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明治元年の断頭台  作者: 大澤伝兵衛
「標的は勝海舟」
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第八話「勝海舟」

 北町奉行所の一室で、吉直とアンリエットは今後について話しながら待っていた。


 二人の目の前には、書付が何枚も広がっている。断頭台をもって日本で暗躍している組織の拠点を襲撃して確保したものである。本来なら江戸城に入り、掴んだ情報について伝えたいところであるが、吉直は処刑人の養子に過ぎず幕臣ではない。とても登城出来る身分ではないのだ。また、アンリエットが登城する事はもっと拙い。仏蘭西軍の士官がこの情勢で江戸城に入ったのなら、間違いなく誤解を生む事だろう。


 結局城には町奉行所の役人が伝えに行く事になっている。だが、幕府は滅びる直前である。まともに対応してくれるかどうかは不明であった。


「正直、これだけの人間を守り切るのは難しくないですか?」


「確かにそうです。ですが、何とか守らねば、事態がどう急変するか分かりません。特にこの方は守らねば」


 吉直が指で示した書付には、前征夷大将軍徳川慶喜と書かれている。言わずと知れた徳川第十五代将軍であり、最後の将軍でもある。彼がもしも殺害、しかも断頭台で無残に公開処刑される様な事になったとしたら、日本全土を巻き込む騒乱が訪れるに違いない」


「しかし将軍の事は、この際考えなくても良いのはありませんか? あの城は、確かに現代の戦いに対応する作りではありません。しかし、断頭台を盗んだ一味は決して軍隊ではありません。城の警備を突破するのは困難でしょう。ならば、捕まって処刑される様な事は無いのでは?」


「確かに……」


 徳川幕府は既にその命運が尽きているが、徳川家に忠誠を誓う士はまだ数多くいる。その者達は剣の腕には優れていようと決して最新の戦いに対応しているわけではなく、戦争になったとしたらひとたまりもあるまい。だが、狼藉者を退けるくらいやってのけるだろう。


「なら、この処刑名簿に書かれている方々も江戸城に入って貰った方が、守りやすいのでは?」


「う~む。素直にそれを受け入れてくれるかは分からないが、それはそうですね」


「残念ながら、それは無理ってもんだ」


 今後の策について話し合う二人の間に、一人の男の声が割り込んできた。勢いよく障子が開けられ、一人の中年男が入って来る。それなりの地位がある侍らしく、仕立ての良い羽織を身につけている。また、うっすらと皺の刻まれたその顔は中年の様に見えるが、目付きが鋭く研ぎ澄まされた精悍な印象を受ける。あまり幕府の高官らしく見えない。どちらかというと、貧乏御家人に居そうな雰囲気である。


「無理とは、一体どういう事ですか?」


「慶喜様は城を出て、上野の寛永寺に入る事になった。朝廷に恭順の意を示すための謹慎と言う事さ。あそこは将軍家の菩提寺で規模があるから、ある程度の警備は出来るだろうが、流石に千代田城と同じ様にはいかねえな」


「何たること……それでは、将軍様が狙われる可能性が増えるではありませんか」


「だろうな。慶喜様が城に籠っていたら、他の重臣が狙われていただろう。慶喜様を処刑するのが一番効果が高かろうと、手が出せないんじゃ他の奴を殺すしかないからな。だが、城を出るなら別って事になるだろうさ」


 入って来た男の告げた事は、吉直にとって衝撃的であった。将軍以外の重臣達ならば、いくら殺害されたとしても何とか事態を抑える事は出来たかもしれない。いくら幕府で地位が高かろうと、極論すれば代えがきく駒である。だが、徳川家の頂点たる慶喜だけはそうはいかないのである。


「慶喜様が謹慎のために寛永寺に移るというのは、隠密には出来ないのですか? 周囲に知られなければ、例え警戒厳重な城を出たとしても狙われる危険性は小さいと思うのですが」


「おいおい、謹慎ってこたあ公表しなきゃ謹慎にならねえんだぜ? 城を出て反省しています。天子様に逆らう意思何で毛頭ございませんってところを天下に示すのさ。そうすれば、薩長の連中も江戸への攻撃を強行し難いって算段なんだ。そうでないと、下手すりゃ江戸が火の海になっちまうぜ」


「そうですか、そういう事情があれば仕方ありませんね。この名簿に名前がある慶喜様以外のものなら最悪処刑されても大乱にはつながらないという判断もありましたが、江戸の町人の命にも代えはありませんからね。……ところで、あなたはどなた様でしょう?」


 余りにも堂々と会話に割り込んで来て、馴れ馴れしい口調で話して来たのでついつい引き込まれてしまったが、入って来たこの男、名乗ってもいないし以前からの顔見知りでもない。そもそも、幕府の内情を知り過ぎている様にも見えるし、断頭台による処刑の事を知っているとは只者ではあるまい。


「あ、そういや名乗ってなかったな。おいら、ここにある通り、代えの効くやつだ。それなりに腕に覚えはあるし、狙われる価値のない有象無象だから、おいらの事は気にしなくてもいいよ」


 男が指で示した箇所には、軍艦奉行勝海舟と記されていた。


 この名前は、江戸で暮らす吉直だけでなく、アンリエットも知っている。


 元は小普請組の貧しい父の下に生まれたのであったが、蘭学を志し、開国の時流に乗って出世を果たした人物である。また、蘭学の知識や亜米利加に渡った経験から幕府でも有数の知識人であり、異国の要人達も勝海舟の事は侮れぬ人物と目しているのだ。


「あ、おいらそんなに有名人? あんま誉めないでくれよ。照れちゃうからね」


 アンリエットから在日仏蘭西界隈で名が知られている事を告げられ、勝海舟は頭を掻いてそう言った。言葉の内容とは裏腹に、実に嬉しそうである。お調子者な所があるようで、あまり幕府の高官らしくない様に二人には思えた。


「そういえば、勝といえば、勝小吉という方が六代目山田朝右衛門のところに、試し斬りの弟子にしてくれと押しかけて来て、実に変わった人がいるものだと養父から聞いた事があります。何度か罪人の死体を切らせたとか」


「……それは拙者の父です。あの人出鱈目で、思い立ったら何を言っても聞きはしませぬ。その節は大変ご迷惑をおかけしました。その後も色々と我が家とは付き合いがあり、当代の吉利殿には今の奥方を拙者が紹介させて頂きました」


 勝海舟も武士としては出鱈目な方に見えるが、その父はもっと凄い人物だったのだろう。急に勝海舟がまともな人間に見えて来た。それにして、養父が勝海舟という幕府の要人と付き合いがあったとは、吉直は初めて知った。


「まあそれは兎も角、慶喜様が謹慎するという方針が決まった後、町奉行所から慶喜様をはじめとする幕府の要人が狙われているという報告が入ったんだ。それで、おいらがこうして来たって寸法さ」


 この後、勝海舟も交えて今後の方針について話し合うことにしたのだった。

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