第14話 偽の治療薬
広場の一角。
臨時の物資置き場になっているらしく、木箱や樽が積まれている。
その前に、お姉様とミネルヴァ、数人の神官たち。
そして、興奮した様子の兵士たちと、不安の顔で見つめる町の人々。
「だから、これはどういうことかと聞いているんだ!」
怒鳴っているのは、まだ若い兵士だ。
片腕に包帯を巻き、片手には空になったガラス瓶を握りしめている。
「『聖女様の治療薬だ』って渡されたから信じて使ったんだぞ!? それなのに――」
包帯を乱暴に引き下ろす。
その下には、赤黒く腫れ上がった傷口。
本来なら癒えかけているはずの切り傷が、じくじくと膿んでいる。
周囲から、どよめきが起こった。
「昨日の薬で……あんなひどいことに」
「うちの弟の傷も、ひどく腫れたって……」
「聖女様の作った薬が、あんなものなはずが……」
ざわめきの中で、一際大きな声が響く。
若い兵士の声だ。
「昨日、聖女がお作りになった治療薬の中に、不良品が混ざっていたのは確かだ! 俺の傷だけじゃない! 他にも、薬を使った途端に傷が悪化したという報告が、いくつも――!」
背後から、「そうだ!」と怒声が飛ぶ。
見ると、数人の兵士と町の男たちが立っていた。
腕や脚を押さえ、顔をしかめている者もいる。
「俺もだ! 昨日の薬をかけたら、傷が熱を持って、夜中じゅう眠れなかった!」
「子どもの擦り傷に塗ったら、赤く腫れ上がったんだぞ!? どう責任を取るつもりだ!」
彼らの手にも、同じような空のガラス瓶が握られていた。
(……昨日の治療薬)
胸の奥がざわりと揺れる。
確かに昨日、お姉様とミネルヴァは、治療院で大量の治療薬を作った。
用意されたガラス瓶に、浄化を終えた水を満たし、癒しの力を流し込んで――。
その中のいくつかが、「不良品」だというのか。
しかも――。
(量からすれば、ほとんどお姉様の分)
ミネルヴァはすぐに限界を迎えて、途中から椅子に座って休んでいた。
実際に多くの瓶に癒しの力を込めたのは、お姉様だったはずだ。
だから、表向きの話としては――。
「昨日、治療薬をお作りになったのは、こちらの二人の聖女様です!」
眼鏡の神官が、わざとらしく両手を広げる。
「しかし、新聖女ミネルヴァ様はお疲れで、数本しかお作りになっていない。つまり、この大量の治療薬のほとんどは――」
視線が、お姉様に突き刺さる。
「現聖女エリシア様がお作りになったもの……ということになります」
周囲の空気が、ぴりりと緊張した。
お姉様は、静かにその視線を受け止めている。
表情は驚きと困惑に揺れているけれど、逃げるような目はしていなかった。
「……昨日の治療薬に、不調をきたした方がいらっしゃるのですね」
落ち着いた声。
「本当に申し訳ありません。ですが、私はいつも通りにお作りしたつもりです。これまで問題が出たことはなかったはずですが――」
「だが実際に問題が出てるじゃねえか!」
兵士の一人が、声を張り上げて遮った。
「聖女様が作った薬だって言うから、皆、疑いもせずに使ったんだ! それなのに、傷が悪化した者が何人もいる! どう責任を取るんだ!」
「そ、そうだ! 聖女様の薬なら安心だと思ったから使ったんだ!」
「神の加護が込められているって、そう聞いたから……!」
その声を受けて、お姉様は一歩前に出た。
「申し訳ありません。皆様、お怪我は大丈夫ですか?」
真っ先に出てきたのは、相手の状態を気遣う言葉だった。
「もしよろしければ、改めて傷を診させてください。今度は、直接癒しの力で――」
「冗談じゃない!」
兵士が、はねるように後ずさる。
「もう信用できるか! これ以上、変な薬を使われたらたまったもんじゃない!」
「俺だって、これ以上悪化させたら腕を切断することになるんだ! それを――!」
怒りと不安と恐怖。
それらがごちゃ混ぜになった感情が、荒々しい言葉になって飛び出している。
お姉様の伸ばしかけた手が、僅かに空中で止まった。
その横顔を見た瞬間、喉の奥がきゅっと締めつけられる。
――その時だった。
眼鏡の神官の口元が、ふっと歪んだのが見えた。
一瞬だけ。けれど、確かに。
(……あいつ)
それは、誰かの不幸を見てほくそ笑む人間の顔だった。
隣のミネルヴァは、手を口元に当てて「まあ」と眉を寄せている。
けれど、その薄い指の隙間から覗く瞳は、どこか楽しんでいるようにも見えた。
(やっぱり、あんたたちね)
――回帰前にも、こういうことがあったのだろうか。
辺境で。あるいは、別の地方で。
お姉様が作ったはずの治療薬で、「被害」が出たと騒がれ。
真偽もろくに確かめられないまま、「聖女の力は本物ではない」と噂されて――。
(私が聞かなかっただけ、かもしれない)
お姉様は、私に心配をかけさせないためか、細かいことは言わなかった。
「今日は少し大変だったわ」と笑って済ませて。
その裏で、どれだけこういう理不尽を飲み込んできたのか。
だからこそ、回帰前の世界では。
いつの間にか、「今代の聖女は本物ではない」「奇跡は演出だ」という噂が、「真実」として語られるようになっていたのかもしれない。
「……申し訳、ありません」
お姉様が、静かに頭を下げた。
周囲から、ざわりとざわめきが広がる。
「私の力が至らず、皆さんを苦しめてしまって……」
(違う――姉様のせいじゃない)
これは、仕組まれた罠だ。
そうとしか思えない。
(回帰前ではどうだったのかは知らないけど――今度は、そうはさせない)
私は一歩、前に出た。
「ちょっと、いいかしら?」
わざと、よく通る声で。
兵士たちも、神官も、ミネルヴァも、お姉様も――一斉にこちらを見る。
「レイナ……?」
お姉様が、驚いたように目を見開いた。
眼鏡の神官も眉をひそめる。
「レイナ様」
ミネルヴァが、愛想笑いを浮かべた。
「今は少し、繊細な状況ですのよ。ご家族の方は――」
「だからこそ、ですわ」
笑顔のまま、私は言葉を重ねる。
「不良品が混ざっていたという治療薬――それ、本当に『お姉様が作ったもの』なんですの?」
「……は?」
兵士がぎょっとした顔をした。
「ど、どういう意味だ」
「昨日、聖女様方がお作りになったのを、我々はちゃんと見ていて――」
「見ていたのは、『作っているところ』でしょう?」
私は、空になったガラス瓶に視線を向ける。
「その薬が本当に『誰の手で仕上げられたのか』、ちゃんと確認しました?」
場の空気が、一瞬だけ固まった。
「何を、言っているのですか」
先に口を開いたのは、眼鏡の神官だ。
「治療薬は、聖女様が癒しの力を込められた、紛れもない――」
「じゃあ、証拠を見せていただけません?」
私は一歩前に進み、兵士の手の瓶を指さした。
「問題になっている治療薬の瓶、まだいくつか残っているでしょう? 空になったものでも構いませんわ。全部、ここに持ってきてください」
「な、何のつもりだ」
兵士の一人が、疑わしげに目を細める。
「詳しく調べるんですのよ。お姉さ……聖女エリシアが担当した瓶だったのか、違うのか」
「そんな……!」
眼鏡の神官が、慌てたように声を上げた。
「聖女様の治療薬は神聖なるもの。それを、調べるなどとは――!」
「神聖なるもの、ねえ」
思わず笑いが漏れた。
「その『神聖なるもの』が怪我人を悪化させたかもしれないから、今こうして騒ぎになっているんでしょう? だとしたら――それは本当に神聖なんですの?」
「っ……!」
言葉に詰まった神官を見下ろし、私は肩をすくめる。
「私はね、『お姉様の治療薬が偽物にすり替えられているかもしれない』と言っているのよ。黙ってなさい」
ざわ、と空気が揺れた。
眼鏡神官の顔が、見る間に赤くなる。
「な、なんの根拠があって――」
「だから今からそれを調べるんじゃない」
私はきっぱりと言い切った。
「もし本当にお姉様の作った薬なら、その時は私がお詫びしますわ。『お姉様の力不足でした』ってね。でも――そうじゃなかったら?」
その言葉に、兵士たちの視線が揺れる。
「……おい」
「確かに、聖女様が作ったものって言われるがままに受け取ったが……」
「治療薬は誰が管理していた?」
誰かがそう呟いた瞬間、ざらりと視線が動いた。
向かった先は――治療薬の管理を任されていた神官たち。
そして、その中心にいた眼鏡の神官。
「ま、待ちなさい。私は、なにひとつ――」
「とにかく」
私は兵士たちの方を向き直る。
「問題になっている瓶、全部、ここに持ってきてください」
そして兵士の一人が、治療院へ駆け出していった。
程なくして、数本の空瓶が布に包まれて運ばれてくる。
昨日配布された治療薬のうち、「問題があった」と報告されたものだという。
「失礼」
私はそのうちの一本を手に取った。
透明なガラス瓶。
見た目は、昨日治療院で見たものと変わらない。
だが――。
(――『感覚鋭化』)
闇魔法には、五感を研ぎ澄ます魔法がある。
それを隠しながら使えば、普通の人間には感じ取れない程度の変化も、はっきりとわかる。
――そして何より、私は知っている。
お姉様の治療薬には、匂いがないことを。
瓶の口を鼻先に近づけ、そっと息を吸い込んだ。
……ツン、と鼻の奥を刺す、薬草の匂い。
それだけじゃない。
わずかに、何かが発酵したような、生臭い匂いが混じっている。
(やっぱりね)
口元に笑みが浮かぶのを、押さえきれなかった。
「どうだ?」
いつの間にか近くに来ていたヴァルトが、低く問う。
「これは、お姉様の治療薬じゃありませんわ」
はっきりと言い切る。
「匂いが違うもの」
「匂い……?」
兵士たちがざわつく。
眼鏡の神官が、露骨に眉をひそめた。
「そんな曖昧なものを根拠に――」
「曖昧じゃありませんわよ」
私は瓶を掲げて見せた。
「この瓶の中身には、薬草の匂いが何種類も混ざっていた。少し傷んだ油と、発酵しかけた何かの匂いもね。誰か、嗅いでみます?」
半信半疑といった様子で、兵士の一人が瓶を受け取る。
「……あ。本当だ。なんか、変な匂いがする」
「俺にも嗅がせろ」
次々と瓶が回されていく。
「確かに、薬草っぽい匂いがするな」
「うちの治療院の塗り薬と、似た匂いだ……」
「聖女様の薬って、そんな匂い、したか?」
誰かがそう言ったところで、別の兵士が首を振る。
「いや、前にもらって問題なく傷が治った治療薬は、匂いなんかなかったぞ?」
「そうだ。澄んだ水みたいに、すっとしてただけだ」
眼鏡の神官の顔が、見る間に強張っていく。
「これは……恐らくだが」
そこで、空の瓶を嗅いだヴァルト様が一歩前に出た。
「古い薬草が、いくつか混ざっているな。セインの葉、アルド草、それから――これは腐りかけたタール油か」
さらりと、具体的な名前がいくつも挙がる。
私は横目で師匠を見る。
(師匠も闇魔法で感覚を鋭くさせたようね)
私も何種類あるかなどはわかるが、種類の特定はできない。
いろんな実験などをしてきたヴァルト様だからこそできることだ。
「そんな……」
眼鏡の神官が、青ざめた。
普通、神官である彼が青ざめる必要などないのに。
(やっぱり)
胸の内で、確信が形を成す。
「つまり、これは」
私は改めて、兵士たちの方を向いた。
「『聖女の癒しを込めた治療薬』じゃない。質の悪い薬草を混ぜた、粗悪な薬ですわ」
ざわっ、と空気が波打つ。
「じゃあ、俺たちが使った薬は……?」
「聖女様の薬じゃなかったってことか?」
「誰が、そんなものを……!」
視線が、一斉に揺れた。
私は、あえてゆっくりと周囲を見回し――。
「不良品を混ぜたのは、治療薬を管理していた者」
そう言って、視線を一点に止める。
「神官、かもしれませんわね」
見つめた先にいたのは、もちろん――眼鏡の神官だ。
兵士たちの視線も、ぴたりとそちらに向く。
「な、なぜ、私の方を見るのですか」
神官が、喉を鳴らした。
「私は何もしていません! 私はただ、与えられた治療薬を――」
「じゃあ、誰が?」
兵士の一人が、一歩踏み出す。
「治療薬を管理してたのは、あんたら神官だけだろう」
「そうだ。昨日も、倉庫から瓶を運び出してたのを見たぞ」
「俺たちが薬を取りに行った時も、あんたが『これは聖女様の薬だ』って渡してきたじゃないか!」
「そ、それは……! 私はただ、指示通りに――」
あからさまに慌てふためく姿が、滑稽なほどだった。
(ほんと、わかりやすいわね)
内心で肩をすくめる。
証拠はまだない。
だが、少なくとも「聖女のせい」にする流れは、完全に止まった。
「とにかく」
ヴァルトが、低い声で言った。
「この件は、きちんと調査する必要があるな。治療院の倉庫も含めて」
「も、もちろんです!」
治療院の院長が、慌てて頭を下げる。
「こんな粗悪な薬が紛れ込んでいたなど、私も知りませんでした……!」
眼鏡の神官はなおも「私は知らない」「誰かが勝手に」と繰り返していたが――兵士たちの視線は、もはや彼に同情的ではなかった。
「……聖女様」
そのうちの一人が、ぎこちない足取りでお姉様に近づく。
先ほど、怒鳴っていた若い兵士だ。
「さっきは……疑って、すみませんでした」
彼は深く頭を下げた。
「聖女様の薬が悪いんだと思い込んで、酷いことを言いました」
「いえ」
お姉様は、慌てて首を振る。
「私も、一瞬、自分の力が至らなかったのかと思いましたから……。でも言ってくださって、ありがとうございます」
「へ、聖女様が謝ることじゃ……!」
兵士が、ますます赤くなって俯いた。
私のお姉様に惚れないでよ、そこの若い兵士。
でも、そのやりとりを見ていて、胸の奥がじんわりと温かくなる。
(……よかった)
お姉様が、謂れのない非難を一人で飲み込む前に。
「自分のせい」と抱え込んでしまう前に。
少なくとも、ここにいる人たちは、「聖女の薬が悪かったわけではない」と知った。
「レイナ」
ふと名を呼ばれて、顔を上げる。
騒ぎがひとまず収まりつつある中、お姉様が私の方に歩み寄ってきていた。
「ありがとう」
近くまで来ると、穏やかな笑みでそう言った。
「私一人だったら、きっと『私の力不足です』って思い込んで終わっていたと思うの。ああやって、あなたがはっきり言ってくれなかったら」
胸が、きゅう、と鳴る。
「……お姉様なら、そんな下手な治療薬は作らないって、ただそれだけよ」
思わず、視線を逸らしてしまう。
「でも、思わず乱暴な物言いをしてしまってたわ。あの神官、イラッときましたので」
「ふふっ、レイナらしいわ」
お姉様は、くすくすと笑った。
「でも、心強かった。レイナにこんなふうに守られる日が来るなんて、思ってもみなかったわ」
「私も成長しているってことよ、お姉様」
「ええ、そうね」
お姉様の優しい笑みに、耳の先が熱くなるのを自覚する。
少し照れてしまって、視線を少し横に向ける。
その先で――ミネルヴァがこちらを睨んでいた。
青い瞳には露骨な敵意が宿っている。
(偽聖女様、ご機嫌斜めね)
その視線を、軽く受け流した。
(何度だって壊してあげる)
あなたたちがどれだけ巧妙に罠を仕掛けても。
そのたびに、私はお姉様の隣で、全部ひっくり返してやる。
そう心の中で静かに誓いながら――私は、お姉様の笑顔をもう一度だけしっかりと目に焼き付けた。
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