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明治元年の断頭台  作者: 大澤伝兵衛
第三章「新しき世」
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第九話「愚弄」

 かつて開国間もない頃、攘夷派の志士による異人襲撃事件が相次いだ。その事を踏まえ、横浜居留地には居留民保護のための異国の軍隊が駐留している。英吉利陸軍を主体に仏蘭西陸軍も加わっており、その数は千人を超える。


 また、時期にもよるが横浜港に軍艦が停泊している事もあるため、その戦力は計り知れないものがある。これが日本における政治の中枢である江戸の近くに駐留しているのだ。新政府軍と旧幕府軍の戦いに介入してきたとしたら、その影響は恐るべきものがある。もしも先日の上野戦争に居留地駐留軍が参戦していたら、戦いの行方は分からなかったかもしれない。


 だが、その様な事態にならない様に関係者が注意を払っていたのも事実である。


 英吉利は新政府軍と関係が深いので幕府方に協力する義理は無いし、幕府と関係が深かった仏蘭西は英吉利との極東における軍事的均衡を鑑みるに動く事は難しい。そして新政府軍も過度に異国に頼った場合、今後の政権運営に禍根を残す事は理解している。だからこそ異国から兵器を調達する際には適切な代価を支払っており、借りを作らない様にしている。


 また、先日まで将軍であった徳川慶喜も、徹底抗戦により戦いが長期化する事は、列強の介入を招くと懸念していた。それが鳥羽伏見の戦いにおける敵前逃亡の大きな理由である。


 そして、上野戦争が終わり江戸を完全に新政府軍が掌握したこの段階で、仏蘭西が新政府の要職にある大村益次郎と接触しようとしていた。


「ようこそ、アドン少佐。私が軍務官判事……まあ分かりやすく言えば、参謀の大村益次郎です。よろしくお願いします」


「こちらこそ。よろしくお願いします。私が横浜居留地駐留軍フランス部隊指揮官、アドン・ベルナール少佐です。それにしても、もう七月ですが、日本の夏は暑いですな」


「夏が暑いのはあたりまえで……」


「今日は大村さんもアドン少佐も集まってくれてありがとうございます!」


 アドン少佐の時節柄の挨拶に、大村がいつもの調子で空気を読まない発言をしようとした。流石に拙いと思ったのか勝海舟が大声で遮り、無理やり話を進行させようとする。


 冷や水を浴びせかけられたような対応に、アドン少佐は狐につままれたような顔をしている。日本語にはかなり堪能な方だったのだが、何か聞き間違えたのだろうか。それとも、あれが日本流の冗談なのだろうか。


 日本の侍はあまり冗談を好まないと聞いているのだが、目の前にいる額の広い異形の男はそれとは違う雰囲気を感じる。


「それでは、事前に話していた通り、新政府と仏蘭西の今後の関係について事前調整を実施したいと思います。お二人は軍事組織の役職なので、特に軍事的な事を主に話し合いたいと思います」


 仏蘭西は幕府と関係が深かったが、新政府が日本の主導権を握っている昨今の状況を鑑みるに、これからはそちらとの関係を重視しなければならない。そのため、旧幕府の高官であった勝海舟が仲介役となって、新政府と仏蘭西を引き合わせるのが今回の会合の趣旨であった。


「それでは先ず旧幕府が結んでいた協定の継続についてですが……」


「待ちたまえ」


 進行役を務めていた海舟の言葉を、アドン少佐が遮った。


「何故この場にアンリエット少尉がいるのだ?」


「何故って、問題ないでしょう? アンリエット少尉はフランス陸軍の士官なのですから、機密上なんの問題も無いと思いますが」


 アドン少佐の強い態度に、海舟は困惑の色を隠せない。さらにアドン少佐は続けた。


「建前上はそうだが、アンリエット少尉は処刑人のサンソン家の人間だ。私とは違う。何故私が同席せねばならないのだ!」


「そいつは言いすぎでしょう。アンリエット少尉を任官したのは皇帝陛下のナポレオン三世でしょう。あなたがとやかくいえる事ではないはず」


「それにだ!」


 海舟の抗弁を無視するかのように、アドン少佐は吉直の方を指さした。


「聞けばその男、ヤマダアサエモンなる日本の処刑人の一族だそうではないか。前に居留地に来た時は、そんな事を知らずに対応してしまったぞ。実に不愉快だ!」


「てめえ……」


 あまりにもなアドン少佐の言い様に、海舟は怒りを隠せない。ここで事を荒立てては今後日本を牽引する新政府と仏蘭西の関係に重大な影響を及ぼすので耐えているが、その手はきつく握られ、肩を震わせている。


 アドン少佐の連れて来た仏蘭西人の通訳や、貿易上の話をしに来た日本人の商人も、吉直とアンリエットの素性を知って蔑んだ目で見ている。


 久しぶりに真正面から差別的な扱いを受けて、吉直とアンリエットの気持ちは沈んだ。


 最近は、共に戦った浜田文吾にしろ、二人の戦いを支援してくれた徳川慶喜、勝海舟、西郷隆盛にしろ、処刑人の一族だからといって態度を変えるような事は無かった。大村益次郎もあまりの変人のためか、つっけんどんな接し方をしてくるがそれは誰に対してでもあり、吉直とアンリエットには気にならなかった。


 それに、徳川の世が終わって日本には新しい世界が到来しようとしていた。その新しい世を作るために動いていた中心人物である西郷や大村がの態度がこうなのである。ならば、処刑人の一族もそのしがらみから開放されるのではないかと淡い期待を抱いていたのである。


 だが、世の中は甘くなかった。アドン少佐達の様な態度の人間の方が大多数なのだ。慶喜達の方が変わり者であり、それを皆に期待するのは間違っているのである。


 心を刃で抉られる様な気分であったが、アドン少佐を責める気にも、怒る気にもならなかった。諦めの気持ちが二人の心を支配している。


「君は馬鹿ですか?」


「なに?」


 そんな心が沈んだ二人の耳に、更に真正面から愚弄する言葉が飛び込んで来た。


 見れば大村が不思議そうな顔でアドン少佐を見ている。アドン少佐は自分が愚弄された事が信じられない様な表情だ。当然だ。列強の圧倒的な武力の一翼を担うアドン少佐に対し、たかが極東の一参謀がこの様な無礼な物言いをするなど信じ難い。


「もう一度聞きますが、君は馬鹿ですか?」


 大村の再度の問いかけに、アドン少佐一行の顔色が変わった。

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