第九話 聖女です。ありったけをぶつけます
森の中でも幾つかの群れに遭遇したが、森の入り口いたものよりかは数が少なく、難なく倒すことが出来た。
ルガルドさんに盾役をしてもらい、俺が魔法でなぎ倒す。簡単なお仕事だ。
最初会った時はボロボロだったルガルドさんも中々にタフな盾役で心強い。自前で軽微な傷を癒す回復魔法を習得しているらしく、俺が回復したりバリアを張る必要もなかった。
権天使ぐらいは付けてあげようかと思ったのだが、「ご自分の身をお守りください」とのことで、自分がアタッカーなのかと勘違いするぐらいには攻撃魔法しか使っていない。
俺が攻撃魔法を撃つときは何かを察して魔法の範囲外に離脱するので後ろに目が付いているんじゃないかってぐらい視野が広く、フレンドリーファイアで負傷することも全然ないのでヒーラーとしての仕事がなさすぎる。
逆に言えば俺の本分である回復魔法の出番がない、というのは誰も痛い思いをしてないってことなので滅茶苦茶いいことなのだが、少し複雑だ。ゲーム時はシステム的に「盾役が全くダメージを受けない」ことがほとんどなかったのでこんな経験は初めてではある。
*
調査隊が木々に付けた目印を頼りに目標地点へと向かっていると、ある地点を境に鈍感な俺でも分かるぐらいに雰囲気が一変した。
微かに聞こえていた魔獣の息遣いも、小動物の動く音も、木の葉が擦れる音も、何もかも聞こえない。
「これは――――」
「異常事態の原因である魔獣が近いのかもしれません」
ルガルドさんの言葉に相違はないだろう。今まで普通に森を進んできたというのに、今や見かけだけ森なだけの異界の様に感じる。
アイコンタクトを取り、頷くと、意を決して歩を進める。
少し進むと広く開けた場所があり、その中央には――――今回の首魁と思われる白狼が鎮座していた。
ただの白狼と侮ることなかれ。俺なんか一薙ぎで飛ばせる程の強靭な脚を持ち、その背には天使を思わせる様な一対の翼を掲げていた。
そして俺はこいつに見覚えがある。
《先遣タル神狼》。レベル五十以降に挑めるダンジョン、その最奥にいるボスだ。
仮にこいつの強さがゲームと同じレベルだと、かなりまずい。
一見、俺がレベル六十に対して神狼がレベル五十対象のボス、ということで楽勝の様に思えるだろう。
しかし、ダンジョンというのはパーティを組んで攻略するのが前提のコンテンツであり、ダンジョン内の敵はレベル五十のプレイヤーが四人で丁度良いぐらいの強さで設定されている。
多少レベルでのアドバンテージがあったところで人数不利を覆すのは難しい話、という訳だ。ソロで挑む場合には二十ぐらいのアドバンテージは欲しい。
ルガルドさんが俺ほどの強さがあれば何とかなるかもしれないが、その可能性を考慮に入れて行動するのはやめておいたほうがいい。
神狼は俺達を視界に入れると、ゆっくりと立ち上がり、遠吠えをした。巨体から繰り出されたそれは、体中に衝撃を受ける程のものであり、畏れを抱かずにはいられない。
そして、戦いは合図もなく始まった。
神狼は、砲門の様な魔法陣を空中に描き始めた。
「備えてッ!」
大天使と権天使を、詠唱の時間が煩わしく感じるほどの短時間で召喚し、ルガルドさんを守らせる。
あれは盾役を対象とした超強力な攻撃。同レベル帯でも被ダメージ軽減などのバフが皆無だと、体力の7割程度は消し飛ぶぐらいの威力。
ルガルドさんが耐えられるかは分からないが、少なくとも致命傷を避けられる程度には頑張らないといけない。頑張ってどうにかなる問題なのかは分からないが、とにかく頑張らなければならない。
「《想造神殿》」
名前の通り、実体のない、然れども俺達を守護し、敵を挫く神殿を造り上げる。
神殿内にいる敵の与ダメージを減少させ、味方の攻撃力を増加させる効果がある。
大天使、権天使、神殿。今俺に出来る、精一杯の防御魔法。これで事足りるのかは予測出来ないが、死さえ回避出来れば何とかなるはずだ。
神殿が完成すると同時に、敵の魔法――光弾が放たれる。
やはりゲームの時と同じ様に、俺ではなくルガルドさんへ向かって攻撃は行われた。
直撃は避ける為に動いてはいるが、無慈悲にも光弾は追従し、不可避のものとなっていた。
回避を諦め、剣の腹で受け止める結果となったが、絶大な威力のそれは、彼を木々が生い茂る森の奥へと吹き飛ばした。
辛うじて反応出来た俺は、すぐさま蘇生魔法、回復魔法の順に実行し、問題なく発動した手応えが返ってくる。
今すぐにでも駆けつけてあげたいところだが、目の前の敵がそれを許しくれるかは定かでは無いので、一先ず魔法が発動した手応えを信用しておくことにする。
俺はこっちに集中……と行きたいところだが、残念ながら状況としては最悪に近く憂鬱極まりない。
ヒーラーだけでのタイマン。
かなり厳しい戦いになるのは俺みたいな馬鹿でも分かる。アタッカー職よりかは継戦出来るだろうが、結局は長く戦えるだけだ。
こっちの攻撃が不十分だと最終的にはMP不足によって何も出来ずに死ぬ。
この世界だと尚更その懸念が大きい。ここに来るまでに何回か魔法を使っているし、一番MPを消費する蘇生魔法も使ってしまった。非戦闘時の急速回復が望めないこの状態では厳しいことこの上ない。
神狼は私を見つめ、「グルルルル」と唸るだけで、まだ何かをしてくる気配は無い。心做しか、敵意や殺意と言った類のものも感じない。
まるで戦闘準備を整えるのを待ってくれているかの様だ。設定でもこの神狼の知性はかなり高く、人語を喋れはしないが理解は出来ていた。
俺としては有難い話ではあるが、目的がわからない。邪魔者であれば先の様に問答無用で排除してくるだろうに、俺に対してはこうして猶予をくれている。相手の意図が理解出来ないというのは、かなり空恐ろしい状況ではあるが、一先ず打倒しない事には何も始まらない。
天使、大天使、権天使、神殿と、てんこ盛り。
「ついでに《フィックス》」
よくあるリジェネ系の魔法だが、この魔法をかけた時の体力の値を参照して、その体力に戻るように回復してくれるという、ややこしい魔法だ。
簡単に言えば体力マックスの時に発動させておかないといけないリジェネ魔法ということだ。その分回復効果は高いのでバランスは取れているのかもしれない。
これで準備完了。大人しく待ってくれていた神狼くんの思惑は如何に。
せっかく待ってくれていたので分かりやすく、カッコつけて勝負開始の合図でもあげてみよう。
「貴方を倒し、街の皆を救ってみせます!」
そう宣言した直後、相手も遠吠えをあげた――――と思ったら勢い良く突っ込んでくる。
巨体から繰り出される猛突進。そのまま突っ込まれても、爪とか牙で攻撃されても、全部直撃を許してはいけない。
様々な魔法の効果のおかげか、いつも軽かった体が、更に羽の様に軽くなっている。これだけ体が動かせれば、多少は通用すると信じたい。
少しでも狙いをずらせればと回り込む様に走り始める。まあそう簡単には行かず、あの強靭な筋肉を以て、狙いを微調整して来ている。
だがそれでいい。少しでも余分な行動を引き起こせられれば、バタフライエフェクト的にいい方向に事が運んでくれるかもしれない。
「《代理執行》」
現状撃てる、最高威力の攻撃。ヒーラーだから攻撃のバリエーションは少ないが、今となっては余計な事を考えずに済む分、楽に感じる。
光の糸で紡がれた大剣は、走りながら撃っても寸分違わず神狼へと向かっていく。
威力と速度。共に無視出来ないレベルだったのか、急停止するとその顎で迎撃した。自慢の一発だったのだが、彼にとってはそれで相殺されてしまう程度ののものだった。
だが、おまけに向かわせていた天使達には流石に為す術がないのか、ウザがりはするものの、追い払ったりは出来ないでいた。
だが結局はスリップダメージ。ある程度時間が経たないと効果は薄いので、これに頼った戦い方はよろしくない。
とは言うものの、俺がダメージを与えられる手段は《代理執行》位なものなので、MPと相談しつつ攻撃を続行する。
一回発動すれば無詠唱で撃つ事が出来るので、弾幕のように光の剣を打ち出す。
全部当てる事は叶わないが、対応し切れてない剣は深々と突き刺さり、少しずつダメージを与えられている。
俺への攻撃への対処に追われ、近づく事が出来ずにいるので、中々悪くない戦法なのかもしれない。問題はMPだが、一日に数回使えるMP回復アビリティはまだ温存してあるので、余力はある。
この調子である程度削って行こうと思った束の間、方針を変えたのか、被弾覚悟で遠吠えをあげ始める。この行動の答えは、すぐに視覚的に答えとして現れる。
地表が黄金に輝き始め、地面が鳴動する。
これがもたらす結果を思い出し、慌てて跳躍した。
神狼は、戦と豊穣の女神の眷属であるが故に、自然の力を従える事が出来る。
今回のこれは、大地の力を使ったエリア全体攻撃。岩で作られた槍が、地面から勢いよく突き出される。
本来は不可避の攻撃だが、咄嗟の判断で何とか難を逃れられた。
しかし、こんな隙を敵が見逃すはずがなかった。
頭上から光が降り注ぎ始め、仰ぎ見る。
そこにあったのは――発動直前の魔法陣だった。
ここから逃げられる術がある訳もなく、俺は光の奔流に押し流され、岩槍に叩きつけられる。
全身が焼ける様に痛い。この体は中途半端に頑丈なせいか、感覚は嫌に研ぎ澄まされている。
気力で奮い立たせ、何とか起き上がる。
岩槍が突き刺さった横腹は、見るに堪えない有様だったはずだが、自動回復魔法の効果によって即時に治っていく。
その他大小の傷も同様。
だが、それでは不完全なのだと思い知る。
外傷は全て癒えたはずだが、痛みは残り香の様に俺を苛み続けていた。
ああ、これは駄目だ。
体力や傷なんかは幾らでも癒せるだろう。だが、それによって負わされる痛み、それによる恐怖は取り除けそうになかった。
正直、もう戦いたくない。
戦うのが怖い。
全てを放り捨てて、逃げ出したい。
心は恐怖で満ち溢れていた。
だから――――これが最後だ。
もう敵の攻撃をまともに受けることは許さない。
足りない頭をフル回転させて、敵を攻撃しつつ回避する。
さっきだって一度は不可避の攻撃だったものを避けられたんだ。工夫を凝らせばどうにか出来ない事はないだろう。
より一層気を引き締めて、第二ラウンドと行こうじゃないか。
*
接近戦よりも魔法戦を仕掛けた方が効果的である、と学習したのか、こちらに近づくのは最低限に留め、魔法を乱発し始めた。
俺も対抗して魔法で撃ち落とす……なんてカッコイイ事が出来れば良かったが、出来たとしても三割程度の攻撃しか相殺するぐらいのものだ。
なので相も変わらず動き回り、狙いを固定させない手法で対処する。避けきれない攻撃は権天使に――やってみたら案外出来るもので、割と自由に動かせた――払わせる。
段々と俺に攻撃が当たらない事が分かると、再び地面が輝きを帯び始める。
二度目の攻撃だが、自分が考えた対策が通用するかは確信が持てない。杖を握る手に、嫌な汗が流れる。
跳躍と同時に岩槍が突き出される。
ここまでは先の状況と同じだ。問題はこの先。
俺を地に堕とす再演。天上に魔法陣が描かれる。だが同じ様に踊ってやるつもりは更々ない。
地表を見る。エリア全体攻撃の通り、この広場の全体が危険地帯となっている。だが、唯一の空白となっている場所がある。
神狼の足元。そこは当然安全な場所となっている。
ならそれを利用しない手はない。
《代理執行》によって光剣を作り出すと、その柄を握る。握ればとんでもない熱さのはずだが、防具と防御魔法のおかげか、少し熱い位で済んでいる。
そして、射出。当然の如く、剣を握った俺も、同じ様に神狼へと打ち出される。
俺の後方で光流が迸る。剣の射出に便乗した俺には当たらない。
これで対するは神狼のみ。
避けるか、立ち向かうか。二択がこれまでの行動だ。しかし神狼は岩槍によって身動きが取れない以上、剣を砕くしかない。
そして勿論、剣は強大な顎によって潰される。だが、俺は噛まれてやる道理もなし。鼻先を蹴り、その反動で距離を取る。
辺りは岩槍だらけだが、俺ぐらい小さいと、勢いさえ何とかすればその先に立つことも難しくはない。
まだ終わらせない。この好機を逃してなどやらない。
通常、攻撃魔法は一回詠唱して、一つのオブジェクト、あるいは結果が生成される。
だが、ここはゲームではなく現実だ。
イメージすることで応えてくれる。
俺が持つ全てのMPを使い切る勢いで、光剣を、敵を囲い込むように何本も創り上げる。
これで終わってくれ。
「《代理殲滅》」
そう詠唱すると、光剣は一斉に神狼を穿つ。
彼の抵抗も虚しく、夥しい数の攻撃が彼を傷つける。
美しい白色の毛並みも、血によって無惨にも穢れていた。
流石にボスクラスの魔獣の体力は伊達じゃないのか、まだ力尽きてはいない。
だが、勝敗は決したと言っていいんじゃないだろうか。ぼうっとする頭でそんな事を考える。
そんな甘い考えを否定するかのように、目の前の敵は翼を広げた。
片方は黄金色に、片方は空色に輝き始める。
その瞬間、俺は絶体絶命の状況へと叩き落とされる。
何故忘れていたのだろうか。俺の迂闊さが恨めしい。
これは体力が一定以下まで減ると行う、特殊攻撃。
両方の羽を攻撃し、破壊することで発動を阻止出来るのだが、少し変わったルールがある。
黄金色の羽は物理攻撃のみ、空色の攻撃は魔法攻撃のみ受け付けるようになっており、仲間と協力して解くギミックだ。
だが、現状戦えるのは俺のみ。主な攻撃は魔法攻撃のみであり、杖で殴りつけたところで、そのダメージはたかが知れている。
速攻で空色の羽を破壊する。意味があるかは分からないが気休めにはなる。
そして《アイ・ウィッシュ》によってMPを回復させ、権天使に魔力を送り込み補強する。
今から走ったところで逃げられる保証などどこにもない。最低限持ち堪えられる備えをするしかないのがもどかしい。
魔法発動までの猶予はあっという間に過ぎた。
視界が白く染まる。
先に受けた光の奔流が、生温く感じる程の火力が全身に叩きつけられた。
*
この体を以てしても、攻撃に耐えることは出来なかった。痛みが全身を襲っているのかどうかもよく分からない。感覚が麻痺している様な気もする。
視界はぼやけ、まともに像を結ぶことが出来ない。
こんな有様ではもう戦う事はおろか、逃げることさえ叶わないだろう。
こんなにも早く異世界での人生が終わってしまうのか。呆気なかった。
正直言って怖い。
当たり前だ。人生に悲観していた訳でもないし、いつ死んでもいいと達観していた訳でもない。
出来る事ならこの先も生きて、色んなものを見続けていたい。
じゃあ、「戦わなければ良かったか?」と問われると、それはノーだ。
こうやって皆を守る為に戦えた事に、後悔なんて微塵もなかった。
戦える力があるのに見殺しにすることも、誰かを守る為に他の誰かが犠牲になること。
どちらも俺には許容出来ないことだった。
偽善かもしれないし、今際の際の開き直りかもしれない。
それでもこれは、俺の偽らざる今の気持ちに間違いない。
「やりきったなぁ…………」
俺がそう呟いた直後、私の頭の中に何かが流れ込んで来た。
次話は早ければ明日、遅くとも明後日には更新します。