第十話「横浜居留地」
襲い掛かって来た覆面の男達を撃退した吉直達は、横浜居留地へと向かった。覆面の男達が全員舌を噛み切って自害してしまったため、その死体を道の近くに放置はしておけない。本来この地域における犯罪を調査すべき幕府の機関は道中奉行か町奉行所の神奈川表取締掛であるが、江戸まで応援を読んでいたら時間がかかり過ぎる。その点横浜居留地には英吉利や仏蘭西による駐留軍がいる。こちらに応援を呼べば話は早いのだ。
吉直とアンリエットが横浜居留地に行っている間、文吾が死体を監視する事になった。山田家は幕府御用の処刑人と世間から思われているが、実際は単なる浪人の一族である。その山田家の人間である吉直が多数の死体と共に見つかった場合、一体どの様に思われるか分かったものではない。特に幕府が無くなろうかと言う治安の悪いこのご時勢である。人斬りの類と間違われて面倒な事になり兼ねない。
それならば、れっきとした幕臣で町奉行所の同心である文吾が監視していた方が厄介事を防止できるだろう。
なお、アンリエットが残って監視するというのは論外であろう。異人が日本人も含め多数の死体と共にいるところを発見されたなら、あらぬ疑いを受けるのは必定である。場合によっては外交問題になるほどの火種となるだろう。それに、異人の勢力圏である横浜居留地に行って用事を果たすのならば、異人を連れて行かない理由が見当たらない。特にアンリエットは、仏蘭西軍の士官という立場にあるのだからだ。
「アンリエット殿、先程の戦いぶり、実にお見事でした」
「それほどでもありません。吉直さんも見事でしたよ」
横浜居留地に向かう最中、こんな会話が何回も続いた。吉直は、アンリエットにどう話しかけてよいか判断できず、同じ事を繰り返していた。アンリエットはそれに対して嫌な顔を見せず何度も同じ様に丁寧に対応した。
本当に聞きたいのは、何故アンリエットが吉直と同じ様な太刀筋の剣を修得しているかである。もちろん、アンリエットからすれば逆に何故吉直が自分と同じような剣を使うかという事なのであるが、その位の事は吉直にも分かっている。だが、特殊な環境下で磨かれた吉直と同じ太刀筋を身につけているのは、やはり気になるのである。
もしかしたら、いやそんなはずは、などと心の中で繰り返している内に、二人は居留地に到着する。
吉直は、これまで旅の最中に遠目に見た事があるのだが、居留地を訪れたのは初めての事である。
実際に近くで居留地を見ると、立ち並ぶ日本の家屋とは違う様式の建築群に圧倒される。横浜居留地は設置された当初は日本の様式の建物ばかりであったのだが、数年前の火事で大規模な焼失を機に今の様な様式になったのだという。
木造建築が主体の日本家屋と比べ、異国の建築物は石や煉瓦で作られているので外見からして相当違う。木造建築も混じってはいるが、様々な色の塗料で塗られており同じ木製とは思えない。
ここにだけ異国の街並みが移ってきたようであり、異人が嫌いな攘夷論者から見ればこれを侵略とみるのも無理はないだろう。実際、異国に敗北した清国は不利な停戦条件を飲み、植民地とされた地域には異人が支配者の如くのさばり、清国人は奴隷の如き扱いをされているという。
だが、吉直はその様な話を断片的には聞いていても、その様な敵意が湧いてきたりはしない。目の前の異国情緒あふれる光景を見ていても、これまで自分が生きていた閉ざされた世界とは違う自由な空気を感じるのであった。
「駐留軍本部に案内します。ついて来てください」
しばらく周囲の光景に見惚れていた吉直は、アンリエットの声に我に戻り、手招きする方へと慌てて歩み出した。
アンリエットの後をついていく吉直は、懲りずにあちこちを見回しながら歩いていた。どこまで行っても異国風の街並みが続いているし、そこにいる多くの者は異人である。下働きや商売のために訪れた日本人もいるのだが、彼らの中には洋装をしている者もおり、まるで異国にいるようであった。
居留地の風に中てられ、ここでは自分が処刑人の血筋である事など誰も知らず、誰も気に留めないのだろうなどと吉直は考えてしまう。山田朝右衛門の一族に生まれた事を、後悔した事などは一度もない。だが、もしもその血の運命と関係なしに生きれたとしたらという思いが、この様な場所にいる浮かんでしまうのは止めようがないのである。
せっかく駐留軍の士官であるアンリエットと伝手が出来たのだ。大政奉還がなって徳川の世が終わり、新しい社会が始まるのなら、ここで新たな仕事を見つけるのも良いのではないかと思うのであった。
「ここです。隊長に輸送のための兵を借りるので、中に入りましょう」
アンリエットの案内で、居留地の中でも一際大きな施設に到着した。建物自体は居留地内の他の建物に比べて質素な作りであるが、いかにも質実剛健な雰囲気を漂わせている。それに、建物の周りに空き地が広がっており、そこでは多数の異人の兵が方陣を組み、号令に合わせて歩いたり方向転換する動作を繰り返している。あれが、異国の軍隊の教練なのであろう。吉直から見るとこれは戦いの訓練には見えず、少々奇妙に思えてくるのだが侮りはしなかった。事実として英吉利や仏蘭西といった異国の軍隊は、強大な清国に打ち破る戦果を上げている。弱いわけがない。
見慣れぬものを第一印象で低く評価してしまった自分の事を、吉直は心の中で反省した。
「どうしました? 吉直さんも一緒に行くのですよ」
「あ、はい」
アンリエットに誘われ、吉直は駐留軍の隊舎に入って行った。




