひやりと空気を切った。
ヴァルト様だ。
いつの間にか私の隣に来ていて、魔術師たちをじろりと見回していた。
「エインズワース殿……」
魔術師たちの間に、わずかな緊張が走る。
精鋭魔術師部隊の中でも最強と名高い男。
それが「魔女」の隣に、何事でもないように立っているのだ。
「こいつは俺の弟子だ」
ヴァルト様は、あっさりと言った。
「さっきの闇魔法も、俺が教えた」
「な……!」
魔術師の一人が、思わず声を詰まらせる。
「エインズワース殿が、闇魔法を……?」
「禁じられているのでは……」
「禁じられてはいない」
ヴァルト様は、淡々と言葉を切る。
「教本でそう書いてあるだけだ。法律で『使ったら死刑』と定められてるわけじゃない」
さっき私に説明したのと同じ内容を、今度は他人向けにかみ砕いたような口調で。
「それに――」
彼はわざと、先ほどの戦場を一瞥した。
「闇魔法が役に立つ場面もある。さっきの猪を縫い付けてたの、見てただろう」
影に縫い付けられ、槍に貫かれた魔物の死体。
それと、かろうじて無傷で立っている兵士。
「おかげで助かった。違うか?」
問いかけに、兵士たちがどきりと肩を震わせた。
「い、いえ、その……」
先ほど助けた兵士が、ぎこちなく前に出る。
「確かに、あの魔法がなかったら……今ごろ、俺はあいつの餌になってました」
彼は拳を握り、深く頭を下げた。
「助けてくれて、ありがとうございます」
真っ直ぐな声だった。
恐れも戸惑いも混ざっているが、それでも、その言葉に嘘はない。
(……闇魔法を使って『ありがとう』って言われたの、初めてかもしれない)
少し、胸が熱くなった。
「礼を言われるためにやったわけじゃありません。当然の仕事ですから」
わざとそっけなく返す。
けれど、兵士は頭を上げながら、少しだけ笑っていた。
「それでも, 命の恩人には違いありませんから」
そのやり取りを、魔術師たちも黙って見ていた。
彼らの視線から、露骨な敵意は消えている。
警戒と困惑は残っているけれど。
(やっぱり、前線の人たちは現実的ね)
目の前で自分たちを助けた魔法を、簡単には「悪」と切り捨てない。
命がかかっているから、綺麗事を言っていられないのだ。
「……まあ、そういうことだ」
ヴァルト様はまとめるように言った。
「どうしても文句があるなら、後で軍議の場で聞いてやる。今は、戦力が足りていないって自覚だけは忘れるな」
その言葉に、誰も何も言い返せなかった。
やがて、前線での任務はひとまず終わり、夕刻前には町へ引き返すことになった。
帰り道。
柵の上から、見張りの兵士が「お疲れさまです!」と声をかけてくる。
さっきの兵士も、遠くから不器用に手を振っていた。
それを見て、ヴァルト様がぼそりと言う。
「ここは、魔術師と兵士しかいないからな」
町へ向かう馬の手綱を軽く引きながら。
「実際に前に立って戦う連中は、多少のことじゃ騒がねえ。さっきみたいに、助かったやつがいればなおさらだ」
「そう、ですね」
私も頷く。
確かに、奇異の目は向けられたけれど、「魔女だから殺せ」とはならなかった。
「でも――」
ヴァルト様は、ほんの少しだけ声を低くした。
「神殿の連中は、やばいだろうな」
「……ですよね」
私は苦笑する。
予想通りの言葉だった。
「教義で頭が固まってる分、現場を見ても結論を変えにくいですものね」
「まあ、せいぜい喚かせておけ」
ヴァルト様は、面倒くさそうに肩を竦めた。
「お前が折れなきゃ、それでいい」
その言葉に、少しだけ力が湧いた気がした。
町へ戻る頃には、空が赤く染まり始めていた。
北門をくぐると、すぐに神殿の白いローブが目に入る。
治療院の前。
数人の神官たちが並び、戻ってきた兵士たちを出迎えていた。
「お疲れさまでした。怪我のある方は、順次こちらへ――」
「聖女様に診ていただきますので――」
その中には、あの眼鏡の神官の姿もある。
そして少し後ろ――治療院の入口近くには、お姉様とミネルヴァが立っていた。
お姉様は私たちの姿を見つけるなり、安堵したように胸に手を当てた。
ミネルヴァの視線は、一瞬だけこちらを掠め――すぐに逸らされる。
私はヴァルト様とともに兵士たちの列から外れ、神殿の前へ出ようとした。
その途中で。
「エインズワース卿」
あの眼鏡の神官が歩み寄ってきた。
その目には、露骨な不快感と警戒が混じっている。
「お話を、伺ってもよろしいでしょうか」
「なんだ」
ヴァルト様が、わずかに顎を上げる。
「先ほど、前線から戻った兵士たちから、気になる報告がありまして」
神官は、ちらりと私を一瞥した。
「魔物との戦闘中、闇の槍のようなものが地面から生え、魔物を貫いたと」
周囲の神官たちが、ざわりと騒めく。
「それが本当だとすれば――闇魔法、ということになりますが」
眼鏡の奥の目が、細くなる。
「確認させてください。あなたの隣にいる、そのご令嬢は」
はっきりと、私の顔を見据えた。
「本当に、闇魔法を使ったのですか?」
背後で、お姉様が小さく息を呑む気配がした。
(来たわね)
想定していた問い。
逃げたところで、何も変わらない。
「ええ」
私は、真正面からその視線を受け止めた。
「そうですわ。私が、闇魔法を使いました」
その瞬間。
神官たちの表情が、一斉に引きつった。
「なっ……」
「闇魔法……」
「神殿の教えに背く、忌まわしき――」
眼鏡の神官は、わざとらしいほど顔をしかめた。
「やはり、闇魔法でしたか……」
そして、声を張り上げる。
「この忌まわしき魔女が……!」
周囲がびくりと震える。
兵士たちの中にも、驚いてこちらを見る者がいた。
その言葉に、胸の奥がほんの少しだけちくりとした。
けれど――予想していた痛みだ。
(魔女、ね)
前の時間軸では、その烙印が、私の全てを焼き尽くした。
けれど今は――。
ふと視線を感じて、横を見る。
お姉様が、心配そうにこちらを見ていた。
何か言いたげに唇を結び、しかし言葉を探しているような、そんな顔で。
その瞳を見た瞬間、さっきヴァルト様が言った言葉が頭をよぎった。
『あれほどのお人よしは、そうそういない』
『ああいう人間が、自分の妹を嫌いになるかよ』
(……そうよね)
私は、そっと息を吸う。
「魔女、魔女とうるさいですわね」
そして、わざと肩の力を抜いた声で言った。
「それが、何か?」
眼鏡の神官が、言葉を失った顔で私を見つめる。
「闇魔法を使ったことと、魔女と呼ばれることに、何か問題がありますの?」
「も、問題が――!」
彼は慌てて言葉を探す。
「闇魔法は、神殿の教義に反する禁忌の力! そんなものを聖女様の妹が使うなど、あってはならない――」
「禁じる法律は、ないでしょう?」
私が割り込むと、神官の口がぱくぱくと開閉した。
「さっき師匠も言っていましたわ。教本に『学ぶな』と書いてあるだけで、『使ったら死刑』とは書いていないって」
ちらりとヴァルト様を見やると、彼は面倒くさそうに眉をひそめながらも、黙認するように腕を組んでいた。
「それに、前線では役に立ちましたわよ?」
私は、先ほど助けた兵士の方を指さす。
「彼は、私の『忌まわしき闇魔法』のおかげで、生きていますの。ね?」
「え、あ、はい!」
突然話を振られた兵士が、慌てて背筋を伸ばした。
「そ、その……確かに、あの魔法がなかったら、俺は死んでました!」
「だそうですわ」
私は、さらりと言う。
「それでも、私を『忌まわしき魔女』としか呼べないなら、どうぞご自由に」
言いながら、ほんの少しだけ顎を上げた。
「私は、私のやるべきことをやるだけですから」
その態度に、神官の顔が、更に歪む。
「なんという不遜な……! 闇に心を売り渡した者の言うことです! 聖女様のご家族でありながら――」
「レイナは、闇に心なんて売っていません」
穏やかな声が、すっと割り込んできた。
お姉様だ。
一歩、前に出て、まっすぐ神官を見つめる。
「レイナは、誰かを守るために戦っているだけです。さっきも、前線で兵士さんを助けてくれたのでしょう?」
「それは……しかし……!」
眼鏡の神官は、何かを言いかけては飲み込む。
お姉様の「聖女」としての権威に、あからさまに喧嘩を売るわけにはいかないのだろう。
私は、お姉様と視線を交わした。
彼女の瞳には、不安と、それ以上に強い信頼が宿っている。
胸の奥で、何かがほどけた。
「……心配かけて、ごめんなさい、お姉様」
ほんの少しだけ、笑ってみせる。
「でも、大丈夫よ」
この程度の蔑みや、忌避の視線で折れるほど、私は弱くない。
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