まさかの素性
「どうしてですか?何で今更……」
つい口を突いて出た言葉に、師匠は少しばかり眉を顰める。
でも、それは怒っているというより自分を責めているように感じた。
「事情が変わった。ただ、それだけだよ」
「それでは、納得出来ません。きちんと説明を……」
────してください。
と続ける筈だった言葉を呑み込み、私は反射的に空を見上げる。
何故なら、地面に人のような影が落ちていたから。
『上に誰か居る?』と疑問に思う中、私は見覚えのある人物を視界に捉えた。
あら?この方は確か────
「────魔塔主様?」
思ったことをそのまま口に出すと、宙に浮く赤髪の青年はニッコリ笑った。
と同時に、地上へ降りてくる。
「いやぁ、なかなか面白いことになっているね〜」
「全然面白くないよ。一時は本当に危なかったんだから」
ミリウス殿下は堪らずといった様子で反論を口にし、小さく息を吐いた。
かと思えば、ジロリと軽く魔塔主を睨む。
「それより、いつからここに居たんだい?まさか、私達が生死を彷徨っている時も空から高みの見物なんて……」
「いや、してないですよ。それはさすがに」
『本当についさっき来たばかりです』と弁解し、魔塔主は身の潔白を訴える。
『そこまで非情な人間に見えますか!』と抗議する彼を前に、ミリウス殿下は小さく肩を竦めた。
「まあ、そこは後でじっくり問い詰めるとして」
「いや、本当にしてないですって」
『私の信用なさすぎ……』と嘆く魔塔主に、ミリウス殿下は
「陛下のサポートを担う君が、どうしてここに居るんだい?」
と、構わず質問を投げ掛けた。
『何か急用でもあるのか』と思案する彼を前に、魔塔主は肩を落とす。
私の話は無視ですか、とでも言うように。
『まあ、訊かれたからには答えるけどさ』とボヤきつつ、彼は顔を上げた。
「陛下に様子を見てくるよう、頼まれたからですよ。サミュエル殿下が怪しい動きを取っているのは、こちらも気づいていましたから。まさか、ここまで派手に立ち回るとは思いませんでしたが」
血に染まった地面や犠牲になった騎士を見やり、魔塔主はスッと目を細める。
このような結末になったことを哀れむかのように。
「本当はミリウス殿下の安否を確認したあと、サミュエル殿下に釘を刺すつもりでしたが……もう全て遅かったようですね。残念です」
『もっと早く来るべきでした』と反省の弁を述べ、魔塔主は亡くなった騎士に手を伸ばした。
かと思えば、優しく目元に触れて瞼を落とす。
白目を剥いたまま倒れているのが、気になったらしい。
『せめて、安らかに……』と呟き、彼はそっと目を閉じた。
「では、一先ず陣営の方へ戻って後始末の段取りをつけましょう────ヴィクター、君にも協力してもらうけど、構わないね?」
そう言って、魔塔主は師匠のことを見つめた。
真っ直ぐに、目を逸らすことなく。
「ヴィクター?それが師匠のお名前ですか?」
「というか、何でシルヴァと面識あるの?」
「まさかとは思うけど、君って……」
何やらディラン様には心当たりがあるのか、少しばかり表情を強ばらせる。
『もし、そうなら色々納得いくけど……』と悩む彼を前に、魔塔主はフッと笑みを漏らした。
かと思えば、逃げようとしていた師匠の腕を掴む。
「ディラン、恐らく君の予想通りだよ。彼は────行方不明になった第一級魔術師、ヴィクター・ファーガス・ローハン男爵」
『ちなみに爵位は一代限りのやつね』と言い、魔塔主は師匠の素性を明かした。
その途端、師匠は大きく肩を揺らして視線を反らす。
「……な、何のことだかよく分からないね」
「シラを切っても無駄だよ。私に次期魔塔主の座を押し付けて、消えたヴィクターくん」
「いや、あれは本当に申し訳なかったと思っているよ」
「なら、一度は謝りに来てほしかったね。というか────」
そこで一度言葉を切ると、魔塔主は心底不思議そうに首を傾げた。
「────奥さんはどうしたの?君、かなりの愛妻家だったよね?片時も傍を離れないほどの」
『姿が見当たらない』と訝しみ、魔塔主は顎に手を当てる。
『短時間なら、別行動を取れるようになったのか』と思案する彼の前で、私は少し困惑する。
だって、師匠には────奥さんなんて、居なかった筈だから。
少なくとも、私は会ったことがない。
『もしかして、別居していたのかしら?』と疑問に思う中、師匠は暗い面持ちで口を開く。
「……メロディは────もう亡くなったよ」
「!」
魔塔主は大きく目を見開き、呆然と立ち尽くした。
かと思えば、額に手を当てて暫し黙り込む。
弱音や泣き言を吐かぬように、と。
「……そうか」
絞り出すような声で相槌だけ打ち、魔塔主はこちらに背を向ける。
と同時に、素早く魔術式を作り上げた。
そして、強風を巻き起こすと、気絶したサミュエル殿下や絶命した騎士を宙に浮かせる。
「さて、そろそろ森を出よう」
────という魔塔主の言葉に倣って、私達は陣営の方へ戻った。
そこで事件の概要を説明し、狩猟大会は中止してもらう。
一生懸命狩りを行っていた者達には悪いが、他にも伏兵が居る可能性や罠が仕掛けられている可能性を否定出来なかったため。
『サミュエル殿下は相当念入りに準備していたらしいから』と思案する中、皇城へ帰還。
「じゃあ、ヴィクターはこっちで預かりますので〜。それでは〜」
師匠の首根っこを引っ掴み、もう一方の手でヒラヒラと手を振る魔塔主は再建中の魔塔へ姿を消した。
なので、必然的に私達三人がここへ取り残される。
「えっと……とりあえず今日はもう遅いし、解散しようか」
『事件の調査や尋問も、どうせ明日からだし』と言い、ミリウス殿下は早く帰って休むよう促した。
私もディラン様もサミュエル殿下の策略により死にかけたので、心配しているのだろう。
『では、お言葉に甘えて』と応じる私達に対し、ミリウス殿下は満足げに頷く。
と同時に、こちらへ背を向けて歩き出した。
「じゃあ、また明日」
軽く手を上げて去っていくミリウス殿下に、私はペコリと頭を下げる。
何故、そちらへ行くのだろう?という疑問を、脳裏に思い浮かべながら。
その先にあるのは、騎士団本部だけだけど……何か用事でもあるのかしら?
などと考えていると、不意に手を引かれる。
「ねぇ、グレイス嬢。帰る前に少しだけ時間をもらえる?」
そう言って、掴んだ手をギュッと握り締めるのは他の誰でもないディラン様だった。
どこか不安そうに瞳を揺らす彼の前で、私は
「構いませんよ」
と、即答する。
繋いだ手を握り返しつつニッコリ微笑み、私は遠ざかっていくミリウス殿下の背中を一瞥した。
今日の夜は長くなりそうね。そんな予感がするわ。




