第五話「穢れ」
義父に旅立ちの許可を貰った吉直は、横浜居留地に向かって歩いていた。共に進むのは、町奉行所の同心浜田文吾とその小者である。
浜田文吾は北町奉行所の定町廻りであり、横浜居留地を管轄する神奈川表取締掛とは職務上関係は無い。それに、殺害されたのは南町奉行の同心浜田兵庫であるし今月の月番は南町奉行所である。本来文吾が出張る筋合いは無い。だが、その名が示す通り二人は兄弟である。文吾は兄の仇を取らんとして探索に協力する事を願い出たのである。
これは異例の事である。町奉行所の役人の縁者が事件の関係者であった場合、私情を持ち込むのを防ぐためその者は担当を外される事が多い。それでも文吾の願いが聞き入れられたのは、既に大政奉還により幕府の支配が残りわずかである事が明白であり、多少の前例破りならもう良かろうという雰囲気になっているのだ。それに、江戸市中は不安によりいつ暴動が起きてもおかしくは無い。それどころか幕府やそれに与する諸藩の暴発を狙ったと思われる事件も続発している。もう南町だ北町だと言ってられる状況では無いのだ。
それに、異人が関係する事件は速やかに解決せねば、外国の介入を招く恐れすらある。ならば、意欲のある者はどんどん活用しようという事になったのであった。
この様な事からも、吉直は徳川の世の終わりを感じ取った。
「あれが横浜居留地ですね。街道を歩いている時に何度か見かけたましが、本当にけったいな建物が並んでいますね。とても日本とは思えません」
「兄上から聞いたのが、元は日本と同じ様式の建物ばかりだったそうだ。だが、一昨年――慶応二年に豚屋火事て大火が起こり、それから異国風になったそうだ」
「豚屋ですか?」
「ああ、何でも豚肉の料理店らしい。異人どもはそんな物を好き好んで食らうらしい。穢らわしい事だ」
「……」
どうやら文吾は異人に対して抵抗感がある様だ。異国との国交を決めた幕府に仕える役人の言葉としては、少々不適切と言えるだろう。だがこの時代の人間としては普通の感覚と言えるだろう。また、異人絡みのお役目の最中に兄が死んだのだ。それが文吾の異人に対する態度に影響していても不思議ではない。
吉直には肉食に対する忌避感は一切無い。表向きは肉食は避けられているが、農村で田畑を荒らす鹿や猪を駆除した時にはそれを食すことは珍しくは無い。江戸の様な都市部であっても、薬喰いと称して肉を出すももんじ屋は繁盛している。吉直も義理の兄弟とともに何度も足を運んだものであり、その滋味に満ちた味わいは他には代えられないものだと思っている。それに肉食は穢れなどとは感じた事は一切ない。
そんな事を考えながら歩いていると、二三歩先を歩いていた文吾が石に躓き倒れそうになった。それに一早く気付いた吉直は素早く進み出て文吾を腕を掴んで引き留めた。
「触るな! ……いや、すまん」
「気になさるな」
倒れてい服が土に汚れたり、怪我をするのを防いだはずの吉直であったが手荒く振り払われてしまった。思わず振り払ってしまった側の文吾であったが、流石にしまったと思ったようである。気まずそうに謝罪した。
吉直は気にしていない。こんな事は日常茶飯事である。
処刑人として名の知れた山田朝右衛門の一族は、常にこの様な扱いを受けている。処刑を生業としている事で、穢れを纏っていると思われているからだ。町人にすら忌避されるのだ。れっきとした武士ならばなおさらであろう。
町奉行所の同心は、武士でありながら町人を相手とした様々な雑事を取り扱うし、犯罪者の取り締まりに当たり時には処罰を下す。そのため不浄役人などと蔑まれたりするのであるが、その不浄役人すらこの様な態度に出るのだ。しかも、罪人の処刑は町奉行所の判決と依頼によって歴代山田朝右衛門が執行してきたというのにだ。
だが、この様な事はもう慣れており、感情にはさざ波ひとつ怒らない。
そして、この様な扱いを受けている者が、まさか豚肉如きを穢れなどと思うはずが無いのである。
「ここだそうだ。ちょうど東海道から横浜居留地に伸びる道が始まった辺りで兄上の遺体が発見されたそうだ。異人の遺体もすぐそばにな」
気まずくなったため無言で歩いて来た文吾が、目的地に到着してしばらくぶりに口を開いた。
辺り一帯は開けており、惨劇の際に近くを人が通りかかったとしたら丸見えだったに違いない。
「確かにそうだな。だから一つの仮説を立てている」
現場を見た印象を述べた吉直に対し、文吾は同意した。そして自らも考えを披露しようとした。
「他の場所で殺害し首を刎ね、ここに運んで来たと言う事ですか」
「なんだお前も同じ考えか、まあ他に考えようもないがな」
「そうですね。獄門だって先ず取り押さえて動けない状態で首を刎ねてから晒しますからね。ここで切り合い中にあれだけ見事に首を刎ねるのは、先ずもって無理でしょう。もしそんな事が出来るとしたら、日の本一の剣士といっても過言ではありません」
少々血生臭い例えを出され、文吾は鼻白んだ様子だ。これを見て余計な事を言ってしまったと吉直は少し後悔した。家業のせいか普通の者とは死生観が違う。そのため、一般人にはどぎつい事をその気無しに行ってしまう事も多々ある。
(これでは穢れた血脈と言われても仕方ないか)
吉直はそう心の中でつぶやいた。その時、吉直は遠くから何者かが接近して来るのを察知し、素早く動けるように少しばかり腰を落とし、足を広げた。
「文吾さん、あちらを見て下さい。誰かが歩いてきます。しかも背負っている物を見て下さい。
「むっ、あれは……」
近づいてくる者が背負っていた物、それは吉直が腰に差した三尺の刃渡りを超える長大な剣であった。