皇太子の護衛
◇◆◇◆
「────グレイス嬢」
団長に頼まれた資料を運ぶ途中に声を掛けられ、私はゆっくりと後ろを振り返った。
すると、そこには最近恋人関係となったディラン様の姿が。
以前と変わらず黒いローブを身に纏う彼は、目が合うなり嬉しそうに笑った。
「やっと、会えた」
大歓喜と言って差し支えない感情を表し、ディラン様は抱きついてくる。
それはもう力いっぱい。
まあ、普段から鍛えている私からすれば痛くも痒くもないが。
「お久しぶりです、ディラン様」
「うん、久しぶり。一週間も会えなくて、凄く寂しかった」
スリスリと頬を擦り寄せてきて、ディラン様は甘えてくる。
まるで子猫のような態度に、私はスッと目を細めた。
と同時に、優しく彼の頭を撫でる。
「魔塔の再建の方は順調ですか?」
「うん。僕の力が必要な作業は、もう全部終わっているよ」
『あとは他の奴らにやらせる』と言い、ディラン様は私の肩に顔を埋めた。
廊下の真ん中であろうと気にせず引っ付いてくる彼の前で、私は小さく相槌を打つ。
「そうですか。ところで、今日はどうしてこちらに?」
何か用事でもあるのではないかと思い、忘れないうちに尋ねた。
すると、ディラン様はピタッと身動きを止め、腰に回した手に力を込める。
「……何か用がないと、来ちゃダメなの?」
いつもより低い声でそう聞き返すディラン様は顔こそ見えないものの、とても悲しんでいるように感じた。
グスッと鼻を鳴らす彼を前に、私はパチパチと瞬きを繰り返す。
「いえ、そんなことはありませんよ。ディラン様と会えるのは、とても嬉しいですから。でも、何か用事があるならそちらを早めに片付けた方がいいかと思いまして。そしたら、余った時間を雑談やスキンシップに回せるでしょう?」
「!」
パッと顔を上げてこちらを凝視し、ディラン様は目を輝かせた。
かと思えば、物凄く幸せそうに微笑む。
「えへへ……グレイス嬢も、僕との時間を求めていたんだ。嬉しいな」
『恋しく思っていたのは、僕だけじゃなかった』と歓喜し、ディラン様はまたもや肩に顔を埋めてきた。
譫言のように『好き好き』と呟き、私の手を握る。
しかも、俗に言う恋人繋ぎで。
「はぁー……ずっと、こうしていたいな。あぁ、でもその前に用事を済ませないとだよね」
ゆっくりと身を起こし、こちらに向き直るディラン様は繋いだ手をそのままに口を開く。
「単刀直入に言うと、ミリウス殿下の護衛をしてほしい。僕と一緒に、ね」
神妙な面持ちで話を切り出し、ディラン様は繋いだ手をギュッと握り締めた。
真剣な素振りを見せる彼を前に、私は少しばかり目を見開く。
「ミリウス殿下の護衛、ですか?それなら、近衛の方がいらっしゃるのでは?」
素朴な疑問をぶつけると、ディラン様は一瞬顔色を曇らせた。
「……それだけじゃ、足りないんだ。身の程知らず共が、最後の悪足掻きを始めたせいで」
どことなく暗い声色でそう語るディラン様に、私は内心小首を傾げる。
「えっと……よく分かりませんが、ミリウス殿下の身が危ないんですね?」
「うん。少なくとも、安全とは言い難いね」
憂いげな表情を浮かべ、ディラン様は溜め息を零した。
恐らく、ミリウス殿下の親友として心配しているのだろう。
ミリウス殿下とは顔見知り程度の仲だけど、困っているのなら力になりたい。
何より、恋人の友人を見捨てるようなことはしたくなかった。
『私が何かの助けになれるなら』と思いつつ、腹を決める。
「そういうことでしたら、是非ご協力します。もちろん、団長に話を通してからになりますが」
────と、返事した翌日。
早速、私達はミリウス殿下を護衛することになった。
無論、団長にはこのことを相談済みである。
急なことだったから揉めるかと思ったけど、案外すんなり許可を貰えたのよね。
『この破壊の化身でいいなら、持っていけ』って。
最近は壁も床も壊していないのに。
『まだまだ力加減の練習が必要ということか』と考えつつ、私はミリウス殿下の後ろを歩いた。
その際、海のように真っ青なマントが小さく揺れる。
「……落ち着かない」
そう言って、不機嫌そうに眉を顰めるのは────同じく、青いマントを身につけるディラン様だった。
服装指定の関係でいつものローブを羽織れない彼は、珍しく騎士服を着用している。
それも、白いデザインのものを。
「せめて、黒なら良かったのに……何で白なの……凄く目立つ……本当、嫌……」
普段の格好とは真逆だからか、ディラン様は終始ソワソワしていた。
身を縮こまらせて私の後ろに隠れる彼に対し、ミリウス殿下は苦笑を漏らす。
「申し訳ないけど、我慢しておくれ。いつもの格好だったら、私の近衛としてカウントされず色々と面倒なんだ」
『どこかへ行く度、身体検査されるのは嫌だろう?』と問い、ミリウス殿下は皇城の渡り廊下を突き進む。
その後ろで、ディラン様は苦汁を嘗めるような表情を浮かべた。
かと思えば、小さく頷く。
普段と違う格好をする苦痛と他人に体を触られる苦痛を比べて、こっちの方がマシだと結論づけたらしい。
まあ、それでもかなり嫌そうではあるが。
「なんだか、私ばかり浮かれているようで申し訳ないですね」
小さく肩を竦めてそう言うと、ディラン様は僅かに目を剥く。
「えっ?」
『どういうこと?』と視線だけで問い掛けてくる彼に対し、私は小さく笑った。
「ほら、魔術師であるディラン様と同じ格好になれる機会ってあまりないじゃないですか。だから、ちょっと嬉しかったんです。俗に言うペアルックみたいで」
『恋人っぽいな、と思いまして』と述べ、私はそっと自身の胸元に手を添える。
すると、ディラン様はハッとしたような表情を浮かべ、まじまじとこちらを見た。
「……確かにこれ、お揃いだ」
『今、気がついた』と驚き、ディラン様はゆっくりと姿勢を正す。
と同時に、頬を緩めた。
「グレイス嬢と同じ格好って考えたら、悪くない気がしてきた。いや、むしろ嬉しいかも」
先程と打って変わって声を弾ませ、ディラン様は上機嫌にマントを揺らす。
うっとりとした様子で同じ格好の私を見下ろし、隣に並んだ。
かと思えば、堂々と手を繋ぐ。
職務中であろうとお構いなしの彼に、ミリウス殿下は小さく息を吐いた。
「まあ、機嫌が直って良かったよ」
『服のデザインを変えずに済みそうだ』と言い、ミリウス殿下は肩を竦める。
その瞬間────左右から、何かが飛んできた。それも、殿下目掛けて。
「失礼します」
そう一声掛けてから、私はディラン様の手を離し、肩に担ぐ。
と同時に、ミリウス殿下の元へ駆け寄り、彼のことも小脇に担いだ。
『おっ、と……』と声を漏らす二人の前で、私は素早く後ろへ下がる。
そのため、飛んできた何かが当たることはなかった。
カランと音を立てて床に落ちたソレを一瞥し、私は来た道を引き返して渡り廊下から出る。
ここは見晴らしが良すぎて、格好の的となるため。
まあ、このまま戦闘を避けるのは不可能だろうけど。
なんせ、飛び道具として使ってきたのがナイフだったから。
弓矢ならともかく、重さもあるナイフとなるとそこまで飛距離は出ない。
つまり、近くに敵が潜んでいるということ。
『物陰に隠れてやり過ごすのは、不可能ね』と思いつつ、私はディラン様とミリウス殿下をそっと下ろす。
「ここで敵を迎え撃ちます。前衛は私が。ディラン様はミリウス殿下の保護と戦闘のサポートをお願いします」




