第十一話「居留地駐留軍」
アンリエットに案内された吉直は、駐留軍の仏蘭西部隊の隊長室に通された。
扉が開け放たれていた隊長室中には、髭を生やした威厳のある男が執務をしており、アンリエットが声をかけると筆を動かす手を止めて吉直達の方を見た。そして、室内に据えられていた椅子に座るように手で促した。
見慣れない椅子に腰を下ろすと、吉直はその柔らかさに驚く。何枚もの高級な座布団を重ねた様な感触である。この部屋の主は駐留軍の一隊を指揮する立場にある者だと聞いているが、それでも日本の役職で例えるなら侍大将や奉行の様なものであろう。その様な立場の者がこれだけの調度品を来客用にもっているのだ。これが日本と異国の国力の差かと驚くばかりだった。
「エド町奉行所の方ですかな? 私は横浜居留地駐留軍の仏蘭西部隊の指揮官、アドン・ベルナール少佐だ。初めまして」
巷では、異国の軍人は隙あらば日本を侵略せんと虎視眈々と狙っていると噂されていた。だが、目の前にいるアドンは実に丁寧な日本語で挨拶をした。アンリエットも礼儀正しい振る舞いをしており、日本人の吉直達に対して不快感を与えるような事はしていない。攘夷論者が一時うるさく唱えていた様な脅威論は、何かの誤解なのではないかと吉直は思った。
吉直は挨拶もそこそこに、事情を話した。そして、襲撃してきた者達の死体の運搬を手助けしてくれるように依頼する。
「構わない。兵を向かわせ、こちらに運ばせよう。だが、その代わり調査の優先権はこちらにもらう。良いな?」
「了承します。町奉行所側が死体を調べる場合、そちらの都合に合わせます」
吉直自身は町奉行所の役人ではないが、協力を要請されてここに来ている身だ。多少の独断は許されている。
「ところで、五日前に殺されたジョルジュ殿の死体を確認させて欲しいのですが?」
「良いだろう。見た所で何が分かるかは知らぬが、まあ構うまい。そちらにいる……サムソン少尉に連れていってもらえ」
吉直が元々横浜居留地を目指して来たのは、町奉行所の役人である浜田兵庫と共に殺されていたという仏蘭西人の、ジョルジュ・ポルナレフ中尉の死体を確認するためであった。
浜田もジョルジュも首を刎ねられた状態で見つかったのだが、その切り口は常人では困難な見事なものであった。このため、処刑人として名高い山田朝右衛門の一族の吉直なら可能であると疑われたのが、吉直がこの事件に関わったきっかけである。ジョルジュの死体を見れば何か分かるのではと思っていたのである。
ジョルジュの遺体を調べる許可が下りたので、吉直はアンリエットと共に部屋の外に出たのだが、その間アドンはアンリエットと目を合わせようとしなかった。異国の人間である吉直には丁寧な対応であるのに、部下であるはずのアンリエットに対してこの態度は奇妙である。しかも、アンリエットの名を呼ぶときに少し言い淀んでいた様にも見える。
どういう事なのかと吉直は不思議に思ったが、下手にそれを聞いてしまえばアドンの機嫌を損ねるかもしれない。そしてそうなってしまえば調査に支障をきたすかもしれないのだ。
そのため、吉直は問い質す事無く礼を述べ、部屋を出るしかなかった。
アンリエットに案内されジョルジュの遺体が安置されているという部屋に向かう途中、何人もの仏蘭西の兵とすれ違った。不思議な事に彼らは皆、アンリエットに会釈すらしない。アンリエットは少尉という階級であり、仏蘭西の軍では序列こそ低いが、れっきとした幹部に分類されると聞いている。つまり、旗本である。
それに対し、すれ違った兵はアンリエットの物よりも、明らかに地味な服を着用している。恐らく兵卒に違いない。すなわち足軽である。
足軽が旗本に対して敬意を示さぬなど有り得るだろうか。例え個人的な確執があったとしても、表面上は敬うのが当然であろう。それともこれが異国のやり方なのであろうか。
皆が身分に縛られた日本と違い、異国には自由を尊ぶ風潮があるとは吉直も聞いている。仏蘭西には皇帝がおり今の仏蘭西皇帝の叔父もまた皇帝であったとアンリエットが話していたが、以前皇帝すらいなかった時期があるともだ。その様な国の人間であるから、軍において目上の者を敬わぬのだろうか。
だが、吉直は兵達の態度に、身分から解放された自由な雰囲気と言うよりも、もっと何か別のものを感じ取っていた。それは上手く言葉に出来ないのだが、よく知っている気もする。よく知っていると言っても、懐かしいとかそいいう類のものではない。
「吉直さん、着きましたよ。入りましょう」
歩きながら考え込んでいた吉直は、アンリエットの声で我に返った。目の前には頑丈な作りの扉がある。その前には兵士が一人警護のためか暇そうに立っていた。中からは負の気配を感じ、間違いなく遺体が安置されているのだろう。
吉直が兵にアドンから貰った許可証を示すと、兵によって扉がきしむ音を立てながら開けられ、二人は負の気配が蔓延する部屋に入って行った。




