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「気づいた人がやる」地獄

 僕はとあるオフィスに勤めるサラリーマン。

 日用品メーカーの営業部に所属し、日々問屋や小売店を相手にしている。

 仕事はやりがいがあり、給料も悪くはない。本音を言えばもう少し欲しいけど。

 とりあえず、職場に不満はない。

 いや、やっぱりあるな。一つだけ――




 ウチの課には六人の男女が所属している。課長と部下五人という構成だ。年齢順は僕はちょうど真ん中ぐらいといったところ。

 部屋の片隅にはゴミ箱があった。

 僕の膝の高さぐらいの小さなゴミ箱だ。

 透明なビニール袋が被せられており、書類や菓子の袋などが捨てられ、だいたい二、三日で一杯になる。

 一杯になったら、袋を替えて、ゴミが入った方の袋は口を結んでオフィスの外にあるゴミ庫に持っていくことになっている。

 袋を替えるのは誰の仕事かというと、課のルールでは「ゴミ箱が一杯になっていると気づいた人がやる」となっている。

 この「気づいた人がやる」が曲者なのである……。


 昼下がりのオフィスで、僕はゴミ箱を見る。

 袋の中にはもう九割ほどゴミが入っており、大きめなゴミ――例えばポテトチップスの袋などはもう入りそうもない。

 仕方ない、替えよう。

 袋を替えて、ゴミの入った袋をゴミ庫へ……だいたい5分ぐらいの作業になる。

 だが、ここでふと思う。

 そういえば、前回ゴミ袋を替えたのも僕じゃなかったか。

 確かにそうだ。一昨日の朝に替えたのを覚えてる。

 その前は……その前も僕だ。

 いや、その前も、その前も、その前も……。

 思い返してみると、僕以外の人間がこのゴミ袋を替えているのを見たことがない。


 こういうことは、気にしなければどうってことないけど、一度気にしてしまうとずっと気になってしまう。

 なんで僕ばかりゴミ箱の袋を替えているんだ、と。

 課には六人所属してるんだから、単純計算で六回に一回で済むはずなのに。まあ課長にゴミ袋を替えさせるのはアレだし、除くとしてそれでも五回に一回のはず。

 ゴミ袋替えの作業はそこまで大変でもない。せいぜい5分で終わる。

 しかし、たかが5分、されど5分だ。

 それに、もし他の人に「どうせあいつがやるから自分はやらなくていいや」と思われてるとすると腹も立ってくる。

 頼りにされるのは気分もいいが、いいように利用されるのはただただ不快だ。

 だから僕は決心した。

 次、ゴミ箱が一杯になっても僕は替えない。他の誰かが替えるのを待とうと。


 それから数日経ち、またゴミ箱が一杯になりつつあった。

 今日はオフィスに全員いる。僕は絶対替えないつもりだから、この中の誰が替えることになるのか……。

 みんながちらほらとゴミを捨てていき、ついにゴミ箱は満杯になった。

 次に捨てる人が「あ、もう満杯だな」とゴミ袋を替えることになるだろう。

 僕はその時を固唾を飲んで見守る。

 さて、さっそく一人の社員がゴミを捨てようとする。チョコレート菓子が入っていた箱を――なんと、ゴミ箱に無理矢理押し込んだ。

 これならまだ満杯じゃない。袋を替える必要はないとばかりに。

 いや、そんなのアリかよ、と僕は心の中でツッコんでしまう。

 次の社員が来る。今度こそ替えるか――と思ったが。

 またもゴミを押し込むように入れ、替えずに済ませてしまう。

 その後も、ゴミ箱にはゴミが捨てられるが、押し込むなり、前のゴミに載せるように置くなりで、誰もビニール袋を替えようとしない。

 見てられなくなり、僕はついにビニール袋を替えた。

 結局また僕が替えるのかよ……と思わずため息が出た。


 もう一度チャレンジしてみることにした。

 今度はどんなに気になっても、絶対ビニール袋を替えないぞと固く心に決めた。

 ゴミ箱に順調にゴミが捨てられていき、数日経って、ゴミはゴミ箱から溢れんばかりになった。

 ここからはみんながゴミ箱にゴミを押し込んでいく。

 まだ入るから替えないと言わんばかりに。

 僕は気になって仕方ないのだが、心を鬼にしてというか無にしてというか、とにかくじっと袋を替えずに待つ。

 ゴミ箱の体積は有限なんだから、いつか絶対ゴミが溢れる時が来る。

 そうなったら、さすがに替えるだろう。

 そして、ついにその時が来た。

 ある先輩がスナック菓子の袋をゴミ箱に押し込むが、もう満杯で、どうやっても押し込めない。

 さすがに替えるだろ……と思って眺めていたら。

 なんと先輩は、その袋をゴミ箱の横に置きやがったのだ。

 いや、ちょっと待ってくれ。それは無しだろ。だってゴミ箱に入ってないじゃん。これがアリならポイ捨てだってアリになってしまう。袋を替えなきゃ。

 その後も、課の同僚たちはその先輩と同じようにゴミ箱の横にゴミを置いていく。

 誰もビニール袋を替えようとしない。

 ゴミ箱が満杯になったと気づいた人は、ビニール袋を替えなきゃいけないというルールのはずなのに。

 業を煮やした僕は、ついに後輩に言ってみることにした。

 ゴミの生息地のようになっているゴミ箱を指差す。


「あのさ……あのゴミ箱を見てどう思う?」


 後輩はきょとんとしている。


「ゴミ箱が一杯になってるよね? 周囲にもゴミが置かれてる」


「なってるような、なっていないような……」


 曖昧な返事をされる。


「ゴミ箱が一杯になってるのに気づいたら、その人が袋を替えるってルールは知ってるよね?」


「知ってますよ、もちろん」


「替えてみる気はない?」


「んー……俺は気づいてないので」


 マジか、こいつ。

 他にも言いたいことはいくらでもあったが、これ以上会話しても無駄なような気がして、僕はこれ以上の追及はしなかった。

 そして、ゴミ箱のビニール袋を替えた。

 だが、これで諦める気はない。僕は最終手段に出ることにした。


 次の日の朝。課の全員が揃っている。

 始業時間になるといつも軽い朝礼があるのだが、僕はこの時意見を言うことにした。


「ちょっといいでしょうか」


「なんだね?」と課長。


「課のゴミ箱のことです」


 全員の注目がゴミ箱に向かう。


「あのゴミ箱のビニール袋は“ゴミ箱が一杯になったのに気づいた人が替える”というルールになっています。しかし、現状そのルールは機能しておらず、袋を替えるのは僕一人だけという状況になっています。これでは僕としても仕事を押し付けられているようで、あまりいい気分ではありません。なので皆さんもうちょっと積極的に、見て見ぬふりや気づかないふりなどはせず、ゴミ箱のビニール袋を替えるようにしてくれませんか? もちろん、僕だって気づいたら替えるようにはしますから」


 思いの丈をぶちまけ、提案してみた。反感を買わないよう「僕もこれからも替えるから」という一言も添えて。

 すると、課長が――


「その通りだ。確かにゴミ箱のビニール袋を替えるのはいつも君の仕事になっていた。これはよくないことだと思う。みんな、ゴミ箱が一杯になったら、いや七割、八割ぐらいになったら、袋は替えるようにしようじゃないか。それをこれからの課としてのルールにしよう」


 他の人たちからも異論は出ず、僕の意見は通った。

 課長が認めてくれたなら安心だ。よかった。これでゴミ箱の袋を替える仕事から解放される。

 僕の心は安堵感と達成感に満たされた。




 それから数ヶ月――結論から言うと、()()()()()()()()()

 いやもう驚くほど。あの朝礼はなんだったのかと思うほど変わらなかった。

 ゴミ箱にゴミが溜まっても誰も袋を替えようとせず、課長も何も言わず、相変わらず今も僕が替え続けている。

 僕も色々考えたよ。今度は当番制を提案してみようとか、いっそゴミ箱を撤去したらどうなるのかとか。でもやめた。なんとなく何も変わらないだろうなってのが分かり切ってるからだ。

 この件についてこれ以上ゴチャゴチャ考えることもしたくないってのもあった。

 ようするに諦めたのだ。

 僕はもう「気づいた人がやる=僕がやる」ルールを受け入れ、今も仕事を続けている。

 職場にこのこと以外の不満もないしね。さすがにゴミ箱の袋を替えるのが嫌だからで退職する勇気はない。

 それにしても、と思う。

 気づいた人がやる、をいつも自分ばかりやらされてる人。

 僕みたいな人はきっと世の中には沢山いるんだろうな。僕みたいな人がいるから成り立ってる職場や業界も多いんだろうな。

 それを想像すると、僕は少し怖くなった。






お読み下さいましてありがとうございました。

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― 新着の感想 ―
こういう作戦モノの冒険物語無性に好きです。主人公は救われてほしいと思いながら、笑いながら一気呵成に読み飛ばしてしまえた。ステキなコメディ―だと思います。
最後どうなるんだろう、まさかハエとかゴキとか来ても放置されて、ついに主人公だけが逃げ出すのかな、とか思いました・・・。 ゴミ以外不満がない職場なのに、せめてその分だけ給料上げてほしいですよねw
群集心理などをテーマにしたような、ヒトコワホラーみたいなものですね。
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