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明治元年の断頭台  作者: 大澤伝兵衛
第一章「山田朝右衛門とアンリ・サンソン」
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第三話「斬首の切り口」

 内山に連れられて吉直が向かったのは、北町奉行所内の敷地内に設置された小屋であった。物置にも使っているらしく、様々な物が所狭しと置かれている。その中の一角に、筵がかけられた何かが一つ鎮座していた。


 内山のこれまでの説明と、微かに漂う臭い。そして陰鬱な気を感じ取った吉直はそれが何か察した。


「横浜で切られたという異人の遺体ですか?」


 吉直は異人殺しの下手人と疑われ町奉行所に連行されたのだ。状況からして間違いあるまい。


「ご明察、と言いたいところだが少し違う。この通りだ」


 吉直の言葉を一部否定した内山は、筵を捲って中を見せた。そこには、首を刎ねられた男の遺体が安置されている。服は黒の紋付羽織に着流しで、袴は着けていなかった。どう見ても異人ではない。と言うよりも、


「同心ですね」


 そう、この特徴的な服装は、まさしく町奉行所の同心の出で立ちである。内山は江戸の町を管轄する町奉行所の同心であるが、横浜の異人の居留地の付近を担当する神奈川表取締掛の与力である。同じ様に異人への対応を職務とする同心もいたのだろう。そして、異人が何者かの犠牲になった時、共に犠牲になったのだ。どちらが巻き込まれたのかは分からないのだが。


「名は、浜田兵庫と言う。神奈川表取締掛の同心で、拙者の配下であった。無外流の達人で、異人の警護も担当していたのだが、先日この様な有り様で発見されたのだ」


「なるほど、最後までお役目に従事した結果がこれではさぞ無念でしょう」


 黒船来航以来日本全土で攘夷の気風が充溢していたが、大政奉還がなされ徳川の世が終わるこの段になると、流石に攘夷は無理であるとの考えが広まって来る。徳川の世を終焉に追いやった薩摩も長州も、それぞれ異国に喧嘩を売って散々に打ち破られたのは既に日本中に知れ渡っている。となると今更攘夷を果たそうなどと考えているのはごく一部の者に過ぎない。


 しかも、徳川幕府の町奉行所が異人を警護していたのは、日本の政権を徳川が担っていたからこそである。外交の責任があったからこそ異国の人間を守らねばならなかったのだ。本来なら大政奉還でその責務は失われているといっても良く、町奉行所は江戸の治安を守るだけでも理屈上は良かったのである。


 それを今まで警護を続けて来たのは、朝廷やそれに付き従う薩長による新政権に引き継ぐまで己の職務を全うしようという責任感からだ。実際、朝廷による新政権には横浜の異人の安全を守る能力は無いし、もしも現在の日本における政治的混乱に巻き込まれて異人が大量に死傷したり要人に何かあったのなら、日本の立場は極めて悪くなるだろう。そうなった場合最終的に被害を被るのは無辜の民である。


 戦火に焼かれたり、賠償金を支払うために重税を課されるなどだ。


 町奉行所は武家の政権である幕府の機関でありながら、町人達の暮らしを守る存在でもあった。その三百年に渡る先達から引き継がれてきた使命を最後まで果たすために、これまでの職務を継続してきたのであろう。


 その結果がこれでは浮かばれまい。


「ところで首はどうされましたかな」


 しばし浜田の遺体に手を合わせていた吉直だったが、本題を思い出して内山に尋ねた。浜田は完全に首を刎ねられている。戦いの最中で刎ねられたのか、負傷したりして動けなくなったところを刎ねられたのかは分からない。だが、どちらにせよ首を刎ねるというのは中々に大変な事である。


「傍に置いてある首桶に入っている。ご覧になられよ。そうすれば、何故疑いがかかったのか分かるはずだ」


 内山に勧められたので、吉直は首桶を開けて中から浜田の首を取りだした。まだ若い青年で、この様なところで死なねばまだ未来があったであろう。吉直は心の中でもう一度手を合わせ、念仏を唱えた。


「む、この切り口は……」


「やはりそう思うか」


 浜田の首を検めた吉直は驚愕した。刎ねられた首の断面は、恐ろしいばかりに見事な切り口である。普通なら首の肉の弾力や頸椎の強度により多少ずれが生じるものだ。場合によっては弾き返されてしまう事すらある。だが、この切り口はどうであろう。


 静かな水面の如き、まっ平らな断面である。これは尋常は技ではない。


 この様な斬首を出来るのは、ごく限れられた人間であろう。


「どう思われる?」


 内山は吉直に近づき、じっとその目を見ながら尋ねた。


「これは、例えどの様な名刀をもってしても普通の者には出来ないでしょう。それが剣術の達人であってもです」


「ふむ、やはり剣術の達人でもこれは出来ないか。それでは重ねて聞くが、それが()()の達人ではなく、()()の達人であったならどうかな? 例えば、山田朝右衛門の一族の様な」


「可能でしょう」


 内山が吉直を疑ったのはこれが原因であった。浜田や一緒に犠牲になったという異人は首を刎ねられて死んだのであるが、その切り口の見事さから尋常な事ではないと判断されたのだ。


 剣術の達人は当然刀の扱いに習熟しているが、かならずしも首を刎ねるのが得意と言うわけではない。首を刎ねなくとも大きな血管を切ったり突いたりすれば人間など死ぬのである。わざわざ首を刎ねるなどという刀に損耗を与えかねない手法に慣れる必要は無い。そんな事をするよりも、相手との間合いや攻防の呼吸を稽古した方が実戦では役に立つに違いない。


 それに対して処刑人である山田浅右衛門の一族の剣は違う。罪人の首を落として処刑したり、刀の切れ味を鑑定するために罪人の死体を重ねて胴切りにしたりする。この様な特殊な環境で磨かれてきた剣は、他に類の見ない発展を遂げた。


 山田朝右衛門の一族で修練されている剣なら、これと同じような切り口で首を刎ねる事が可能であろう。


 吉直は未だ斬首を手掛けた事はないが、義父の手伝いで刑場に赴いた事は何度もある。そこで見た義父の剣によって断たれた首の断面は、今見ている浜田の首と同じものであった。


 吉直はまだ義父には遠く及ばないと思っているが、義父は既に一人前の技量をもっていると評している。恐らく吉直にも同じような事は可能であるはずだ。


「ふむ、やはり違うようだな。いや何、以前山田浅右衛門によって断たれた首を見た事があって、それと似た切り口であったので疑いをかけたのだが、残念ながら違う様だ。帰って良いぞ」


 長年町奉行所の与力として悪人と退治してきた勘なのか、内山は吉直が嘘をついていないし下手人でも無いと判断した様だ。あっさりと帰宅を許してくれた。


 だが、吉直の心は揺れていた。山田朝右衛門の一族にしか出来ない斬首、これを一体何者が成したのであろうか。


「内山さん」


「なんだ?」


「この件、お手伝いさせていただけませんか?」


 吉直はそういうと深々と頭を下げた。

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