5 婚約者?それとも友人から?
ルーナは、何度か心の内でマリウスの言葉を反芻してみた。落ち着きを取り戻すために。
――逆に動揺は深まり、今すぐ全力で逃げ出したい気分になった。
「お、お戯れを……」
「戯れなどではありません、私は本気です」
辛うじて言葉を絞り出したルーナだったが、即座に否定されてしまった。
どこか熱を感じさせる、真摯さを帯びたマリウスの視線。確かに、とても戯れには見えない。
気恥ずかしさのあまり、ルーナはつい目線を逸らしかける。
「お願いだ、僕から目を逸らさないでほしい」
甘く、優しげな声で引き止められた。
その声音と、僕という普段とは違う一人称にルーナはどきりとした。
逸らそうとしていた視線を、マリウスの方に戻す。
ルーナの深い紫の瞳を、淡い青紫の視線が射貫いてくる。
マリウスの目は、まるで宝石のようだった。
艶やかな黒髪の間から覗く瞳が、シャンデリアの光を受けて煌めいている――ルーナは、そんな光景につい魅入ってしまった。
ふと。ルーナは、マリウスの瞳がわずかに紫の色味を持つことに気づいた。
この色彩の瞳は、精霊を見ることができる特別な目を持つ証だ。
皇族――しかも、人を避けているお方の瞳を見つめる機会など無かったので、気にも留めていなかったのだが。
そうなると、ひとつ気になることが出てくる。
(殿下も、魔法と精霊術を扱われるのかしら)
すると、まるでルーナの心を読んだのではないかというタイミングで、マリウスが小声で告げた。
「お気づきかもしれませんが、僕も精霊が見えます。さすがに貴女のようにはいきませんが、精霊術も多少は」
ルーナはマリウスの言葉に瞠目した。
魔法と精霊術、両方を扱う人にこれまで会ったことがなかったからだ。
ルーナの生家、ベルニエ家は精霊術の名門だ。しかし、ここ三代は精霊術士を輩出することができていなかった。
そのため、ルーナの血縁者の中に精霊術を扱える者はいない。
精霊が見える人間が、精霊術を学ぶために時折家を訪ねてくることはあった。
だが、先祖返りのルーナに匹敵する使い手など来る訳がなく。そして、精霊術士は基本的に魔法を学ばないものだ。
精霊にも魔法にも関心があって、実際に扱っている人。つまるところ、本当の意味で話が合う人が、ルーナの周囲にはこれまでいなかった。
初めて出会った、魔法にも造詣が深い精霊術の使い手。ルーナは不敬だとは自覚しつつも、マリウスに対して少し親近感を抱き始めた。
一方のマリウスは、ルーナがしばらく言葉を発さなかったことに焦りでも感じたのか。突然、饒舌に話し始めた。
「慕っているなどと言った癖に何を今更、と思われたかもしれません。ですが、傷心の貴女と無理に婚約を結ぼうなどとは、僕は思っていません。まずは友人として仲を深めさせて頂ければと……そう考えています」
「ゆうじん……」
「ええ、友人です。窮地を友に救われた……その程度の軽い気持ちで、我が国へ来ていただけないだろうか。もちろん、国内での貴女の身の安全と自由は僕が保障します」
友人。それも、精霊が見える――つまり、本当の意味で自分と同じ世界を見て、価値観を共有できるかもしれない人。
ルーナにとっては、とても甘美な響きの言葉だった。
だが、同時に違和感も覚える。
(言葉の表面だけなぞれば、とても素晴らしいお話に聞こえる。でも、やはり不自然だわ。マリウス殿下はこれまで、どう考えても私を避けていた。そんな方が、ここまでして私を帝国へ連れて行こうとするなんて……)
希少な精霊術士を、この機会に帝国で囲い込んでしまいたいと思ったのではないだろうか――ルーナはそう考えた。
エルフの血を引く先祖返りの精霊術士など、この大陸にはルーナくらいしかいないはず。しかも、魔法に関しても相当な修練を積んでいる。
今のオードラン国では何の価値もない、むしろ邪魔者扱いなのだが――ルーナ自身、本来は己が相当に貴重な存在だという自覚はあった。
一歩国の外に出れば、喉から手が出るほど欲しいという者は少なからずいるだろう、とも。
(多少強引に迫っても誤魔化しがききそうな建前がこれだった。そう考えれば、この脈絡のない告白と友人扱いにも多少は納得できる気がするわ。不覚にも感情を揺さぶられてしまったけれど、あれもこれも、きっとすべて計算ずくだったんだわ……少し悔しい)
悔しさを感じたと同時に、ルーナは少し面白くなってきてしまった。
非凡な才を持つ、近づきがたい雰囲気の皇子が実はとんでもなく不器用なお方だという事に気づいてしまったから。
(リオネル様の婚約者として同席し、何度かお会いしたこともあるけれど……私を見るといつも不機嫌そうなご様子だったし、学園でも明らかに私を避けていた。そんなお方が、いきなり慕っているの一言で通せるとお思いになるなんて……大胆なのか、不器用なのか)
とはいえ、これに乗らない手はない。本当に慕っているかは怪しいところだが、ルーナの能力を欲しているのはおそらく事実だ。
少し楽観的かもしれないが、そこまで悪い扱いは受けないはずだ。
ただ罪人として国外へ追放されれば家族に迷惑をかけてしまう。
だが、これを利用して自分がヴァルトシュタインの皇族と縁付けば、多少なりとも家族を守る盾になれるのではないだろうか。
心は決まった。
ルーナはマリウスに対して、令嬢らしいにこやかな笑みを向けた。