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明治元年の断頭台  作者: 大澤伝兵衛
第一章「山田朝右衛門とアンリ・サンソン」
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第六話「仏蘭西陸軍少尉 アンリエット・サンソン」

 長大な剣を背負った人物が近づいて、よりはっきりと見えてくると実に異様な風体である事が分かって来た。


 先ず、背負っている剣は反りの全くない物で、刃渡りだけで四尺近くある。吉直の携えた三尺の刀ですら普及している物と比べると長大なのに、遥かに超える巨大さだ。戦国時代には斬馬刀やら野太刀やらこれに匹敵する大きさの刀が使用されていたと聞くが、実際に見るのは初めてだ。


 剣の使い手として、あれは飾りなのか実用品なのか気になった。


 また、その服装も異様である。濃い青みがかった上着を着用しているが、普通の着物と違い体形に合わせた縫製で、少々窮屈そうに見える。それに、上着のあちこちに金色の刺繡がされており、実に豪華である。あの様な目立つ服を着るのは傾奇者くらいではないだろうか。履いているのは赤い袴であるが、これも襞は無く、脚の形が分かる様な作りである。


 そして極めつけはその中身だ。円筒形の帽子を被ったその下には、彫りの深い整った顔が姿を覗かせている。切れ長で涼やかな印象を受けるその目の色は青い。そして髪は金色だった。


 昨今の社会情勢にあまり詳しくない吉直であったが、流石にこれだけ見せつけられれば理解出来た。


 異人である。


 それも、異人の侍なのだ。


 開国以来異人の姿絵は数多く描かれており、吉直も何枚か目にしたことがある。中でも最初に開国の約定を結んだ相手の大将であるペルリの絵などは飛ぶように売れたらしく、山田家にも何枚かあった。そこに描かれていた異人の男は、今目の前にいるような異人の侍と似たような衣服であった。


 ただ、ペルリは鬼の様な顔立ちだったのに、目の前の人物は天人の様だ。


「吉直殿、異人だ。しかも仏蘭西の軍人の士官――旗本らしい。この様な事件現場にあのような剣を持って現れるのは非常に怪しいが、揉め事は避けたい。注意するように」


 文吾が注意事項を吉直に述べている間にも異人の侍――軍人は近づいて来て、そして口を開いた」


「Bonjour」


「ぼ、ぼんじゅ……なんだ?」


「失礼した。こんにちは……でしたね」


「なんだ、こちらの言葉が話せるのか。こんにちは」


 だしぬけに意味の分からぬ言葉をかけられて吉直は混乱した。だが、相手は失敗に気付いたのだろう。すぐに日本語で言いなおした。どうやら最初の言葉は挨拶の意味があったらしい。


 予想外に高い声で、短い言葉ながら流暢な日本語を操っている。


「ごほん、我らは江戸町奉行所から派遣されてきた者で、ここで起きた事件を調査しに来た。拙者の名は浜田文吾と申す。町奉行所の同心である」


「私は山田吉直と申します。浜田様の協力者の様な者です」


 異人ではあるがあれだけ流暢に日本語を使いこなすのだ。当然先程文吾が言った怪しいという言葉も理解出来ただろう。それを誤魔化す様に口早に挨拶した。


 吉直は、必要最小限の情報だけ伝えた。異人に山田朝右衛門の一族だと告げても意味は分からないだろう。詳しく説明する必要性も無い。それに、異国に処刑人などという職業があるかどうかすら分からないのだ。面倒な事は避けておきたい。


「浜田殿と山田殿ですね。私は、フランス陸軍少尉、アンリエット・サンソンと言います。ここに来たのは、あなた方と同じく事件の調査のためです。この剣は、危険が予想されるので言わば護身用ですね。あまり拳銃は携行しない様に通達が出ていますので」


「そうですか。それならば、ここで出会ったのも何かの縁です。是非協力しましょう。元よりこれから居留地の駐屯軍には顔を出す予定だったのです」


 文吾は懐から懐紙を取り出し、額から吹き出た汗を拭いながら言った。まだ正月なので肌寒い日が続いている。それなのに汗が流れ落ちているのは、やはり無礼な言葉を聞かれ、理解されていた事は分かったからだ。異人だから日本語が理解出来ないだろうと適当な事は言えないという事である。


 また、横浜居留地には商館が立ち並び、積極的に貿易が行われているがそこにいるのは商売人ばかりではない。攘夷派の武士による襲撃など物騒な事件が何度も発生し、それらの危険から異人達は身を守る必要が生じた。結果、英吉利と仏蘭西の軍隊が駐留する事になり、その数は合わせて千名を超える程である。


 西洋の進んだ軍隊である。江戸のすぐ近郊にこれだけの戦力があるのだ。もしも彼らが現在日本で行われている徳川と薩長の戦いに介入したとしたら、戦いの趨勢に大きな影響を及ぼすであろう。


 だからこそ、大政奉還で徳川の権威が弱体化したこの時期に余計な揉め事は解決したいという思惑で、町奉行所は吉直達を派遣したのである。


「それではこれからよろしくお願いします」


 アンリエットはそう言いながら右手を差し出した。


「……?」


 吉直は、アンリエットの仕草が何を意味しているのか分からず頭を捻った。そこに文吾から助言が入る。


「確かあれは異人の挨拶で、手を握り合うのだ。しかし流石にそれは……おい!」


 文吾が止める暇もなく、吉直はアンリエットの右手を握り返した。


 握ってから気付く。


 山田朝右衛門の一族は罪人の処刑を役目としているために、穢れた存在だと忌み嫌われて来た。そのため、一族の人間や、特別な付き合いのある者意外とこの様に親密に接触した事は無い。だから、文吾はアンリエットの手を握ってはならぬと言おうとしていたのだろう。


 いつもは文吾に言われるまでも無く自ら注意を払っている。接触して相手を不快にさせたり、それで拒絶されて傷つくのは御免だからだ。


 なのにこの時ばかりは、自然と手を握ってしまった。不思議なものである。


 そしてアンリエットも目をきょとんとさせ、不思議そうな顔をし、手をすぐに引っ込めてしまった。まるで、本来握手を求めるつもりは無かったかのようにだ。穢れた処刑人の一族に手を振れてしまった事に気分を害して引っ込めたのではない。何かもっと別の理由の様に、吉直には見えた。


 それが何なのかは分からなかったのだが。


 その後、文吾とアンリエットは互いに軽く会釈をして挨拶を交わし、合同調査を始めることにした。

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