愛情表現
「分かりました」
再び爪先立ちになって距離を縮める私は、ディラン様の唇を奪った。
『んっ……』と声を漏らす彼の前で、私は触れるだけのキスを繰り返す。
さっきは勢いに任せてしたから何とも思わなかったけど、唇の感触やディラン様の息遣いに意識を向けてみると凄くドキドキする。
それにとても、心を満たされる。
『不思議な感覚ね』と考えつつ、私はゆっくりと唇を離す。
ディラン様の呼吸が乱れたので、そろそろ終わりにしようと思って。
「ぁ……」
なんだか少し残念そうにこちらを見つめ、ディラン様は呼吸を整えた。
かと思えば、スリスリと肩に額を擦り付ける。
「ありがと……グレイス嬢の愛をいっぱい感じられて、安心した」
「それなら、良かったです。今度、またキスしますね」
「うん……」
少し恥ずかしそうにしながらも、ディラン様は首を縦に振った。
『僕からもするね』と述べる彼を前に、私は小さく笑った。
それは楽しみだな、と感じて。
「じゃあ、そろそろ帰りましょうか。これ以上遅くなると、明日に差し支えますし」
よしよしとディラン様の頭を撫でつつ、私は『時間切れだ』と告げる。
「本当はもう少し一緒に居たかったんですけどね。でも、ミリウス殿下の護衛が疎かになってはいけないので」
ちゃんと寂しい気持ちを表し、私は同じ轍を踏まぬよう注意した。
正直、まだディラン様に遠慮している部分はあると思う。
ワガママを言ったり、誰かに頼ったりするのは苦手……というか、慣れていないから。
自分一人で生きていけるよう、教育された弊害とでも言おうか。
まあ、そのように育ててもらったことに文句も悔いもないけど。
むしろ、有り難いと思っている。
今でこそ、ディラン様という頼りになる存在が居るけど、師匠の元を去った当初は完全に一人だったから。
文字通り、自分だけの力で生きていかなければならなかった。
帝都に来て騎士団へ所属してからは随分と暮らしが楽になったけど、それまではかなり苦労した。
『野宿なんて、当たり前だったし』と内心肩を竦め、私は恵まれている“今”に感謝した。
────と、ここでディラン様が小さく肩を落とす。
「そうだね。名残り惜しいけど、今日のところはこれで……」
『これで解散にしよう』と続ける筈だっただろう言葉は、突然の大雨に遮られる。
バケツの水をひっくり返したかのような降水量を前に、私達は呆然と立ち尽くした。
なので、お互いずぶ濡れ。
「えっと、とりあえず魔塔に行こうか。このまま帰ったら、風邪を引いちゃうよ」
手のひらから魔力を出し、魔術式を作成するディラン様は急いで結界を張った。
おかげで、何とかこれ以上の被害は防げる。
「魔塔に着くまでは、これを羽織っていて」
そう言うが早いか、ディラン様は黒のローブを脱いだ。
『体を冷やしたら、いけない』と気に掛ける彼の前で、私はブンブンと首を横に振る。
「私なら、平気です。それより、ディラン様の方が……」
「僕のためを思うなら、着ていて」
「ですが……」
ディラン様の方が長く外に居るということもあり、私はローブの受け取りを渋った。
すると、彼は困ったように笑ってローブを広げる。
「僕だって、恋人のことが心配なんだよ。グレイス嬢は特に自分のことに無頓着だから」
『僕がしっかりサポートしないと』と語り、ディラン様は私の背後に回った。
かと思えば、ハッと息を呑む。
「なに、これ……?────タトゥー?」
私の背中に触れて困惑を示し、ディラン様は『どういうこと?』と尋ねてきた。
それっきり黙り込む彼を前に、私はパチパチと瞬きを繰り返す。
タトゥー?そんなもの入れた覚えは……あっ、もしかして────。
とある一つの可能性に行き着き、私は少しばかり目を剥く。
『なるほど。雨のせいで服が透けて見えてしまったのか』と分析していると、ディラン様が私の腕を掴んだ。
「ねぇ、グレイス嬢……これって────」
早くもその正体に気がついたのか、ディラン様は若干声を震わせる。
と同時に、ギシッと奥歯を噛み締めた。
「────魔術式、だよね?」
確信を持った声色でそう問い掛け、ディラン様は掴んだ腕を強く握り締める。
不快感や嫌悪感を表すかのように。
「一見ただの模様にしか見えないけど、間違いない……僕には、分かる」
怒りなのか寒さなのか手を震わせ、ディラン様は後ろから顔を覗き込んできた。
「ねぇ、誰に仕込まれたの……?答えて……?」
目にいっぱいの涙を溜め、ディラン様はじっとこちらを見つめる。
問い詰めるような……でも、どこか縋るような眼差しを向けてくる彼に、私は
「────恐らく、師匠です」
と、答えた。
と同時に、小さく肩を竦める。
「まあ、確証はありませんが。なんせ、背中の模様が魔術式だとは知らなかったので」
『完全に初耳だ』と主張する私に対し、ディラン様は目を見開いた。
「えっ?そうなの?」
「はい。師匠が何か細工をしているのは知っていましたが、詳しくは教えてくれなくて……ただお守り代わりのものだ、としか」
師匠の元を去る際に与えられた餞別に、私は思いを馳せる。
『まさか、魔術式だったなんて』と少しばかり動揺を覚えながら。
「ディラン様はこれがどんな魔術なのか、分かりますか?」
単純に気になって質問を投げ掛けると、ディラン様はハッとしたように視線を上げた。
かと思えば、掴んでいた腕を離し、少しばかり身を屈める。
もっと、よく魔術式を見るためだろう。
「えっと……ごめん、よく分からない。多分、僕達の使う文字や数字とは全く異なる言語で構築されているから」
『解読出来ないか、後で挑戦してみるけど』と零しつつ、ディラン様はそっと眉尻を下げた。
役に立てず、申し訳なく思っているのだろう。
魔術は自分の得意分野であるため、余計に。
「逆にグレイス嬢は何か心当たりない?」
『参考までに聞きたい』と申し出るディラン様に、私は小さく首を横に振る。
「いえ、特には」
「じゃあ、その師匠が普段どんな系統の魔術を使っていたか分かる?」
「正直、何とも言えませんね。師匠は基本どの魔術も巧みに操れるので、特定の系統に固執することがあまりなかったと言いますか……臨機応変に、使用する魔術を選んでいました」
「それは珍しいね。大半の魔術師は使い慣れた系統や得意な属性の魔術を使いがちなのに」
『相当練度の高い魔術師なのか』と呟き、ディラン様は悩ましげに眉を顰めた。
と同時に、私は後ろを振り向く。
「ええ、師匠は本当に凄い方なんですよ。でも、それ以上に────とても、優しい」
決して私を甘やかすことはなかったものの、きちんと将来や健康のことを考えて接してくれた。
いつ見捨てたって、良かったのに。
ちゃんと一人前になるまで育ててもらった恩は、返しても返し切れない。
『本当は師匠の元に残って、恩返ししたかったんだけどな』と考えつつ、私は前を見据えた。
「なので、少なくとも危険な類いの魔術ではないと思います」
胸を張ってそう答えると、ディラン様はどこか不満そうに……いや、悔しそうに相槌を打つ。
「そう……随分と仲が良いんだね」
「はい、師匠は私の親代わりでもあるので」
「!」
反射的にこちらを見つめ、ディラン様は大きく瞳を揺らした。
かと思えば、ゴクリと喉を鳴らす。
「お、親代わりって……」
少し掠れた声で、そう言った瞬間────ディラン様はクシャミした。
さすがに体も限界みたいだ。
『長時間屋外に居た上、この雨だものね』と思いつつ、私はディラン様のローブを掴む。
と同時に、彼の体へ掛けた。
「ちょっと失礼しますね」
ちゃんと断りを入れてからディラン様の脇下と膝裏に手を差し込み、お姫様抱っこする。
『うわっ……!?』と思わず声を上げる彼の前で、私は魔塔へ足を向けた。
「直ぐに着くので、じっとしていてください。結界の維持だけ、お願いします」
そう言うが早いか、私は勢いよく地面を蹴り上げる。
反射的に首へ抱きついてくるディラン様を抱え、魔塔へ直行した。
そして、ディラン様の研究室へ駆け込む。
再建途中にしては随分と整っている室内を前に、私はアランくんを呼んだ。
すると、奥の部屋から少年が姿を現し、こちらを見るなり絶句。
慌ててタオルやら着替えやらを用意する彼に、私はディラン様を託して帰宅した。




