第三話「中渋谷村 金王八幡宮」
吉直は、アンリエットと共に渋谷の辺りに来ていた。この辺りはその地名が示す通り起伏に富んでおり、あちこちが坂になっている。また、江戸でも外れにあるため田畑が多く、せわしない江戸の中心部に比べれば長閑な風景が広がっている。そして単なる農村という訳でもなく、神社仏閣や大名の藩邸も点在しておりこちらは江戸市中と同じくひりつくような気配が漂っている。
幕府に味方する大名なら、この先朝廷軍が進撃してきた際に攻撃を受ける事は避けられないだろうし、逆に朝廷側の大名は江戸の防御を固めるために親幕府勢力によって血祭りにあげられる兼ねない。そして神社仏閣等の宗教勢力も俗世の権力争いと無縁ではない。徳川と深く結びついて来た寺社もあれば、維新の志士たちを支援し続けて来た寺社もある。
皆が疑心暗鬼に陥っているのだ。
その様な中でこれから吉直とアンリエットは騒ぎを起こそうというのだ。出来るだけ事を穏便に収めたいのだが、上手くいくかは正直分からないのだ。
「という情勢なので、十分気をつけてください」
「分かりました。私も事を荒立てて日本とフランスの関係を悪くしたくはありません。気をつけましょう」
吉直の言葉にアンリエットは素直に頷いた。アンリエットの表情や声色からするに、この言葉に噓偽りは無い。異人は治外法権により日本の法により裁かれない特権を有していると聞いており、それが一部の異人による傲慢な態度に繋がっていると耳にしている。だが、アンリエットはその類いの人間では無い様だ。
これまでの付き合いで、元からそういう人格では無いと知ってはいたが、改めてアンリエットの人柄を感じ取って安心した吉直であった。
「吉直殿、あなたはこの国特有の事情は承知しているかもしれませんが、この様な情勢での緊張状態の市民がどの様な行いにでるか、その実情を知りません。私は直接は体験していませんが、フランス革命の事は祖父からよく聞かされています。あなたの方こそ、自分が立ち向かう社会の激流が、どれだけ恐ろしいか知った方が良いでしょう」
「むう……。失礼した」
吉直の内心を察したアンリエットは、逆に釘を刺して来た。アンリエットの真剣な眼差しに射止められ、吉直は恐縮する。
「あなたはこの国がどれだけの混乱に発展するのか恐らくあまり考えていないでしょうが、何が起きてもおかしくはありません。内戦によって片方の勢力に大量の犠牲者が出るくらいで済めばまだ良い方です。戦士階級ではない市民が戦いに駆り出されて戦死したり、そうでなくても虐殺される可能性は十分にあります」
「いやしかし、幕府も、薩摩や長州も戦うのは武士の役目で……そうとも言い切れないのか」
噂によると、長州では奇兵隊なる百姓などからなる軍を編制し、大いに戦果を上げているという。戦いという武士の根幹に関わる役目を他の者達に譲り渡したのだ。これは吉直にとって驚愕する事である。
生まれによって宿命づけられた役割が、これから訪れる世では崩れ去るのかもしれない。
ならば、処刑人として生まれた自分はどうなるのであろう。他の武士や百姓達と同じく処刑人に役割から解放されるのであろうか。
しかし、一早く社会に大きな変革が起きたという仏蘭西では、これまでの世と変わらず一部の一族に処刑人としての生き方が要求され続けて来た。ならば、日本ではどうなるのであろう。
考えてみても分からなかった。
「――――という事例もありますので、この国の将軍や皇帝ですら命の保証がされていると言い切れないので……聞いてましたか?」
「あ? ああ、聞いてましたよ。大名、公家、将軍、果ては天子様まで、斬首される可能性があるんでしょう。聞いてましたよ」
心ここにあらずといった様子であった吉直を心配しているアンリエットに、一応聞く事は聞いていた吉直が内容をかいつまんで答えた。その内容は本来この国の人間にとって衝撃的な内容であったが、別の事に想いをはせていた吉直はあまり深く考えずに答えたのだった。
「まあそういう事ですね。しかも、断頭台を盗んだ連中は革命を叫んでいました。ならば、この国で大きな騒ぎを起こそうとしてたとしても不思議ではありません」
「うむ。もしもあの断頭台で公方様の首が刎ねられ、それが晒しものにされたとしたら、徳川に仕える侍たちは最後の一兵まで戦うだろう。そうなれば、どれだけの血が流れるか分からぬ」
俗に旗本八万騎などというが、もちろんそこまでの兵力は幕府にはない。だが、それでも日本において有数の兵力を有しており、それが命を捨てて復讐戦を挑んだのなら恐るべき戦いを繰り広げるに違いない。その様な狂乱をもたらす効果が断頭台にはあると、吉直は考えている。
本来断頭台は、苦痛を与えずに確実に刑を執行できるようにとの慈悲の心の産物であり、その設計には当時の仏蘭西国王も関わっていたという。だが、皮肉な事にその国王自体が断頭台の露と消え、それを成した側の人間達も次々と断頭台で首を刎ねられていったとアンリエットは吉直に語った。
断頭台には、血と殺戮を呼ぶ魔力でもこもっているに違いない。
だからこそ断頭台を完全に奪還し、破壊しなければならないのだ。
「ここです。あの金王八幡宮を先行した町奉行所の者達が取り囲んでおり、これから調整して突入する事になります」
吉直は、行く先に見えて来た神社を示してそう言った。




