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明治元年の断頭台  作者: 大澤伝兵衛
第一章「山田朝右衛門とアンリ・サンソン」
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第二話「異人殺しの嫌疑」

 町奉行所の捕り方に囲まれた吉直は、素直に町奉行所まで同行した。縄にかけられたりはしていない。まだ罪を犯した確たる証拠もないし、また自分が無罪である事を吉直は知っている。


 それに宮仕えはしていないとはいえ、吉直の義父は町奉行所と関係が深い。抵抗さえしなければ丁重に扱われていた。あれ程の捕り方を用意していたのは、万が一の事を警戒しての事だろう。


 町奉行所の一室に通されしばらく待つと、与力が一人入って来た。与力は自らを神奈川表取締掛の内山監物と名乗った。


 名乗りを受けて吉直は訝しむ。取り調べなら吟味与力あたりがやれば良さそうなものを、何故開港したばかりの横浜で異国人を相手にしている神奈川表取締掛が来たのであろうか。

 

「お尋ねする。昨月相模国に行ったはずだがそれに相違は無いか?」


「ありません。拙者、生家が鎌倉にありますので先祖の供養に行きましたが……それが何か?」


「その折、何か揉め事でも起こさなかったか? 例えば、異人と刃傷沙汰になったとか」


「異人?」


 内山の問いに吉直は面食らった。開国以来日本を訪れる異人は増えており、港が開かれた横浜などには異人の居留地があるという。吉直はそこを訪れた事は無いが、そこにはとても日本とは思えぬ街並みが広がっているのだという。


 だが、いくら人数が増えたとはいえ江戸で暮らしている限り異人を見かける機会は多くない。攘夷と称して異人を排斥しようという者は未だ多く、実際血気にはやった武士が何度も襲撃事件を起こし、何人もの死傷者が出ている。。


 また、薩摩島津家の行列を横切った英吉利(イギリス)人を供廻りの侍が殺害した時など、戦争になった事すらある。


 元より条約により異人は港から十里程度を行動範囲と定められているし、その外に出る場合には特別な許可がいる。そして様々な事件を鑑み免状が発行される事は極めて稀である。


 この様な事情から、例え相模国を歩き回っていようと異人と遭遇する事自体が先ず少ないし、それ故揉め事自体が起きにくいのである。もちろん、異人が不用意な行動に出たり、逆に日本人側が最初から異人を害する目的であるなら話は別だが、吉直は攘夷など考えた事も無い。


 吉直はその旨を内山に正直に述べた。どこぞで異人が刃傷沙汰の犠牲になり、その近くで吉直を見かけたという情報でもあったのだろう。吉直は身の丈六尺を超える偉丈夫だ。非常に目立つので印象に残るため、事件に関係が無くとも奉行所の聞き込みの結果に入ってきたのだろう。


「それは真か? 疑うようであるが、腰の物を拝見させてもらっても良いか?」


「もちろん構いません。どうぞご存分にお検め下さい」


 武士の責任をもった証言を何の確証も無しに疑うとは少々無礼ではあるが、この状況下では嫌も応もない。刀身を確認するまでは奉行所を出る事は出来ないだろう。さっさと疑いを晴らすには、刀を見せてやるのが一番だ。


 このまま突っぱねていてもどうせ拷問などは受けないだろうし、時間が経てば不審に思った義父が事態を把握し、助け出してくれるかもしれない。だが、無用な波風を立てるのは吉直の本意ではない。素直に応ずることにした。


「拝見しよう。失礼」


 内山は懐紙を咥えて吉直の佩刀を丹念に検めた。人を切ればどんな名刀を用い、どんな達人であったとしても必ず刃毀れや曇りが生ずる。これは懐紙で拭った程度や素人が研いだだけではどうにもならない。もちろん素人なら騙せるかもしれないが、町奉行所の与力の目は誤魔化されないのである。


「むう、一点の曇りもなく綺麗なものである。いた失礼をいたした。お返ししよう」


 目を皿の様にして吉直の刀を見ていた内山だったが、特に不審な点は見つけられなかった様だ。当然吉直はこうなる事は分かっていた。人など切っていないのであるから当然の事である。


「脇差も確認しますか?」


「いや、結構。()()はどんな達人だとて脇差では無理だ」


 疑いが晴れた事に吉直は安堵したが、内山の言う()()とは一体どういう事か気になった。口幅ったいが、吉直は自分の剣の腕には自信があるし、それは江戸の一部剣客の間では有名な話だ。例え脇差といえど、人を殺める事は問題なく出来るだろう。


「私は研ぎ屋から出て来たばかりでしたが、血刀を研いで証拠隠滅したとは考えないのですね。それに刀を取り換えたとは思わないので?」


「うむ。吉直殿の刀は綺麗なものであるが、とても研師が研いだばかりとは思えぬ。それに、その様な長い刀はそうそう替えがあるものではあるまい」


「確かに」


 吉直の佩刀は三尺余りの長大な物だ。しかも肉厚な刀身で、普通の武士ではまともに振る事すら出来ないだろう。だが、吉直は恵まれた体躯と鍛え上げられた膂力でこの剛刀を軽々と扱う。この様な刀は当然希少であり、下手人の疑いを避けるために代用を用意しようとしても出来るものではないのだ。


「ところで、何故私に疑いを? 確かに私は目立ちますが、それだけならあれだけ下手人の疑いで警戒する事もありますまい。普通に家に使いをやって呼び出せば済む話です」


「それは奉行所のお役目の事なので詳しくは……待てよ? 山田家の者に見てもらうのが良いかもしれぬな」


「む? 私の家に何か関係があるのですか?」


 家の事を持ち出されては、吉直も黙ってはいられない。養子にすぎないが、これまで育てて貰った恩があるし、己も山田家の一員であるという自負がある。


「うむ。直接と言う訳ではないのだが、切り口が気になってな。よし、こちらに来てもらう。処刑人たる山田朝右衛門の一族の者に見て欲しいものがあるのだ」


 内山は立ち上がり、吉直についてくるように促した。

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