嫌がらせ《ヴィクター side》
「改めて、よろしくね」
そう言って片手を差し出す彼女に、僕は少しばかり目を剥く。
ここまで好意的に接しられたのは、初めてで。
今も昔も他人から向けられるのは、悪意か無関心だったから。
本当、変わった人だな。でも、それ以上に変なのは────きっと僕だ。
だって、彼女の笑顔を見ると凄く胸が熱くなるから。
『自分の体じゃないみたいだ』と困惑しつつ、僕はおずおずと握手を交わす。
────それからというもの、僕は常にメロディ様の後をついて回った。
一人前の魔術師と認められ、自分の研究室を割り当てられても。
彼女の傍が心地良くて、適当な理由をつけては足繁く通った。
この頃になると、さすがの僕も胸が熱くなる原因に気づいていて……アプローチする機会を窺う。
幸い、僕もメロディ様も平民だから身分や立場で恋を妨害される心配はない。
でも、その分お互いの気持ちが大事になってくるから慎重に事を進めないといけなかった。
『一先ず、男として見てもらえるようにならないと』と思案する中、僕はいつものようにメロディ様の研究室を訪れる。
と同時に、絶句した。
「……なんだ、これ」
やっとの思いで吐き出した一言に、メロディ様はピクッと反応を示す。
そして、ゆっくりとこちらを振り返った。
「ヴィクター……?どうして……?」
「すみません。部屋の扉が開いたままだったので、勝手に入ってしまいました。ところで、これは……」
ネズミの死骸で溢れた室内を見回し、僕は眉を顰める。
明らかにメロディ様の仕業では、ないから。
彼女はお人好しすぎるが故に、絶対に生き物を殺さない。
たとえ、研究のためであろうと。
「……またあいつらからの嫌がらせですか?」
メロディ様のことを執拗にいじめる連中を思い浮かべ、僕は強く手を握り締める。
フツフツと湧き上がる怒りを堪えながら。
「多分、そう……先日、私が表彰されたことに腹を立てたみたい」
メロディ様は虚ろな目でネズミの死骸を見やり、ホロリと一筋の涙を流す。
これまで、どんなに理不尽なことをされても泣かなかったのに……。
「何でこんなに酷いこと、出来るのかしら……?私もネズミも、ただ懸命に生きているだけじゃない……ここまでされるようなこと、した?」
今まで決して口にしてこなかった不満を漏らし、メロディ様はクシャリと顔を歪めた。
かと思えば、声を出して号泣する。
考えれば考えるほど不合理で、非情なやり方に耐え切れなかったのだろう。
「もぅ……お願いだから……私のことは、放っておいてよぉ……何でこんな目に遭わないといけないのぉ……」
床に蹲ってイヤイヤと首を横に振り、メロディ様は頭を抱え込んだ。
赤ちゃん返りしたかのような反応を見せる彼女に、僕はハッと息を呑む。
もう本当に限界なんだ、と悟って。
いや、むしろ今まで耐えてこれたのが奇跡なんだ。
僕の把握している限りでも、かなり酷いことをされていたから。
もちろん、その度にやり返そうとしていたけど、メロディ様に止められて……って、これは言い訳だな。
ここまでエスカレートする前に、手を打っておくべきだった。
『クソッ……』と心の中で呟き、僕は額に手を当てる。
今にも焼き切れそうな理性を、繋ぎ止めながら。
今から、復讐……もとい、釘を刺しに行くか?
いや、ここまでエスカレートした以上、あいつらはもう止まらないだろう。
ちょっと脅かしたくらいじゃ、何とも思わない筈。
むしろ、『平民のくせに生意気だ』と逆上して更に嫌がらせをしてくる可能性が高い。
こちらを完全に見下して舐めているからこそ、引き下がらないであろう相手に、僕は内心歯軋りする。
ここまで増長させてしまったことを心底後悔しつつ、どう動くか悩んだ。
嫌がらせを止めるには、あいつらを魔塔から追い出すか逆にこちらが出ていくか、あるいは────完全に立場を逆転させるかしかない。
極端な選択肢かもしれないが、中途半端な対応をして痛い目を見るのはこちらだ。
妥協は出来ない。
今まさに中途半端な対応をしてきたツケが回ってきているため、僕は『もう良心を出さない』と決める。
たとえ、メロディ様に止められても。
一番の理想はあいつらを追い出すことだけど、現状それは難しい。
解雇させられるほどの材料が、ないから。
多分、嫌がらせの件なんかを上に報告したところで口頭注意で終わる筈。
なので、ぶっちゃけ僕達の方から魔塔を去るのが一番手っ取り早い方法だった。
でも、出来ればそうはしたくない。
被害者が割を食うなんて、納得いかないため。
だけど、変に意地を張って被害が更に大きくなるのはもっとダメだ。だから────
「────メロディ様、僕が貴方を守れるほど強くなります。物理的にも、社会的にも」
メロディ様の傍まで行って膝を折り、僕は優しく彼女を抱き締めた。
すると、メロディ様は反射的に顔を上げてこちらを凝視する。
「へっ……?何を言って……?」
動揺のあまり目を白黒させるメロディ様は、涙を引っ込めた。
頭の上にたくさんの『?』マークを浮かべる彼女の前で、僕はこう言い直す。
「僕が周りを黙らせるほどの地位────魔塔主にでもなれば、あいつらも下手に動けないと思います」
『魔塔主には、平の魔術師を解雇する権限もあるし』と語り、僕はそっとメロディ様の頬を撫でた。
「なので、もう少しだけ耐えられますか?もし、限界なら遠慮なく言ってください。一緒にここを去りましょう」
『どの道を選んでもついて行く』と主張する僕に対し、メロディ様は大きく目を見開く。
赤紫色の瞳に、混乱を滲ませて。
「な、何でそこまでしてくれるの……?」
『私達はただの師弟関係なのに……』と戸惑い、メロディ様はギュッと手を握り締めた。
ちょっと表情を硬くする彼女の前で、僕は
「それはもちろん────メロディ様をお慕いしているからです」
と、笑って答えた。
その途端、メロディ様はボンッと顔を赤くして固まる。
「な、ななななななな……!」
大きく仰け反って逃げ腰になるメロディ様は、右へ左へ視線をさまよわせた。
落ち着かない様子で意味もなく手足を動かす彼女に、僕はつい笑みを漏らしてしまう。
『この表情は初めて見たな』『可愛いな』と思いながら。
「告白の返事はいつでも構わないので、気が向いた時にでも……」
『してください』と続ける筈だった言葉を呑み込み、僕は手元に視線を落とした。
すると、そこには袖口を掴むメロディ様の姿が。
「わ……よ」
小さな声でボソリと何かを呟き、メロディ様は更に顔を赤くする。
何やら照れている様子の彼女を前に、僕はコテリと首を傾げた。
「すみません。よく聞こえなかったので、もう一度言ってもらえますか?」
そう言うが早いか、僕は少しばかり距離を縮めて聞き取り体勢に入る。
しっかり耳を済まして音に集中する中、メロディ様はついに首や耳まで赤く染めた。
「だ、だから……」
先程よりも少しだけ声量を上げ、メロディ様は袖口を掴む手に力を込める。
と同時に、真っ直ぐこちらを見つめた。
「────私も好きよ……!」
半ば叫ぶようにして告白の返事をするメロディ様に、僕は言葉を失う。
まさか、両想いなんて思わなくて。
あまりにも嬉しい展開に、本気で夢や幻を疑いながら唇を噛み締めた。
そうしないと、泣いてしまいそうで。
「……本当ですか?」
「嘘でこんなこと言わないわよ……!」
ちょっと怒ったように口先を尖らせ、メロディ様はじっとこちらを見つめた。
かと思えば、躊躇いがちに口を開く。
「それで、あの……付き合ってくれるの?ヴィクターの恋人になれたら、私もう一踏ん張り出来そうなんだけど……?」
『もう少しだけ耐えられますか?』の疑問に答えつつ、メロディ様は今後の関係性について言及した。
ちゃんと言葉にしてほしい様子の彼女を前に、僕はようやく両想いであることを実感する。
『夢や幻じゃないんだな』と喜び、うんと目を細めた。
と同時に、メロディ様の手を優しく握る。
「是非、お付き合いさせてください」




