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明治元年の断頭台  作者: 大澤伝兵衛
第一章「山田朝右衛門とアンリ・サンソン」
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第八話「処刑人の刀法」

 吉直達に近づいて来た十人ほどの集団は、皆一様に覆面で顔を隠していた。大きな布で頭を包み、見えるのは目くらいのものである。そのため何者なのか全く分からない。だが、冷静に観察すれば中身の概要が見えて来る。


 覆面から見える目には、青い瞳が混じっている。半数位は黒や茶色なのだが、半数は日本では見かけない色である。吉直はこの様な瞳を、昨日までは異人を書いた姿絵くらいでしか見た事が無かった。実物は先程初めてアンリエットに出会って見たばかりである。


 衣服も、半数は普通の着物に袴を履いているが、残りはアンリエットと同様異人が着用する様な型式の洋装だ。


 そして彼らは一様に武器を構えて接近してきたのだが、半数は刀、残りは少し細身の異国風の拵えの曲剣を携えている。


 ここまでの要素が揃っていれば、例え顔は見えなくとも正体が知れて来る。


「こいつら、日本人と異人が混成した集団の様ですね」


「うむ、珍しいものだ」


 開国から既に十年以上経過しているが、日本における異人の行動範囲には制限がある。決められた範囲以外で行動するには、学術的な調査などの適切な理由が必要であるし、許可を申請する必要がある。そのため異人と日本人が知り合う機会自体が限定的だ。


 その様な協定を結んだ日本側の当事者である幕府は既に大政奉還で当事者としての能力を失っていると言える。そう考えれば協定を破って決められた行動範囲の外で勝手に行動し、日本人と共に行動する異人がいてもおかしくはないのかもしれない。だが、この様な治安上の不安がある時期にわざわざ危険を冒して安全な居留地の外で行動する者はあまりいない。現に居留地を守るフランス軍の軍人が殺害されているのが今回の事件なのである。


 となると、この様に行動を共にする日本人と異人の集団は非常に珍しいと言える。


 もっとも、今は吉直もフランス軍人のアンリエットと行動をとっているのであるが。


「お前ら、一体何をしている。武器をしまわんか!」


 文吾が長十手を突きつけながら、厳しい口調で問い質した。見るからに怪しく、見るからに危険な集団であるが、それだけの理由で積極的にこちらから攻撃を仕掛ける事は出来ない。文吾は既に滅びそうであるとはいえ幕府が人々を守るために作った町奉行所の同心である。町奉行所が治安を守ると言う事はあくまで犯罪を予防したり、罪人を捕えるという事だ。先制攻撃を仕掛けて殲滅するような真似は出来ない。火付盗賊改とは違うのである。


 アンリエットもフランス軍人として不用意な行動はとれない。軍人は命令があるのなら時として敵を殲滅する事すらある。だが、状況が不透明なのにその様な判断をする事は出来ない。例え後手に回る事で自分の身が危険に晒されたとしてもだ。それが軍人というものである。そして、軍の士官とはある意味国の外交官の様なものである。軍事行動とは外交の延長線上にあるため、軍人、それも士官であるならば、自らの行動が外交に与える影響も考慮せねばならないのである。


 吉直はアンリエット達の様な立場は有していないが、争いごとを好んだりはしない。十分な警戒はするが、先制攻撃などはしない。一先ず公的に治安を守る職務にある文吾に任せるつもりであった。


 だが、残念ながら文吾の行動は無駄に終わる。覆面の男達は手にした武器を振りかぶり、襲い掛かって来た。


「交渉決裂ですね」


「今のが交渉に見えたのか!」


 刀こそ抜かず先制攻撃はしなかった吉直達であったが、心まで後手に回っていた訳ではない。すぐに対応を開始する。


 相手に一番近い所にいた文吾は、手にしていた長十手を相手に手裏剣の様に投擲し、それが顎に命中した相手の一人は昏倒した。通常の短い十手は身分証明に用いたりするのに対し、長十手は普通の十手に比べて実戦的な武器である。十手はその鉤の部位で相手の刀を挟んで奪い取ったり刀身を折ったりする戦闘方法が有名であるが、そんな事を実際にやってのけるのは困難だ。だが、長十手はその長い間合いや丈夫な作りによりある程度刀に対しても有効に戦う事が可能だ。しかも、刃物ではないので相手を殺してしまう可能性は低い。


 ではあるが、それでも複数の刀を持った相手を長十手でするのは、やはり余りにも不利なのだ。そのため、即座に長十手は放棄して刀を抜く判断に出たのである。


 泰平の世が続き、武芸を身につけぬ惰弱な侍が幅を利かせていた時代であった徳川の世であるが、町奉行所の同心は常に治安を守るための最前線にいた。そのため様々な兇賊と対峙していたため実戦経験は豊富である。これは、単なる町道場での剣の腕前の上下とは一線を画している強みである。


 長十手を手放した文吾は素早く抜刀すると、そのまま勢いをつけて敵陣に突入し、斬り合いを開始した。剣の腕前も確かであり、切り結ぶ相手達を圧倒していく。


 それに対して吉直は、実のところ剣術はあまり得意ではない。と言うよりも、剣術を正式に学んだ事すら無いのである。吉直は子供の頃から実の父から先祖から伝わった刀の使い方を学んでいたし、七代目山田朝右衛門の養子になってからは試し切りのための技術に関して手解きを受けている。


 だが、これはあくまで試し切りのための技術であり、敵との攻防は一切稽古した事が無いのだ。


 これには理由がある。山田家は処刑人の一族であるため、穢れた存在とされてきた。そのため吉直達山田家の人間を入門させてくれる道場など無かったし、もしもそんな奇特な道場主がいたとしても他の門弟は皆去ってしまうだろう。そんな事になっては申し訳がないので、そもそも剣術道場に入門しようとした事すらないのだ。


 もしかすると、落ちぶれて食い詰めた浪人などに頼めば、剣術の指南を受ける事が出来たかもしれない。だが、この様な場合で教えてくれるような浪人は犯罪者と紙一重の存在であるため、犯罪者を処刑する山田家とは相性が悪い。その様な無頼の輩と交わっては公儀処刑人の名が泣くというものだ。そして、浪人の中でも誇りのある者は山田家と関わろうとしないのである。


 世の中ままならないものだ。


 だが、それは吉直が弱いと言う事を意味しない。山田朝右衛門の一族には伝えられて来た特有の戦い方がある。


 刃渡り三尺の刀を抜いた吉直は、上段に振りかぶって相手の接近を待ち構えた。白刃を向けて迫る男たちを見据えながら、その表情は微動だにしなかった。そして、


「きえええぃ!」


 相手が一足一刀の間合いに入ったその瞬間、裂帛の気合と共に足を大きく踏み出し、一気呵成に刀を振り下ろした。その刃は相手の持つ刀を打ち据え、真っ二つに叩き折る。吉直の刀は無銘であるが、肉厚の刀身はその造りに見合った重量と強度を有している。それを打ち付けられては、その辺のなまくら刀ではひとたまりも無かった様だ。いや、名の知れた名刀であっても破壊を免れなかったかもしれない。


 自らの得物が一瞬で叩き折られた覆面の男は、折れて柄だけになった刀を取り落とすと、その場にへたり込んだ。


 ここまで一挙動で行った吉直は、ちらりと横で戦う仲間の方を見た。文吾ではない。文吾は実戦経験豊富な同心であり心配する必要はあるまい。それに、これは本来文吾の使命である。例え文吾が武運拙く死んでしまったとしても、心は痛みはしない。


 だが、アンリエットは別である。アンリエットは遠く故郷から離れて日本に来た軍人だ。もちろん軍人であるからしてここで死んだとしても職務であると言えるのだが、やはり異人であるからにはこの日本の地ではお客様である。死んでしまっては寝覚めが悪い。


 しかも、アンリエットが携えるのは刃渡り四尺ほどの大剣である。吉直の刀も長い方だがアンリエットの剣の方が更に長い。日本にも戦国時代にはこれと同程度以上の刀を操った例があるので実用品ではないと言い切れないが、それでもやはりこれを使いこなすのは難しい。それに、異人の侍は剣では無く銃で戦うのを本分としていると聞いた事がある。つまり、アンリエットは実用品としてこの大剣を持って来ていない可能性が高い。そして、今は銃を持っていない。


 ならば吉直が守ってやる必要がある。 

 

 そんな事を考えながら吉直はアンリエットを観察したのである。


 だが、吉直の危惧は杞憂であった。アンリエットはその大剣を見事に操り、迫る敵を撃退していたのである。しかも、


「ほう……」


 なんとアンリエットの戦闘方法は、吉直のものと寸分違わぬものであったのだ。

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