第八話「上野戦争」
慶応四年五月十五日、上野は戦火に包まれた。
寛永寺付近に立て籠る旧幕府勢力――彰義隊に対し、大村益次郎が作戦の指揮を執る新政府軍が攻撃を仕掛けたのである。
当初頑強な抵抗を示した彰義隊であったが、大村益次郎はこの日のために大砲を国内だけでなく外国からの購入品も含めてかき集めていた。
計画的に発揮された砲撃はその天地に轟く轟音の起きるたび、無慈悲に彰義隊の勇士の命を刈り取って行った。砲兵は戦場の神と呼ばれているが、味方にとっては守護神であり、敵にとっては死神であろう。
結果、後世上野戦争と呼ばれる戦いは一日で新政府軍は勝利し、彰義隊は壊滅状態に陥った。生き残りは東北諸藩と合流すべく離脱したとも言われている。
何にせよ、江戸における大規模な戦いはこれで幕を閉じた。当初はもっと長引くかと予想され、町人達は不安におののいていた。それがあっけなく終わったので安堵する共に、時代の移り変わりを心底から実感したのである。
徳川の世は本当に終わったのだと。
そんな戦いのあった上野の戦場跡を、吉直とアンリエットは歩いていた。辺りの建物は砲撃により崩れ落ち、発生した火災により広範囲に渡って焼失している。付近を歩いているのは、治安維持のために巡回する新政府軍の兵や、何か金目の物が拾えないかと探し回る貧民位のものだ。幕府方の侍は一人も歩いていない。当然と言えば当然の事だ。
「戻りましょう」
「そうですね」
二人の知人――いや、数少ない友人である浜田文吾の姿は、探し出す事が出来なかった。彼自身が選んだ道なのだ、仕方のないことである。また、彼がこの戦いを裏で画策した陰謀の真相を、彰義隊の上層部に話さなかったとも思いはしなかった。恐らく最後まで戦いを回避するための行動をとりつつ、戦いが回避不能と判断したのなら死を覚悟して戦場に赴いたのだろう。そういう不器用な男だった。
彰義隊の上層部も、吉直とアンリエットが見つけ出し、文吾が差し出した手紙を見て、自分達が操られていた事に気付いたに違いない。だが、それでも引き返せなかったのだ。自分達の行動が引き金となって起きた小競り合いで既に人は死んでいるし、生き残った所で行き先が見えない。
それならば最後に死に花を咲かせるのも良い。侍とはそういう生き物なのだ。
悲しみに包まれながら、二人は勝海舟の自宅を訪れた。
「そうかい、それは残念だったな。あいつなら、新政府が作る町奉行で立派に務まっただろうにな。まあ、気を取り直すんだな」
「そうです。死んだ者は生き返りません。それがこの世の真実です。それに、私が作戦を立てたのです。彼らが勝てる可能性など無いのは分かり切っていた事です」
勝海舟が二人を慰める様な事を言ったのだが、同席していた大村益次郎が無神経な事を言い放つ。物事には大雑把な海舟も、流石にこの言い草には顔をしかめる。
吉直とアンリエットは一瞬かっとなったが、すぐに鎮静化した。大村の言っている事は真実であるし、文吾や他の侍たちも覚悟の上での抵抗であった。元より勝ち目の無い事は分かり切っていたのだ。
それに、大村は作戦立案にあたり、徹底的な殲滅戦を仕掛けたが、そのおかげで短期決戦となり、戦果が広がる事は無かった。そのために多少強引な攻めをしている。他の者が作戦を立てていたとしたら、不十分な作戦指導により戦争は長期化し、町人にも大きな被害が出たかもしれない。この無神経に見える男も、何も考えていない訳ではないのだ。
「ところで、何故大村さんが勝さんの家にいるのですか? まさか大村さんがここにいるとは思いませんでした」
大村益次郎は新政府軍を統括する者として、実に多忙である。それに引き換え勝海舟は、徳川慶喜が江戸を退き、江戸城には新政府軍の者達が入り込むようになったので旧勢力の者としてはやる事が無い。雑に言ってしまえば暇なのである。
大村と同じ様に新政府軍の要職にある者としては、西郷隆盛の名が挙げられるだろう。彼は戦いの処理に明け暮れており、多忙である。大村も同じ様な立場のはずである。
「私がここに居たのは偶然だ。実はこれから、ある人と面会するのだが、勝さんが仲介しているのでね」
「ははあ」
海舟は旧幕府の高官であり、言ってみれば過去の人物である。その海舟に今をときめく大村が仲介を頼むとは、一体何者であろう。
「実はもうそろそろ約束の時間なんだ。そうだ。お前さん達も同席するかい? きっと驚くぜ」
海舟の口ぶりから察するに、これから勝邸を訪れ、大村と面会する人物は吉直やアンリエットも知っている人物なのだろう。一体何者なのか。
「約束通り、お見えになりました」
「おお、直ぐに通してくれ」
勝邸の使用人が来客の到来を報告した。吉直とアンリエットは衣服と姿勢を正し、来客が入ってくるのを待ち構えた。
「――――――」
吉直達のいる客間の外から、声がかけられた。何を言っているのか吉直には理解出来ない。どうやら異国の言葉の様である。もしかしたらアンリエットなら理解出来たのではと思い吉直は隣に座ったアンリエットの方をちらりと見る。
アンリエットの様子がおかしかった。表情が強張っている。
「アドン・ベルナール少佐が入室を希望しています」
「どうぞ」
通訳らしい者が日本語で入室の意思を伝え、海舟が招き入れた。通訳の者が言った名には、吉直に聞き覚えがある。一体誰であったか。
「こちらが、横浜居留地フランス陸軍指揮官、アドン・ベルナール少佐です」
軍服を着用した異国の男と、それに付き従う通訳の男と商人らしい日本人の男が入って来る。
名前に聞き覚えがあるのも当然であった。この男は、横浜居留地で出会ったアンリエットの上官であった。




