表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
明治元年の断頭台  作者: 大澤伝兵衛
第一章「山田朝右衛門とアンリ・サンソン」
5/52

第四話「七代目山田朝右衛門」

 事件の調査を申し出た後、町奉行所を出た吉直は、一旦家に戻った。


 元々義父の使いの途中であったし、横浜は近いようで遠い。調査に行くならばしばらく戻って来れないかもしれないのだ。幼少時に養子になって以来世話になっているので、勝手な行動に出るわけにはいかない。


「ほほう、それは興味深いな」


 吉直から報告を受けた義父は、珍しく表情を変えてそう言った。


 吉直の義父――山田朝右衛門吉利は、山田家の七代目当主である。山田家は代々処刑人として知られており、吉利も現当主として数々の罪人の首を刎ねて来た。その様な苛烈な役目のせいか、日頃あまり感情を表に出す事は無い。役目柄、常に心を鎮める事を心掛けているのかもしれないし、既に精神をすり減らしているのかもしれない。


 十数年前に吉直を養子として迎えた頃は、もっと感情豊かだったようにも思える。


 その様な吉利が、この時ばかりは表情を変えたのである。


「我等以外にその様な技を持つ者がいたとは、全く知らなんだ。世は広いものよ。一度会ってみたいものだ」


「しかし、それが殺人に使われているのは如何なものかと思います。調査し、場合によっては処断しなければなりません」


 開港され、日本にあって異国の地である横浜に、山田家の処刑人がやったとしか思えない切り口の死体が転がっていた。これは由々しきことである。


 山田家は処刑人の一族として名高いが、本来その技は刀の試し切りのためのものであった。それが処刑人としての役目を負う様になったのは、試し切りのために罪人の死体を使用したり、または試し切りの技術を用いれば苦しむことなく処刑できるという一種の慈悲の観点からであった。


 だが、いくら処刑人としての役割は副次的なものであり、罪人を苦しませない様にとの意図があるといっても、世間からの目は厳しい。穢れた処刑人の一族として忌み嫌われ、飯屋に入ったところ気付いた他の客が皆すぐに立ち去る事もざらではない。


 その様な厳しい環境に晒されるため、歴代の山田朝右衛門の子の中には精神的、技術的な観点から後を継げず、弟子の中から適任者を養子に迎える事もあった。吉利も養子に入り、山田朝右衛門の名を継ぐ事になったのだ。


 この様にしてある意味落ちこぼれた山田朝右衛門の家系の中には、技術のみ及第点だが精神的に未熟だった者がいる。吉直や吉利が恐れているのは、この様な者達がその技術を悪用して今回の事件を犯したのではないかという事なのだ。


「山田家から離れても、その技を継承してくれていた事には尊敬の念すら抱くが、無軌道な殺人はいかぬ。我らの技は、決して殺しのためのものではないのだからな」


「おっしゃる通りです。その事は、山田家に養子に入ってから義父上の姿をみてよく理解しております」


「ふむ。歴代山田朝右衛門に血脈にある者が、皆お主の様なものであったらな。お主の父母は実に良く育ててくれた」


 吉直は当代山田朝右衛門の養子であるが、元はと言えば初代山田浅右衛門の血を受け継ぐ者である。直系ではあるが技術か精神かが跡を継ぐのに相応しくないとの理由で、後継者は別の者がたてられたのである。それ以来、吉直の家系は江戸を離れ、山田家の当主とは関わらずに暮らしていた。そうして、山田家に伝わっていた試し切りの技の一部のみを伝え、処刑人の仕事には一切関わらず代を重ねてきたのである。


 だが、吉直が十になろうかという頃、父母は流行り病で揃って亡くなってしまった。そして病の床で父は現在の山田家当主である吉利に手紙を書き、吉直の将来を託したのであった。


 吉利が言った通り、吉直の父母の教育が良かったというのは本当である。既に処刑人の仕事とは全く関わりの無い吉直の一家であったが、山田浅右衛門の血脈である事は周囲に知れていた。そのため、吉直は幼少時からいわれのない差別を受けて育ったのは確かだ。父母が山田浅右衛門の血を引くものとして、誇りをもって生きる様に諭してくれなければ、今頃吉直も修羅道に墜ちていたかもしれない。


 その様に考えると、山田家に縁のある者が殺人を犯したかもしれないというのは気が気でないのだ。


「ところで、吉直よ。公方様は政権を天子様にお返しになり、最早徳川の世は終わり新しい世になろうとしている。山田家の者としてこれをどう思う?」


 吉直に路銀を渡した後、吉利はそんな話題を振った。


 唐突な話であるが、これは今まで考えなかったわけでもない。だが、結論は全くでなかった。当然である。三百年続いた徳川の世が終わり、その先に何をすべきかなどこれまで考えた事のある者などほとんどいないのだから。


「はて、新しい世になっても、処刑人の仕事が無くなる事はないと思いますが。となると、それ程変わらないのかもしれませぬな。雇い主が変わるだけで」


 山田家は直接徳川家に仕えている訳ではない。あくまで浪人の身分で、依頼を受けて試し切りをしたり罪人を処刑しているのである。そのため、幕臣程忠誠心があるわけでもなく、新たな政権と契約するのには心理的抵抗は無い。


 それに、吉直が言った通り、新たな法度が出されたとしても死刑は無くならないだろう。となると、最も上手く処刑できるのは山田朝右衛門の一族である。


「そうかもしれぬな。だが、そうではないかもしれぬ。俺は、自分のして来た仕事に誇りを持っている。後悔もしていない。だが、もしも咎人を斬首せぬ世が到来したのなら、それはそれで良いと思っている。まあその時が来るまで代々引き継がれてきたこの役目を全うするだけだがな」


 そんなことを述べた吉利は、吉直に出立する様に促した。


 吉直は、常に冷静で淡々と役目を果たす父の、違う顔を見た気がした。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ