プロローグ
頭痛に魘されていた時によく撫でてくれた大きな父の手のひらが、風船のように爆ぜ飛び散った青い血が私の頬に染みを作った。
最後に叱られたのはベチュニアおじさんの畑からクルシュの実を盗みこっそり食べた時だっただろうか。虫歯になると甘いお菓子などもっぱら何かのお祝いにしか口に出来る事がなかった私にとって、陰別の月になると紫の皮を今にもはちきれそうなほどにぱんぱんに膨れた身を籠たっぷりに埋めていく様がとても羨ましく、たくさんあるのなら一つくらい構わないのではないかと拝借してしまったことがあった。
“人が大切に育てたものを奪うなど、その人の娘を奪うようなものだ”。頭に出来た大きなこぶの痛みより、いつでも優しさと愛情を向けてくれたその顔が私より痛いように表情をひずませてしまったのが酷く悲しく、情けなかった。そんな父を尊敬し、それから誰かのものを奪うことも、悲しませることもしなかった。優しく強く立派な父になるように。
そんな彼が絵本で見た悪鬼のように顔に深い皺を刻み、もう一方の手に握った棍棒を不気味なほどに白い肌に叩きつける。クルシュを初めてかじった時のような音が響き、果汁の代わりに真っ赤な汁が家族で過ごした居間を残酷に汚く染めていく。
逃げろ。初めて怒られたときの次に聞いた父の大きな声にも、棒のように固まった私の足を動かすことはない。ものを、命を奪うことを誰よりも嫌った父が簡単に暴力を使ったことに、目の前の平穏な生活が崩れ去っていく現実に、成熟していない意識が彼が作る大切な時間を無為に浪費させていた。
セイ、母さんを──私に振り向き叫んだ時、飛び散った赤のように眩い焔が父の逞しい身体を包み込んだ。焼いた肉のような油を含んだ煙の匂い、それが目の前の父から放たれる事実に胃の中がひっくり返りそうになる。それでも父は、前へ進んだ。細い棒のようなものを握った相手に向かって突進し、たくさんの槍に貫かれてやっと、石のように硬かった脚を跳ねて別の部屋にいた母の手を握って外へと飛び出す。母を守らねば、大切な父の代わりに、私が強く、家族を守らねば。その想いで引き続けた手の重みがいつしか軽くなったことに気づけば、腕から先の母がいなかった。それは他の村人と同じように、切り刻まれ柔い畑の土を青く染めていた。
足の裏が千切れても、喉が裂けても、走って、走って、走って、走って、私は生き延びた。
小さく力のない私が、何一つ守れずに生き残った。
私は生きなければならない。誰の記憶からも消えてしまった、あの村を覚えているために。
大切な家族のことを、心の中に生き続けさせるために。失わねばならなかった、理由を知るために。
私は泣いてもいい。だが、生きなくてはいけない。




