第一話「アンリエットの来訪」
慶応四年一月十二日、江戸市中は麹町のある屋敷に、珍客が訪れていた。
麹町は甲州街道の起点である日本橋から、次の内藤新宿の間に存在する。街道沿いという立地や、立ち並ぶ旗本屋敷等の武家屋敷と、それを相手にする商家によって往年は繁栄を見せていた。だが、慶応四年ともなると状況が変化を見せていた。
旗本屋敷が並ぶ武家地の辺りが閑静なのは一見いつも通りの様に見えるが、その雰囲気はまるで違っていた。落ち着いた気配はなく、今にも暴発しそうな殺気を抑えるのに精一杯の様だ。また、大名屋敷のいくつかはまるで夜逃げでもあったかのようにもぬけの殻となっている。
そして武家屋敷を相手にしていた商家の多くは、もう松の内も明けたというのに店を開けずにひっそりとしている。何軒かは店を畳んだようで、屋号を書いた看板が撤去されている。
皆、徳川の世の終焉を予感しているのだ。
朝廷を頂く薩摩や長州をはじめとする雄藩の兵が江戸になだれ込んできたら、江戸中が火の海になるやもしれぬ。大政奉還により大権を譲ったとはいえ徳川は日本一の大名である。全力で抵抗すればそうそう劣るものではないはずだ。
西国の雄藩は英吉利の協力を得て新式の兵器を装備した強力な軍を編成したと言うが、幕府とてそう劣ったものではない。仏蘭西の後押しにより幕府も西洋の兵器を導入し、仏蘭西軍の軍人により軍事教練をこれまで実施してきた。これだけの戦力を備えているのなら、江戸を無血で明け渡す決断はしないであろうし、いざ戦いとなればそれは血で血を洗う大規模なものにならざるを得ない。
第二次長州征伐では長州に幕府軍は敗北したのだが、元々防御側は有利なものである。しかも長州にはよく見知った地元という地の利があった。江戸で決戦する事になれば、それらの要因が逆転するのである。
ここまで考えての事かは分からないが、それでも江戸に住む者は各々何かを感じ取って静まり返っているのであった。
そんな麹町に山田朝右衛門の屋敷はあった。
公儀処刑人として知られる山田朝右衛門の一族であるが、処刑人をしているのは単なる慣例であり、公的な役職ではない。そのため、武家地ではなく町屋の一角にその屋敷を構えている。山田家の仕事には毎回手当がでる。それに、独自の商売をしているため金銭面では裕福だ。公式に仕えているのではないため、体面を保つための余計な出費も無い。
もっとも、処刑された遺族のために色々と金を使っているため、丸儲けという訳でもない。ただでさえ処刑人という穢れた職業に就いているのだ。蓄財や利財に奔った場合、どの様な恨みを買うか分かったものではない。
歴代の山田朝右衛門はそこのところを十分に弁えていた。
近所づきあいもあまりなく、来客も目立たない。穢れた一族の家を昼間から大っぴらに訪れる者などほとんどいないのである。
そんな屋敷に真っ昼間から堂々と来訪するのであるから目を引くし、来訪者自身も実に珍しく、偶然隣家の者が道の清掃のために外に出て目撃した時、目を丸くしていたものである。
訪れたのは、刃渡り四尺ほどの大剣を背負った若者である。それも、佐々木小次郎の様な武芸者や大道芸人ではない。幕府に仕える旗本衆でもなく、ましてや、日本人でもなかった。
訪れたのは仏蘭西陸軍の若き士官、アンリエット・サンソン少尉であった。
山田家の戸を叩くと若い男が出迎えた。この者は名を山田半左衛門吉直といい、当代山田朝右衛門の養子である。横浜居留地近傍での殺人事件の調査を通じてアンリエットと知り合った彼は、更なる調査のためにアンリエットを江戸に呼び寄せたのである。別れた時から数日経過している。異人が居留地から離れるには許可が必要である。その手続きに時間を要したのであった。
屋敷内にアンリエットを招き入れた吉直は、来客用の部屋へと案内する。その中には、中年に差し掛かった一人の男が座って待っていた。
彼は山田朝右衛門吉利、七代目の山田朝右衛門にして吉直の義父である。吉直がアンリエットの事を義父に話した際、吉利はアンリエットを屋敷に呼ぶ時には自分も立ち会わせるように申し付けたからである。
もちろん息子の友人と会いたいとか、その様な理由ではない。アンリエットや吉直が追っている事件が、自らの役目に大いに関わっていると考えたからである。
「お初にお目にかかる。拙者、山田浅右衛門吉利と申す者。そこにいる愚息吉直の父である。アンリエット殿はよくぞ我が屋敷に参られた。何もない所ではあるが、ごゆるりと……」
「義父上、あまり堅苦しい事は申されますな。それに、仏蘭西の方への挨拶はぼんじゅーるですよ。あと、手と手で握り合うのです」
「う、うむ。そうであったな。ぼんじゅーる、アンリエット殿」
息子に促された吉利は少し困惑した顔を見せながら、右手をアンリエットの方に差し出した。
慣れない仏蘭西語を使う彼らは一見冗談でも言っている様に見えるが、彼らはいたって真面目である。処刑人などやっていると、何時しか笑顔など忘れてしまうし、常に真面目な態度をとるように身構えてしまう。何故なら、山田家の者が外で酒を飲みながら談笑していたとする。その様な場合、見ず知らずの者から「人の首を切って飲む酒は美味いか」などと嫌味を言われてしまうのだ。もちろん言いがかりに過ぎないが、それが素直な感情という事も否定は出来ない。だからこそ山田家の者達は冗談など言わないのである。
仏蘭西の都巴里で生まれ育ったアンリエットにとって、吉直達の仏蘭西語は聞くに堪えない出鱈目な発音であったが、不思議と嫌悪感は無かった。西洋の列強諸国の人間の中には、日本や清などといった亜細亜の民など猿と同じであるといった差別意識を持った者すらいる。その様な者が吉直達の仏蘭西語の挨拶を聞いたのなら、やはり猿には人間の言葉は難しかったのだろうと己の価値観を強固にする者もいるだろう。だが、アンリエットにその様な意識は無い。差し出された吉直の右手を強く握り返した。
「ほう、我々の素性を知っているはずだが、平然と手を握り返すところを見るに、吉直から聞いていた通り、そう言う事か」
馴れぬ異人との接触で困惑気味だった吉利の顔が、すっと引き締まる。だからと言って厳しい顔になったのではない、どことなく感慨深げである。
処刑人を務める山田家の者は穢れた存在だとして、世間からは厳しい目で見られる事も多い。買い物や飲み食いが出来る店は長い付き合いのある限定されたところばかりであり、それ以外の店では中に入る事すら出来ない。ましてや、手を握るなど以ての外である。
だが、アンリエットは吉直から吉利は処刑人一族の当主としてこれまで何人もの罪人の首を刎ねて来たと聞いていたのにも関わらず、平然とその手を握り返したのだ。
「その通りです。フランスにおける処刑人の棟梁たるサンソン家を代表して、日本の処刑人の当主である山田朝右衛門殿にわたくしアンリエットが挨拶を申し上げます」
ここに、日仏の処刑人の宿命を背負う者達が、共同戦線を張ったのである。




