4 隣国皇子の求婚は突然に
現れた人物の姿を見て、周囲は騒然とした。
大陸最大の版図を誇る、ヴァルトシュタイン帝国の第二皇子――マリウス・フォン・ハルデンベルク。
つややかな黒髪、淡い青紫色の瞳。まだあどけなさの残る、穏やかなかんばせ。
大帝国の皇子とは思えないほどに、優し気な風貌だ。だが、纏う雰囲気には他者を圧倒する風格のようなものがあった。
国同士の友好関係を示す一環として、マリウスは一年ほど前からここオードラン国の学園に留学している。
最初こそは他国の皇族と縁を結びたい野心家の貴族子女によく囲まれていたが、次第にその足は遠のいていった。マリウスが周囲の人間と関わることを避けていたからだ。
そんなマリウスが、パーティーの会場に現れた。驚くのも無理からぬ話だった。
マリウスはルーナの方を見てそっと微笑んだ。
(いま、目が合った? しかも、笑いかけてきたような……)
気のせいかとルーナが考えていると、リオネルが声を上げた。
「おお、マリウス皇子! これは良いところに!」
随分と嬉しそうな様子だ。マリウスが新たな婚約を祝福しに来てくれたと思ったのだろう。
だが、当のマリウスはそんなリオネルを一暼だけして無視した。
そして、ルーナの前に跪く。
リオネルは、手を振った姿のまま固まっている。
「直接お声がけするのは初めてですね、妖精の君よ。私はヴァルトシュタイン帝国の第二皇子、マリウス・フォン・ハルデンベルクと申します」
妖精の君――妖精に近い種族と言われるエルフ、その先祖返りであるルーナにつけられたあだ名だ。
レティシアが台頭する前のルーナは、そう呼ばれることが多かった。
親しい仲ではないルーナの名を直接呼ばないよう配慮しつつも、敬意を持っていることを示すためにこの呼び方を選んだのだろう。
妖精と呼ばれる銀の髪の少女が、まだあどけなさの残る美しい青年に跪かれる。
はたから見ればロマンティックな光景だろう。現に会場の女性たちは見とれている。
だが、ルーナはそれどころではない。この異常な状況をどう収めるべきか思案していた。
高貴な方が下位の者に対して跪くなど、あってはならない。
しかも、ルーナは先ほど婚約を破棄され、国外追放が決まった身――つまるところ罪人なのだ。
(私などが意見するなんて、不敬だとは思うけれど)
この状況が続くほうがよっぽどまずい。
そう判断したルーナは、ひと呼吸だけ置いて言葉を発した。
「不躾ながら、殿下。このような行為はどうかお止めくださいませ」
思ったよりも冷たい声が出た。
必要以上に無礼な印象を与えてしまったのでは――とルーナは不安を抱く。
マリウスがわずかに目を見開いた。まさか諫められるとは思わなかった、という様子だ。
驚きはしたようだが、不敬だと咎められそうな雰囲気はない。
ルーナは少し安堵し、マリウスが立ち上がるのを待ったのだが。
そのままの姿勢で首を横に振られた。どうやら聞き入れるつもりはないようだ。
(誰でもいいから、殿下を止めてくださる方はいないの……)
ルーナは周囲の様子を伺う。
だが、この国の王子――先ほどまでルーナの婚約者だったリオネルは、レティシアと共にその場で棒立ち。
そして、居合わせた貴族達は周囲の者と顔を見合わせるばかり。
ルーナは思わず頬が引きつりそうになる。
(隣国の皇子殿下に恥をかかせているのよ……なぜ止めに入らないの!)
普通はこういった行為は従者が止めるのだろうが、マリウスは従者はおろか護衛の騎士すら連れず、いつも一人で行動している。
皇族としては安全面に懸念しかない過ごし方だが、帝国でも随一の魔法の才を持つというマリウスにとって、他の人間は足手まといでしかないのかもしれない。
(もう自力で何とかするしかないわ)
ルーナが強めに進言しようとしたその時。
マリウスが跪いた姿勢のまま、そっとルーナの手を取った。まるで、壊れものを扱うような優しい手つきで。
急に触れられてルーナは驚き、少しだけ肩が跳ねてしまったが、表面上は落ち着いて見えるよう取り繕う。
――その跳ねた肩の方へ、ほんの一瞬だけマリウスが視線を向けていたことには誰も気が付かなかった。
二人の視線が交差する。
マリウスはルーナの顔を見つめ、満足そうに微笑みながら言葉を紡いだ。
「妖精の君よ、僕は貴女をお慕いしております――どうか、私とともに我が国へ来ては頂けないだろうか」
「……へっ?」
自分に向けられたとは思えない言葉に驚き、ルーナは令嬢にあるまじき素っ頓狂な声を出してしまった。