表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
明治元年の断頭台  作者: 大澤伝兵衛
第三章「新しき世」
46/52

第十話「抗い」

 大村益次郎から「君は馬鹿なのか」などという忖度無しの愚弄を受けて、アドン少佐は口をぱくぱくさせている。日本に来てからこの様な扱いを受けた事が無いので、どの様に言い返せばよいかとっさに思いつかないのだ。


「無礼でしょう。この方はフランス陸軍少佐ですぞ」


「最初から少佐の名乗りは何回も聞いているので、改めて言われるまでもありません。耳は悪くありません。私は医者なのでその位自己診断が出来ます」


「ならば……」


「たかが数百人規模の指揮官である少佐が何だというのです? まだ我が国の軍制は整っていませんが、私は新政府軍全体の参謀長ともいう立場ですよ。少なくとも大佐、順当に見れば将官に相当します。まあ軍の階級で議論の是非を判断するつもりはありませんがね」


「た、たかが極東の小国の参謀長が何だというのか! その愚弄を取り消して謝罪しないというのであれば、すぐにでも江戸を制圧してやろうか!」


 通訳が大村を難詰しようとするが大村はそれをぴしゃりと退ける。そして何とか立ち直ったアドン少佐が恫喝の言葉を発した。


「制圧? そんな事が出来ると本気で思っているのなら、君は少佐には相応しくない無能ですね。たかが数百人の歩兵で制圧するなどどういう計算なのか、お聞かせ願いたいですね」


「い、今横浜には我が国の海軍が停泊していて……」


「砲撃すると? 一つの艦隊が持てる砲弾の数など、たかが知れていると思うのですが、どういう弾薬計算なのでしょう。江戸を全部火の海にするには全くたりませんし、分散配置した新政府軍を砲撃で殺し尽くすのもまず無理でしょうね。一時的に火力で限定的な地域を制圧してその勢いで江戸城を占領できるかもしれませんが、後が続きません。ペリーが来た頃なら砲声で戦意を挫けたかもしれませんが、もう慣れているので、それは期待できません。これでは戦術的な視点が欠けているといっても過言ではないでしょう」


「横浜居留地にはイギリスも駐留して……」


「どうやって引き込むつもりですか。馬鹿げた偏見の発言をして、それを指摘されたからといって戦いを仕掛けるなど、そんな事に付き合う国があるとでも? どんな戦略眼を持っているのですか。それに軍を動かすなどと言う重大な決断を、一介の少佐の独断で決められるのですか? 公使にはどう説明するのです。こちらからも抗議の意味で事実を伝えますよ。更に、本国の皇帝がこの件を聞いたら何というでしょうね」


 フランスとしては極東で影響を拡大させるための重要な時期である。この時期にこんな馬鹿馬鹿しい揉め事を起こすなど、外交官が承知する訳がない。また、上手く言いくるめたり居留地のフランス人を扇動して勢いで戦争を仕掛けたとしても、本国に報告など出来るわけが無い。


 処刑人を穢れと思い、忌避しする感情は未だ多くのフランス人に残っているが、皇帝のナポレオン三世は別である。彼は皇帝でありながら思想的に共和主義者、自由主義者に近く、貧しい民の福祉に力を注いでいる。その皇帝は、サンソン家や日本の山田家の者を、処刑人だからと言う理由で罵倒した事など許す訳が無い。そもそも、アンリエット・サンソンが女性ながら士官をしているのは、ギロチンを追うために諸国を回るには士官の立場が役立つだろうという親切心からの特例だ。


 立場上拙いのは、明らかにアドン少佐の方である。


「くっ、謝罪しよう」


「それで良いのです」


 渋々といった様子でアドン少佐は謝罪した。大村としてはこれ以上追い詰めたりするつもりは無いらしく、今までの罵倒は何だったのだろうと思うくらい普通に交渉に取り掛かる。


 流石に気まずいので吉直とアンリエットは部屋の外に出て、勝邸の客間で待機した。


「よう、待たせたな。今日は済まなかった。おいらはお前さんがフランス軍人だから、その上官に急に会わせたらびっくりするだろうって思っちまったんだ。まさか、あんな偏見が残っているなんて、思いもしなかったんだ」


 勝海舟は様々な異国に関する情報を仕入れている。元々蘭学を修めており、亜米利加も直接訪れた事がある。そのため、仏蘭西では国王を処刑するような革命が起こった事も知っていた。だから、過去にサンソン家に対する差別や偏見があったかもしれないが、それは既に解消されていると思い込んでいたのだ。


「いけねえよなあ。なまじ異国の優れた所を知ってて、それを学んで日本を良くするのが役目だったから、悪い点が見えてなかったんだ。こんなんだから攘夷派がいきり立っちまうんだな」


 列国は日本に比べたら自由な社会であるが、それでもまだまだ発展途上である事は否めない。人権的にも全ての人間が自由と平等を享受しているとは言えず、男女間、民族間、人種間の不平等はまだまだ深刻である。この事は、実際に亜米利加を見た海舟は理解していたのだが。


「私は希望がもてましたね、あの程度の男で少佐が務まるなら我が国が追いつく事は十分可能です」


 どこから来るのか分からないが、大村の自信は凄まじい。だが、先程の様子を見ているとそれが可能な様に思えて来る。


「あの、ありがとうございました」


 吉直とアンリエットは大村と海舟に深々と頭を下げて礼を言った。


 今日は、世界に残る差別を実感し、それを跳ね除ける力強さも目の当たりにした。


 だが、差別に抗ったのは当事者である二人ではない、単なる知り合いに過ぎない大村達であった。


 これからは、自分達も戦わねばならない。


 二人は互いに言葉に出さずとも、同じ様に思ったのであった。







評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ