実の親じゃないから
「本当にグレイスは……『迷う』ということを知らない子だな」
呆れ半分感心半分といった様子で肩を竦め、師匠は森の中へ足を踏み入れる。
この先に、私達の家があるから。
「回りくどいのは好きじゃないから、単刀直入に言おうか。僕がグレイスのご両親と会ったのは────この森に君を捨てようとしていた時のことだ」
肉食動物や魔物が多く蔓延るこの地を見据え、師匠は少しばかり眉を顰めた。
赤子をこの森に捨てる、という行為が何を指しているのかよく分かっているからだろう。
「親は私を殺そうとしたんですね」
「ああ……恐らく」
『そうだ』と断言しないのは、師匠なりの優しさか……わざと、そうじゃない可能性を残した。
「まあ、とにかくその現場に居合わせて『どうせ、捨てるならちょうだい』と言って、グレイスを引き取ったんだ。さすがにこれから死ぬと分かっている命を見捨てるのは、忍びなくて。何より、グレイスの目が……いや、何でもない」
誤魔化すように目の前の魔物を魔術で切り裂き、師匠は歩を進める。
『このことはもう聞くな』と態度で示す彼を前に、私はしばらく無言になった。
が、どうしても確認しておきたいことがあり、口を開く。
「あの、師匠。最後に一つ質問しても、いいですか?」
「……内容による」
顔を見られたくないのかこちらを振り返らない師匠に、私は言葉を付け足す。
「先程、言いかけたことに触れるつもりはありません」
「なら、いい。話してみなさい」
ようやくこちらの方を向いてくれた師匠に、私は『はい』と頷いた。
そして、真っ直ぐ目を見つめ返す。
「師匠が常日頃、私に────『ある程度大きくなったら、ここを出ていきなさい』と言っているのは、実の親じゃないからですか?」
直球で質問を投げ掛け、私は少しばかり口元に力を入れた。
鼻の奥がツンとする感覚を覚えながら。
「もちろん、私を拾って育ててくれたことには感謝しています。親代わりだからと言って、甘えたり頼りきりになったりするつもりもありません。然るべき時が来れば、きちんと自立して生きています。でも、私は────師匠の傍を離れたくありません」
ずっと胸に秘めてきた思いを……ワガママを口にし、私は繋いだ手をギュッと握り締めた。
「たとえ、別々の家で暮らすことになったとしても時々食事したり会話したり……そういう風に交流を持つのは、ダメでしょうか?私が傍に居たら、迷惑ですか?」
『どうしても、離れて暮らさないといけないのか』と問い、私はゆらゆらと瞳を揺らす。
初めて師匠の意志に……決定に否を唱えた私に、彼は少しばかり目を剥いた。
かと思えば、呆れたように笑う。
「別にダメじゃないよ。迷惑だとも思っていない。むしろ、それを望んでいるのは────僕の方だ」
「!」
まさかの同じ気持ちと分かり、私は目を輝かせた。
期待に胸を膨らませる私の前で、師匠はゆっくりと足を止める。
その視線の先には、私達の家である木製の建物があった。
「でも、僕のことしか知らないグレイスをこの田舎町に留めておくのは抵抗がある。お前はもっと、広い世界を知るべきだ」
ポンッと優しく私の頭を撫で、師匠はちょっと寂しそうに笑った。
決定を覆す気は無さそうな彼を前に、私はふと空を見上げる。
「私は別に広い世界なんて、知らなくても構いませんが」
「そういうことは広い世界を知ってから、言いなさい。体験すらせず、否定するのは愚か者のすることだ」
こちらの最後のダメ押しを一蹴し、師匠は玄関の扉へ手を伸ばした。
この話はもうおしまいだ、と示すように。
結局、私は一度言い出したら聞かないこの人を説得出来なかった。
私は師匠の傍に居られるなら、愚か者でも何でもいいけど……でも、きっとこの人は納得しないだろうな。
◇◆◇◆
「────ということで、私は一度師匠の元を離れたんです」
淡々と過去のエピソードを語り終えると、ディラン様はちょっと不満げな表情を浮かべた。
「……グレイス嬢と出会えたのは師匠の反対のおかげかと思うと、少し複雑」
拗ねたような口調でそう言うディラン様に、私は苦笑を漏らす。
嘘でも、『師匠の反対がなくても、きっと出会えましたよ』なんて言えなくて。
あの頃の私は、師匠が世界の全てだったから。
反対されなければ、冗談抜きで一生あの街に居たでしょうね。
まあ、師匠が住居を移せば話は別だけど……恐らく、それはないだろうから。
というのも、師匠はあまり人前に出たがらないため。
基本ずっと家に籠っているし、街へ出るとしても顔を隠して身元が分からないようにしている。
ハッキリ言って、怪しい人物にしか見えない。
けど、当時住んでいた街の人達は田舎だからかおおらかな人が多くて普通に受け入れてくれた。
でも、他所ではそうもいかない筈。
『憲兵に通報……までは行かずとも、遠巻きにされるだろう』と思い、私は逆に目立つ可能性を考えた。
────と、ここでディラン様が目から光を消す。
「……いや、僕達は運命だから絶対にどこかで会う筈。そうじゃないと、おかしい」
『師匠の反対なんて、あっても無くても結果は同じだ』と主張し、ディラン様はチラリとこちらを見た。
「ねぇ、グレイス嬢もそう思うよね?」
私の手をギュッと握り、ディラン様は僅かに身を乗り出す。
どこか虚ろな目でこちらを見つめてくる彼に対し、私は
「正直、何とも言えませんね」
と、答えた。
だって、師匠の反対に遭わなかった過去なんて想像出来なくて。
どういう結末になるのか、全く予想出来なかった。
「ただ────師匠の反対がなくてもディラン様と出会う運命を辿れたらいいな、とは思います。この幸福を知らずに生きるなんて、あまりにも勿体ないですから」
そっと自身の胸元に手を添え、私は柔和に微笑んだ。
すると、ディラン様は憑き物が落ちたように表情を和らげ、肩から力を抜く。
「うん、そうだね……僕も同じ気持ちだよ」
繋いだ手をギュッと握り締め、ディラン様は僅かに頬を緩めた。
すっかり機嫌の良くなった彼を他所に、私はふと掛け時計へ視線を向ける。
もうすぐ、日付けが変わるわね。
明日も仕事があるし、そろそろお暇しようかしら?
『ミリウス殿下にも休むよう言われているし』と考え、私は席を立つ。
「名残惜しいですが、私はこの辺で失礼しますね」
繋いだ手をやんわり解き、私は『また明日』と言い渡した。
その途端、ディラン様は目に見えてシュンとする。
が、掛け時計で現在時刻を確認するなり『仕方ないか』と割り切った。
「分かった。でも、帰る前に一つだけ確認してもいい?」
「何でしょう?」
「君の師匠の説得はいつ頃、行うつもりなの?」
『早い方がいいとは思うんだけど』と述べるディラン様に、私は考える素振りを見せる。
そういえば特に決まってなかったな、と思いながら。
「当初は一人で説得しようと思っていたので、師匠からのアクションを待とうと考えていましたが、さすがにダメですよね」
「そうだね。出来れば、こちらから先手を打ちたいかな。僕が居ないタイミングで話し合いを持ち掛けられたら、困るし」
『最悪、そのまま強硬手段に出られる可能性もあるから』と語り、ディラン様は顎に手を当てた。
かと思えば、出入り口の方を振り返る。
「……いっその事、今から説得しに行く?」
「えっ?」
大きく目を見開いて固まり、私はまじまじとディラン様を見つめた。
と同時に、あらゆる考えが脳裏を駆け抜けていく。
夜間の訪問はさすがに失礼……だけど、明日以降となるとスケジュールが……。
私もディラン様も狩猟大会の後処理で忙しくなって、なかなかまとまった時間を取れないだろうから。
そうやって、ズルズル引き延ばしている間に師匠から話し合いを持ち掛けられたら、元も子もない。
なら、非常識なのは承知の上で今から伺うのが一番いいかもしれない。
『ディラン様はさておき、私と師匠は気心の知れた仲だし』と思い、結論を出す。
「ディラン様さえ良ければ、今から行きましょう」
今日は魔物に遭遇したり、死にかけたりと色々大変だったため、一応後日にする選択肢を残した。
が、ディラン様は迷わず
「うん、行こう」
と、頷く。
『多分、シルヴァ様のところに居る筈だよ』と言って立ち上がり、出入り口へ足を向けた。




