第11話 辺境派遣へ
一カ月という時間は、案外あっけなく過ぎるものだ。
新聖女ミネルヴァとお姉様の共同施療から、もう一カ月が経っていた。
その間も、王都は相変わらず「二人の聖女」の話題で賑やかだったけれど――別の噂も、少しずつ混じり始めていた。
『北の辺境で、魔物災害が増えているらしい』
『村ごと避難したところもある』
『聖女を派遣するかどうか、神殿と王家が協議中だ』
そんな話が、酒場でも市場でも、ちらほらと耳に入る。
(……来たわね)
やがて正式な通達として、それは現実になった。
「今代の聖女エリシアを、北の辺境へ派遣する」と。
これは、珍しいことではない。
お姉様は何度も辺境に赴いている。
魔物の被害があれば、癒しの力で負傷者を救い、現地の避難所に聖女自ら足を運ぶ。
他の聖女候補なら、まずやらないことだ。
だからこそ――お姉様は「史上最高民の聖女」と呼ばれている。
(問題は、そこじゃない)
今回、耳に挟んだ通達には、聞き捨てならない一文が付け加えられていた。
『新聖女ミネルヴァも、同行することが決まった』
回帰前。
あの時間軸で、お姉様が何度も辺境に派遣されていたことは知っている。
けれど――ミネルヴァが同行したことは、一度もなかった。
一度も、だ。
(つまり)
今、目の前で進もうとしているのは、「前の時間軸にはなかった筋書き」。
何かを仕掛けるつもりでなければ、わざわざ新聖女を危険地帯に連れ出したりしない。
(カルディス……やっぱり、あの男ね)
神殿長。
お姉様を「古い聖女」として切り捨て、新しい玩具を持ち上げようとしている男。
辺境は、何が起きても「事故」で片づけやすい場所だ。
(行くしか、ない)
そう決めるまでに、迷いはほとんどなかった。
伯爵家の応接室。
父が、信じられないものを見るような顔をしていた。
隣で母も、青ざめた顔で口元を押さえている。
「北の辺境……? お前も、そこへ行くつもりなのか」
「ええ。お姉様の付き添いとして」
「付き添いだと? レイナ、お前は伯爵家の娘だぞ。辺境の魔物災害は、今や半ば戦場のようなものだと聞いている。そんな場所に――」
「だからこそ、ですわ」
父の言葉を遮るように、私は静かに告げた。
「今の北は、人も物資も足りていません。神官も治癒術師も不足している。お姉様の負担が増えるのは目に見えているでしょう?」
「それは神殿の役目だ。王家も軍も動く。お前一人、行ったところで――」
「それでも、行きます」
きっぱりと言い切ると、父が一瞬、言葉を失った。
「どうせ私は、もう『優等生の伯爵令嬢』には戻れませんもの」
自嘲気味に笑う。
「魔法学園もろくに通わず、侯爵家の変人魔術師のもとに入り浸っている娘なんて。経歴も体裁も、とっくに投げ捨てましたわ」
あの時間軸で、お姉様を見殺しにした「レイナ」に。
私は二度と、戻らない。
両親がなんと言おうと、私は絶対に行く。
お姉様を助けるために。
出発の日。
門の外で待っていた馬車に乗り込み、神殿の出発地点へ向かった。
王都北門近くの広場には、既に多くの兵士や神官たちが集まっていた。
荷馬車、武具を積んだ車列、神殿の紋章が刻まれた白い馬車――。
(本当に、大規模な派遣になりそうね)
その一角に、白と水色のローブがひときわ目立っていた。
新聖女ミネルヴァ。
そのすぐそばには、神殿長カルディスの姿もある。
少し離れた場所には、お姉様の姿もあった。
私は自然とそちらへ歩み寄る。
「レイナ、来てくれたのね」
「当たり前でしょう? 最後まで、お姉様のそばにいますわ」
そう言ってお姉様と並び、神殿の馬車の方へ向かおうとした――そのとき。
「お待ちください」
柔らかな、けれど妙に冷たい声が、行く手を遮った。
ミネルヴァだ。
彼女はいつもの「控えめな聖女」の笑みを浮かべながら、私とお姉様の間に一歩踏み込んできた。
「レイナ様でしたかしら。聖女エリシア様のご妹君」
「ええ。お姉様の付き添いとして――」
「申し訳ありませんが」
ぴしゃりと、その言葉を切り捨てるような口調だった。
「いくら聖女様のご家族とはいえ、今回のような辺境への派遣に、民間人をお連れするわけにはまいりません。王都から離れた北方は危険ですし、神殿としても責任が取れなくなってしまいますわ」
「私は、ある程度の自衛も――」
「それでも、です」
ミネルヴァの笑みが、ほんの少しだけ深くなった。
「今回の派遣は、神殿と王家と軍が決めた任務です。聖女様と直接関係のないご家族を同行させる許可は、下りておりません」
その言葉に、周囲の神官たちも「そうだ」と頷く。
つまりこれは、ミネルヴァ個人の意見というより、「神殿としての決定」という形なのだろう。
(……なるほど)
まさかここで、あからさまに「排除」してくるとは。
カルディスの差し金か、あるいは――私が何かしたことにうっすら気づき始めているのか。
(共同施療の時の、ブレスレットと杖の件ね)
魔道具の異常に気づく程度の術師がいれば、外部からの干渉の可能性くらいは報告しているはずだ。
そこから私に疑いが向くのは、時間の問題。
「レイナ、無理はしなくても――」
お姉様が心配そうに私の腕を掴む。
その手の温もりが、かえって胸を締めつけた。
(ここで引いたら、次はない)
辺境で何が起きるのか。
回帰前にはなかった筋書きが、今まさに動こうとしているのに。
新聖女の言葉に、公然と逆らえる立場ではない。
神殿の馬車にも乗せてもらえない。
(……本当に、どうしようもないの?)
そう思った、その時だった。
「――それは少し困るな」
よく通る低い声が、広場のざわめきを割った。
驚いて振り向くと、そこには灰青の瞳をした男が立っていた。
黒いマントの下には軍服。胸元には、精鋭魔術師部隊の紋章。
「ヴァルト様……!?」
思わず声が裏返る。
ヴァルト・エインズワース。
私の師匠にして、侯爵家の嫡男であり、そして――本職をさぼりがちな精鋭魔術師。
「エインズワース様……?」
ミネルヴァが目を瞬かせる。
カルディスも、一瞬だけ表情を動かした。
ヴァルトは彼らに向き直り、あくまで穏やかな声で告げる。
「このレイナ・モランテスは、俺の弟子だ」
さらりと爆弾発言を投げてきた。
「今回、精鋭魔術師部隊から俺自身が派遣に同行することになった。弟子を連れて行くのは、聖女の身内だからではない。魔法使いとして、現場で動かせると判断したからだ」
ミネルヴァが、わかりやすく表情を固くした。
「で、ですが……今回の派遣は非常に危険な任務で――」
「危険だからこそだろう?」
ヴァルトは肩を竦める。
「辺境での魔物災害に対処するには、治癒だけでなく、情報収集や現地での迅速な対応も必要だ。俺としては、使える戦力は一人でも多く連れて行きたい」
(戦力評価、されたわね)
心の中で小さく苦笑する。
もちろん、これは詭弁だ。
けれど「精鋭魔術師部隊所属のエインズワース卿」がそう言い切ってしまえば、神殿側も簡単には否定できない。
「神殿としては、聖女の妹だから連れて行くことに難色を示すのは理解しますが」
ヴァルトの口元に、薄い笑みが浮かぶ。
「これは聖女とは別系統の話だ。精鋭部隊の一員として同行させる。――それでもなお反対されるのであれば、軍と神殿で改めて協議の席を設けることになりますが」
つまり、「ここで揉めると面倒ですよ」と、遠回しに言っている。
ミネルヴァの視線が、ちらりとカルディスに向かう。
カルディスは一瞬だけ目を閉じ、すぐに柔らかな笑みを浮かべ直した。
「……いえ。エインズワース卿がおっしゃるのであれば、神殿としても異を唱える理由はありません」
実際には、異を唱えたいのだろうけど。
「レイナ様におかれましては、くれぐれも無理をなさらぬよう。あくまで軍の指揮系統に従っていただく形であれば、問題はないでしょう」
ミネルヴァは、悔しさを飲み込むような顔で小さく頷いた。
「……わかりましたわ」
それ以上は、言えないらしい。
新聖女としての権威はあっても、軍の編成にまで口を出せる立場ではない。
カルディスも今は引くと判断したのだろう。
「では、出発の準備を続けましょう」
カルディスが話を打ち切るように言うと、ミネルヴァは神殿の白い馬車へと向かって歩き出した。
ちらりとこちらを睨んでいるような気配がしたけど――無視しておく。
「レイナ」
お姉様が、名残惜しそうに私の手を握った。
「同じ馬車じゃなくなってしまって、ごめんなさいね」
「お姉様のせいじゃないわ」
私は首を振る。
「どうせ現地に着いたら、すぐ仕事。道中くらい、少し離れていても平気よ」
本当は、一緒に行けたら心強かった。
けれど――お姉様にはお姉様の役目がある。
私は、私の場所で動くしかない。
「辺境に着いたら、またすぐ顔を出しますわ」
「ええ、待っているわ」
短い言葉を交わし、お姉様は神殿の馬車へ。
私はヴァルトとともに、軍側の黒い馬車に向かう。
馬車の中は、思っていたよりも静かだった。
揺れる車輪の音と、馬のいななきが遠くに聞こえる。
「……まさか師匠が来るとは、思ってませんでしたわ」
座席に腰を下ろして、開口一番にそう言うと、ヴァルトはあっさり頷いた。
「まあ、そうだろうな。俺自身も、来るつもりはあまりなかったし」
「えっ?」
「だが」
彼は窓の外をちらりと見て、愉快そうに口元を吊り上げた。
「辺境で、退屈しない程度には面白いことが起こりそうだと聞いたらな。行くしかないだろう」
「……誰のせいで、ですの」
「さあな」
とぼけた声。
けれど、その灰青の瞳はどこか優しかった。
「精鋭部隊の連中も驚いていたぞ。『お前が自分から現場に出るなんて、何年ぶりだ』とな」
「普段どれだけサボってるんですのよ、師匠」
「必要な時にはちゃんと出る。今が、その必要な時ってだけだ」
さらりと、そんなことを言う。
じゃあ回帰前の私が神殿で暴れ回った時も必要な時だったのかしら?
……多分、闇魔法で暴れている奴がいるって聞いて、飛んできたのかもしれないわね。
面白そうって。
でも、今回は。
(……ああ、そうか)
私のためだ、なんて、彼はたぶん口が裂けても言わない。
でも、わかる。
彼がいなければ、私は辺境に同行もできなかったのだから。
「……ありがとうございます、師匠」
素直にそう言うと、ヴァルトは露骨に顔をしかめた。
「礼はいい。弟子の尻拭いをするのは、師匠の役目だろう」
「ふふっ。でも尻拭いさせるつもりなんて、さらさらありませんわよ?」
思わず笑いが漏れる。
「私は、お姉様を助けたいだけですから。師匠に頼るつもりで来たわけじゃありません」
「知ってる」
即答が返ってきた。
「お前が、誰かに全部預けて安心するような性格じゃないことくらい、よく知ってるさ」
その言葉に、胸の奥が少しだけ温かくなる。
「だからまあ――」
窓の外に目をやりながら、ヴァルトはぼそりと付け加えた。
「弟子が暴走して、神殿ごと何かを吹き飛ばそうとした時に止める役くらいは、買って出てやる」
「そ、そんなことしませんわよ!?」
「はは、冗談だ」
本当に冗談なのかどうかは、半分くらい怪しいけれど。
それに実際に回帰前は神殿ごと吹き飛ばしたから、否定しづらいけど。
それでも、今はその軽口が有難かった。
ふと、会話が一度途切れる。
揺れに合わせて、馬車の木枠がぎし、と小さく軋んだ。
「……レイナ」
「なんですか?」
ヴァルトは、しばし私をじっと見つめてから、低く問うた。
「お前こそ、覚悟は決まっているか」
「覚悟?」
「闇魔法を使う覚悟だ」
胸の奥が、きゅっと締めつけられる。
「辺境じゃ、綺麗事だけじゃ済まない。魔物の群れとぶつかることになる。お前が使えるのは、ほとんど闇魔法だけだ。使わざるを得ない場面も出てくる」
「……わかってます」
「それを人目に晒すってことはだな」
ヴァルトの声が、わずかに低くなる。
「魔女だの、忌み子だのと呼ばれる覚悟をするってことだ。場合によっては――」
一瞬だけ、彼の視線が揺れた。
「聖女様ご本人にさえ、恐れられるかもしれない」
お姉様に、嫌われるかもしれない。
そう、はっきり言われた気がした。
喉の奥が熱くなる。
けれど、迷いは――もう、とっくに捨てている。
「もちろん、覚悟は決まっていますわ」
自分でも驚くほど、すらりと声が出た。
「例えお姉様が私を嫌っても、私一人になっても、絶対にお姉様を守りますから」
それが、この回帰で生きている意味だ。
私の未来に、お姉様を見捨てて楽に生きる道なんて、最初から存在しない。
「……だろうな」
ぽつりと漏れたヴァルトの声は、どこか諦め半分、感心半分だった。
少しの沈黙のあと――。
「一人にはしねえよ」
彼がそう呟いたのが聞こえた。
「えっ?」
思わず振り返ると、ヴァルトがわずかに目を逸らした。
「あ、いや、今のは……」
「そうですよね!」
「……は?」
ぽかんとする師匠をよそに、私は勢い込んで頷いた。
「お姉様が私を嫌うなんてこと、あるはずがありませんもの! なんて言ったって、お姉様ですから!」
あの人が、私を完全に突き放す未来なんて、想像もつかない。
たとえ闇魔法を見られたとしても――少なくとも真正面から理由を聞いてくれるはずだ。
「……はいはい、そうですね、シスコンが」
ヴァルトが、妙に不貞腐れた声でぼそりと呟く。
「ちょっと、今なんと?」
「なんでもない」
ふい、と窓の外に顔を向けてしまうその横顔が、どこか拗ねているようにも見えて――。
(……なんなんだろう、もう)
よくわからない人だ、と心の中でだけ肩をすくめた。
(お姉様、待っていて)
窓の向こうには、王都の城壁が遠ざかっていく景色が見える。
これから向かうのは、前の時間軸とは違う「未知の辺境」。
(今度は――絶対に、あなたを一人にはしない)
馬車の揺れに身を任せながら、私は静かに拳を握った。
こうして、北の辺境への派遣は始まった。
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