第十七話「処刑人二人、乱入」
休憩を終え会談の場に戻った西郷隆盛を、勝海舟が待ち構えていた。会談の場である薩摩藩邸は海舟にとっては敵地である。しかも、幕府軍は先日の鳥羽伏見の戦いで大敗北を喫している。つまり、西郷率いる新政府軍がその気になれば、幕府軍など一揉みに出来るはずなのだ。
それにも関わらず、海舟の態度は悠然としている。一つ間違えれば我が身が危ないし、交渉が決裂すれば主君である徳川慶喜だけでなく、数万を超える幕臣や、数十万の江戸に住まう町人の命が消えるのだ。そうだというのに気負いも焦りも全く見られない。
以前会った時は、気骨が有り肝の太い男であるが大言壮語が過ぎ、しかも才覚を誇るところが鼻につく男であった。だがこの勝海舟という男は、江戸城の無血開城という大舞台を前に、一皮剥けた様に西郷には思えた。
この素晴らしい男を、殺してしまえと西郷は進言されている。
進言しているのは、以前から新政府に接触してきた異国の者達である。
薩摩や長州は、元から英吉利の支援を受けていたので、異国との協力は特段変わった事ではない。新政府にも公家などの頭が固い者は異国を未だに嫌う者がいるが、西郷が終生の主君と仰いでいた島津斉彬は一早く異国の文物の導入に力を注いでいた。西郷も、異国に対する忌避感は無い方である。
しかし今回接触してきた者達は異様であった。彼らの中心人物は、仏蘭西人であるがそれ以外に英吉利人や露西亜人も含まれている。彼らは一国の統制を受けるものではなく、世界をより進歩させようという志のもとに集まった結社なのだと言っていた。普通に聞けば、胡乱な発言であるが、維新の動乱を生き抜いて来た志士である西郷には共感できる部分もある。日本は天子をいただく一つの国ではあるが、違う藩の事など異国と変わらない様にしか思えないという意識もまた現実である。縁戚関係などで特に親しい藩は存在するが、親しい止まりである。だが、幕府を倒し、新しい世を築くという理想を掲げ、数多くの藩の志士たちは親しく交わり、行動を共にしていた。
もしもこれまでの意識通り、他藩の人間を遠ざけてしまい、個々の藩で倒幕を目指していたとしたら、とても今の様な状況にはならなかっただろう。それを思うと、より視野を広く持ち、全世界で理想を掲げる者が手を取り合って行動するというのは理解出来る事だ。
そして彼らの進言によると、ここで幕府を徹底的に叩かねば必ず揺り戻しが起こり、その時にはより大きな血の雨が降るというのだ。
それは、仏蘭西でも墨西哥でも英吉利でも起きて来た事であり、世の真理なのだという。考えてみれば、欧羅巴だけでなく清国においても、かつて幾度もの戦乱が繰り返されてきたことは知られるところである。本邦も、徳川家康が天下を統一するまでは無軌道な戦いが繰り返され、そのたびに民は戦火に苦しめられて来た。
そして西郷の目の前にいる男は、実に見事な態度である。
新政府軍を押しとどめ、互角の戦いを演じる事が出来るとしたら、この男しかおるまい。
となれば、今ここで勝海舟を断頭台にかけてしまえば、それで戦いはお終いとも言える。海舟の自信に裏付けには、例え会談が不調に終わって戦端が開かれたとしても、負ける事は無いという自信が隠されているに違いない。そしてその自信は新政府軍で最も戦術眼のある大村益次郎が保証してくれている。
禍根を断ち、民をこれ以上苦しめないためにはこの見事な男を殺さねばならない。
皮肉な事に直接海舟の姿を見た事で、西郷の決断は強まってしまったのだ。
タンプル塔の亡霊を名乗る男の言によると、既に中庭には断頭台が組み立てられているのだという。しかも、台には車輪が備え付けられており、断頭台に犠牲者を設置したまま移動が可能なのだという。
海舟をギロチンにかけたまま江戸の市中を練り歩き、その姿を晒したとしたら、そして日本橋や大手門の前などの人が多く集まる場所でその首を刎ねたのなら、その瞬間幕府もまたその残された灯を失うに違いない。
西郷は断頭台で人の首を刎ねる所を直接見た事は無いが、組み立てられたその姿を見て何か強烈な気を感じ取った。台こそ日本で復元されたものだそうだが、その巨大な刃は仏蘭西で何十何百もの首を刎ねたという代物だ。何か怨念の様なものが籠っているのかもしれない。
「どうした? 顔色が悪い様だが、調子でも悪いのか?」
「いや、お気になさなず」
黙ったままの西郷を不審に思ったのか、海舟がそんな声をかけてきた。その表情からすると、本当に心配している様だ。
「まああんたからすると、余計な戦いは避けたいという判断と、この際恨み重なる幕府を徹底的にやっちまおうっていう連中の思惑の板挟みになってるだろうからな。いくら天下に聞こえた大西郷とはいえ、胃も痛くなろうってもんだ。おいらも柄にもなく江戸の命運なんてもんを背負っちまったんで、頭が痛くてしょうがねえや」
海舟には西郷の立場はお見通しの様だ。西郷は現地部隊の指揮官ではあるが、京の思惑の影響を受けざるを得ない。決して自由な立場ではないのである。
「しかも、世の中妙な事になってるらしくてな。実は慶喜様の首を狙う者がいるんで、気が気で無いのさ。いや、あんたらじゃないよ。詳しくは言えないが、外国の息がかかった妙な連中が狙っていてさ。それで慶喜様が謹慎している寛永寺はそりゃもうすげえ警備さ。おかげでおいらの事なんか、だれも構っちゃくれねえんだ。一人で話付けて来いってよ」
もちろんこれは海舟の冗談である。西郷の気を紛らわせようと気を利かせてくれたのだ。
だが、西郷にとってこれは冗談では済まない。海舟はタンプル塔の亡霊が率いる世界革命団の事を知っているのだ。西郷と接触している事までは把握していない様だが、いつ気取られるか分かったものではない。
殺すなら今である。
海舟は蘭学などの知識で成り上がった人物だが、剣の腕前も一流である。もしも気付かれたとしたら、厄介な事になるだろう。
「……む? 何か騒がしか」
「西郷さん! 妙な二人が用事があるって押しかけて来て。あ、こら、勝手に入るな」
「勝さん、西郷さん! 大変です、慶喜様が襲われました。何とか助けましたが、敵の本命はお二人です。すぐに警備を固めて下さい!」
西郷と海舟の会談の場に、日本人と仏蘭西人の二人組が押し入って来た。余りにも奇妙な者達だったので、警護の者達も押しとどめる事が出来ず、ここまで入られた様である。
その二人は、言わずと知れた山田半左衛門吉直と、アンリエット・サンソンであった。




