第一話 転生者です。ジョブチェンジ出来ませんが元気です
「………………は?」
俺は気づいたら森にいた。
正確には森の中にポツンとある花畑にいた。
俺は現代社会に生きて情報の波に埋もれている様な人間だ。おおよそ自然とは無縁と言っていい。
そのため、この状況が果てしなく意味が分からない。
こうなる以前の記憶を掘り起こしても特に変哲もない日常を過ごしていただけだ。学校から帰り、パソコンの電源を付けて、ほぼ毎日ログインしているオンラインゲームに潜る。
ただそれだけ。
ログイン処理を待っていたらここにいた……気がする。ということは唐突に気を失って夢でも見ているのだろうか。寝起きだったのか、記憶があやふやで判然としない。
「………………痛い……ん?」
試しに自分の頬を軽く殴ってみたが、普通に痛いだけだった。だが更なる違和感に襲われる。
「あー、あーあー………………おー」
これと言って特徴のない一般男性の声のはずなのに、なぜか女性、少女のような声が出るようになっていた。
改めて自分の装いを確認すると見たことのない服を着ていた。……いや、よく見るとなんだか見覚えがある。
さっきも言った、毎日のようにログインしているゲーム中にある装備に似ている気がする。
意識してみれば、ちらちらと目に映る髪の色も自分で作ったキャラの色と同じだ。
「………………ふむ」
いちいち声が可愛いな、と思いつつ、考えを巡らせる。
単純に考えれば、ゲームの世界に、ゲームのキャラに乗り移って異世界転移的なものを果たしてしまった、ということなのだろう。
だが若干気乗りしない、というか不安な要素がいくつかある。
まず一つ目が乗り移ったこのキャラがメインキャラではなく、最近新しく作ったサブキャラである、ということだ。
メインキャラは屈強でマッスルなナイスガイを作ってプレイしていたわけだが、心機一転、女性のキャラでもやってみるか、ということで作ったキャラがこれだ。
目鼻立ちはスッキリしていて可愛さと綺麗さが両立した顔。目はクリっとしていて優し気な眼差し。髪の色は水晶の様に透き通るような青。肌は穢れを知らないような純白。
まあ割とテンプレ的で見た目のいいキャラクリをした。多分探せば同じような顔がゲーム内に割といると思う。
個性のないハンコ顔、とか揶揄されることもあるが、ハズレはないのでこれでいいのだ。SNSに自キャラのスクリーンショットを投稿している人の気持ちが一割ぐらいは分かった。
まとめれば、全然育てきれてない美少女のサブキャラ、ということ。
そして二つ目が現在のジョブがヒーラーである、という点だ。サブキャラを作った理由の一つでもある。
ヒーラーのジョブをレベリングしようと思ったのだが、マッチョのキャラが味方を癒す、という画がとてつもなく嫌だったので「ヒーラーなら女性キャラ」という固定観念と偏見に塗れた思想の下、サブキャラが作られた、という話が先にある。
こういう異世界物は無双してなんぼ、みたいなところがあると思うのだが、ヒーラー、しかもレベリング中のキャラだ。今のジョブはレベルが上がった状態ならともかく、現時点のレベルだとそこまで強くはない。
ゲーマーであると同時にオタクである俺としてはこの状況に多少の興奮を覚えなくもないが、不安要素が多すぎる。
まずはレベルとかステータスが記憶の通りのままなのか確かめたい。
こういう展開はアニメやラノベで予習済みなので問題ない。多分。
「ステータスオープン」
試しによくアニメキャラが口にしているセリフを言ってみる。無駄に声が可愛い。
「………………」
特に何も起こらなかった。許せん。
だがしかし、まだ望みは絶たれていない。
ヒーラーであることが問題なのだ。つまりこの状況を改善できれば多少の不安要素は消せる。
現在のジョブは《聖女》という如何にもなヒーラーのジョブなのだが、このジョブを解放するためにはゲームのメインシナリオを進める必要があるため、それまではアタッカーのジョブを使っていた。
そのジョブも育成途中であることは変わりないが、ヒーラーよりかは幾分かマシだ。
「ジョブチェンジ!」
………………。
(ジョブチェンジ!)
………………………………。
「ジョブ!!! チェンジ!!!」
………………………………………………。
特に何も起こらなかった。
こうして俺の異世界での人生は幕を閉じたのだった。
*
「まあ自力で回復できると考えれば、中途半端なアタッカーのジョブよりはマシか。うん、そう思うことにしよう」
残念ながらこの悪夢のような状況はいつになっても覚めることがなさそうなのでポジティブシンキングで生きていくことにした。
実際この先何があるのか分からないので、中途半端に強いジョブよりも回復がこなせるジョブのほうがいい気もしてきた。誰が何と言おうとそうなのだ。
「兎にも角にも、まずはこの森を出なくちゃか」
ここであーだこーだと考えても何も始まらないので森を出ることにした。目標と言える目標も現状特に立てられないので、ひとまず人里を探したいところだ。
川を探せばいいんだっけ? それって山での話だっけ? 正直アウトドア関係の知識なぞ皆無なので「なるようになるだろ」の精神で歩みを進めていった。
*
幸運にも歩いて三十分ぐらいで街道……と呼べるほど立派なものではないが、恐らく人間や馬車が通るために整備されたであろう道を見つけることが出来た。
ここにたどり着くまでに色々分かったことがある。
まずは魔法の使い方と暫定的な自分のレベルだ。
結局ジョブチェンジは出来なかったが、心の中で色々唸っていたら、魔法の使い方が脳裏にこびりつく様に存在していたのが分かった。やろうと思えば息をするように使うことが出来るだろう。
そして覚えている魔法の数も、レベリング中の時のレベル――レベル六十のものと一致する。レベルキャップが現状百に対して六十であるのでそこまで出来ることは多くないが、ゲームの時より少ないよりかは良い状況と言えるかもしれない。
次にモンスターの姿だ。
時々モンスターの姿を見かけることがあったが、どれもゲーム中に存在するものだった。全く知らないよりかは幾分か安心できる。
そんな感じでゲーム中の存在が認識できて、安心材料が増えたというわけだ。
あとはこの世界の人間に会うことが出来ればもっと安心できるのだが。
「……左に進むべきか、右に進みべきか」
考えたところでどっちに町があるのか分かるわけがないので左に進むことにした。
進むこと数分、何かの気配と音が聞こえてきた。
第一住人発見か? と思ってワクワクしながら進むと、とてもワクワクしない状況に遭遇した。
確かに人はいた。馬車もある。だが何匹もの狼型のモンスターに囲まれていた。
あまりにもベタな展開ではあるが、個人的にはウンザリである。当事者である彼らからすればたまったものじゃないだろうが。
状況的に彼らの生存は絶望的だ。モンスターの数があまりにも多い上に、護衛らしき人物のほとんどは負傷しており、突っ伏しているものもいる。加勢が必要なのは言うまでもないことだ。
しかし、彼らに力を貸すのは正直したくない。
というのも、俺は今はヒーラーだ。攻撃手段が全くないわけではないが、主な仕事はヒールとバフの付与、味方を癒したり強化することだ。状況を一変させる力がない以上、安全にことを終えることが出来るとは限らない。
一番大事なのは自分の命だ。ゲームとは違ってリスポーンできるとは限らないのだから、博打のような戦闘は避けるべきだろう。
…………こんな感じで言い訳をしてはいるが、俺は小心者の一般男性だ。助けられるかもしれない命を見捨ててのうのうと暮らしていけるほど神経が図太くない。
それに確証はないが、何とかなる策もなくはないのだ。幸いにもモンスターはこちらに気付いていない様子。
失敗した時のことを考えると武器である杖を持つ手が震える。嫌な汗が頬を、背中を、手を伝う。緊張で吐きそうだ。
深呼吸をする。息が詰まりそうになるが、努めて冷静を装う。魔法の発動に瑕疵があってはならない。
狙いを定める。ゲームではワンアクションで狙いをつけることが出来たが、残念だがここはリアルだ。システムに頼ることなく、自力でやらなきゃならない。
そして――――魔法を発動する。
「…………《代理執行》」
杖の先から放たれた光の球が敵の頭上へと昇り、大きな剣を形成する。
悪しき存在を断罪するかのように、剣は勢いよくモンスターへと突き刺さり両断、否、肉体のほとんどを蒸発させた。
ゲームでは描写されていなかった中々グロテスクな光景に面食らっていると、攻撃に気付いたモンスターの群れが一斉にこちらに目を向けてきた。
俺の考えが当たっていますように、と祈りながら瞬きもせず、俺もモンスターを睨む。
するとモンスター達はじりじりと後ずさりをし、終いには走り去って森の中に消えて行った。
俺の策とも呼べない策が上手くいき、重い息をつく。
なぜモンスターが去っていったのか。難しい話じゃない。
俺が森の中を歩いているときに見つけたモンスター。その中にはゲーム中では好戦的なモンスター――プレイヤーが感知範囲に入ると襲い掛かってくる――もいた。しかし、それらのモンスターは俺のことを視界に入れると避けるように逃げて行った…………気がしたのだ。
ゲーム内におけるフィールドの好戦的なモンスターは、一定以上のレベル差があると、こちらが攻撃しない限り戦闘が発生しないというシステムになっていた。滅茶苦茶凶暴な見た目のモンスターでもこちらのレベルが高ければ安全にツーショットを撮ることもできる、という訳だ。
この世界ではそのシステムが高レベルの人物との戦闘を避けるようにモンスターの本能として植え付けられているのかもしれない。そう考えたわけだが、実際にこの通りになるかは実験をしてみないと分からないし、あのモンスターが自分よりもレベルが低い…………この世界だとレベルは見れないみたいだから自分よりも弱い、という確信はなかったので博打に近い策ではあったが、なんとかなった。
気疲れしたので一息つきたいところだが、ヒーラーとしての本来の仕事を全うするため、馬車のほうへと駆け寄った。
*
馬車の外にいる護衛の人たちは全員意識がなかったが、一応ヒールする。
「《マザーズ・ライム》」
頭上に天輪とも呼ぶべき光の輪が現われ、慈愛の光が降り注ぐ。
苦悶の表情を浮かべていた人たちの傷は癒え、次第に柔らかな表情を浮かべるようになった。
しかし一人だけ、最後までモンスターに抗っていた大柄な、おそらく隊長格の人の傷は一向に癒えることはなかった。
腸が露出し、片腕は食いちぎられており、最後まで立っていたのが不思議ぐらいの傷だ。
もう息絶えてしまったのかと思ったが、微かに息はしており、脈もかなり微弱ではあるが確認できる。
必死に色々と回復魔法をかけてはみるが、効果が表れることはない。
もう打つ手がない状況で、あまり意味もないだろうが蘇生魔法を実行してみる。
この魔法は名前の通り、HPが全損したキャラを蘇生する魔法だ。逆に言えばHPが全損していなければ効果が表れることはない。
「《再帰の祈り》」
ダメ元で実行した魔法だったが、その予想に反して、失われたはずの腕や腹の肉が巻き戻るかのように再生し、大きな傷は全快した様だった。一応追加で回復魔法をかけておこう。
魔法の効果はゲーム中と必ずしも一致しないのだろうか。少なくとも彼は生きていたはずなのに蘇生魔法の効果が表れた。
通常の回復魔法では癒せないことが条件なのだろうか。他の魔法に関しても色々と効果が若干変わっているのかもしれない。気が向いたら検証してみよう。
護衛さん達の治療は終わったので馬車のほうを確認してみる。
そしてそこに広がる光景を目にして軽く後悔する。
先頭に繋がれていたであろう馬は無残にも食い荒らされ、原型を留めていなかった。
そして馬と同じように、馬を繰っていた御者の男性もモンスターに襲われており、体の半分ぐらいを食われ、息を引きとっていた。
気持ち悪い、というよりも、見てはいけないものを見てしまったかのような衝撃が勝る。
…………正直試したくはないが、こんな機会はそうあるものではないので、蘇生魔法をかけてみる。現代一般男性である自分としては、生物の生死を覆そうとするのはどうなんだ、と思わなくもないが、魔法の効果を調べる好機であることもまた事実だった。
結果としては肉体が再生することもなく、彼が生き返ることはなかった。
ほっとするような、申し訳ないような複雑な感情だ。
正直まじもんの蘇生魔法なんか使えていたら色々な感覚が狂いかねないので、彼には申し訳ないがこれでよかったのかもしれない。
最後に馬車の中を確認するとしよう。
馬車の内部まで荒らされたような形跡はなさそうなので命に別状はないだろうが、念のためだ。
「ひっ…………!」
中には十五歳ぐらいの、高そうなドレスを身にまとった令嬢がおり、かなり怯えた表情を浮かべていた。貴族とかそんな感じの、いいとこのお嬢さんなのだろうか。
よく見るとドレスは湿っており、床も濡れている気がする。
「ふむ」
馬車の中とは言え、間近で人が食われたり、戦闘音、悲鳴が聞こえてくれば誰でも怖いに決まっている。自衛の力がないのであればなおさら。
彼女は未だ恐怖に染まっており、ガタガタと震え、顔も引きつっていた。
どうしたものだろうか。
俺の対人スキルはかなり低い。クソ雑魚だ。
どうすれば彼女の恐怖を取り除けるのか、正直全く分からない。「モンスターは去りましたよ」と言えばいいのだろうか。でも俺は完全なる赤の他人だ。モンスターをけしかけた主犯で、油断させるために嘘をついていると思われるかもしれない。いや思われないか。マジでわからん。
だが、現在の俺は幸いにも見た目だけみれば紛うことなき美少女だ。
それに装いもゲーム内の聖女専用装備なので割と神々しさ的な何かが醸し出されている。
多少オーバーなアクション、というか「ザ・聖女」みたいな言動をすれば大抵の人間は懐柔出来るに違いない。いや、出来る! こういうのは自己暗示が大事なのだ。
怯える彼女に近づき、優しく抱きしめる。
「大丈夫。大丈夫です。貴女を襲った魔物の群れは去りました。護衛の方たちも、今は気を失っていますが、皆無事です。御者の方は…………私の力が及ばず、お救い出来ませんでした。ですが貴女を怯えさせるようなものはもうありません。大丈夫です」
彼女を胸に抱き、言い聞かせるように語り掛ける。
「一旦息を整えましょうか。…………はい、その調子です。よく出来ましたね。私が必ず貴女を、貴女たちを救ってみせます。だから今はゆっくりとお休みください」
段々と落ち着いてきた彼女は、俺の言葉に従うようにゆっくりと意識を落としていった。
多少気障すぎるというかそんな感じだったような気もするが、美少女が言っているのだから様にはなってるだろ。そう思わないととても恥ずかしい。
眠った彼女を座席に横たえさせ、馬車の外を確認する。
未だ意識が回復した者はいないみたいなので、「それじゃさようなら」とはいけない。
暇になるな、と思いながら馬車の屋根に座り、見張り番を開始した。