予想外の客人
「ふ〜ん?ウチの元弟子達は、まだ黙りを貫いているんだ」
捜査に進展がないことを表すかのように少ない資料を眺め、ディラン様は嘆息した。
「意外と強情だな……捕まれば、観念するかと思ったのに」
「もう失うものがないからこそ、ヤケを起こしているのかもしれませんね」
「僕達へのささやかな嫌がらせってこと?相変わらず、意地の悪い奴らだな」
呆れたように溜め息を零し、ディラン様はアランくんに資料を渡す。
最近文字を習い始めたばかりで読めないと踏んでいるからか、それとも知られたって構わないと思っているからか隠す気などなさそうだった。
『見たいなら見れば?』というスタンスを貫くディラン様の前で、アランくんはじっと資料を眺める。
本当はあの事件のことなんて思い出したくもないだろうに、難しい顔つきで……でも、しっかりと恐怖に向き合っていた。
アランくんは本当に強い子だな。
『大人でも、この現実を受け入れるのは難しいのに』と思いつつ、私はそっと眉尻を下げる。
首に出来た鱗や縦に開いた瞳孔を見据えながら。
アランくんに混ざった魔物は全部で三体。
卵の中身を注入されていく度、体の一部が変化していったらしい。
ちなみに裸眼では見えないけど、耳の鼓膜もちょっと変わっているんだとか。
魔物の言葉を理解出来るようになったのもそのためだろう、とディラン様が言っていた。
『詳しいことはこれから調べていくみたいだけど』と考えつつ、私は
「では、そろそろ失礼しますね。あまり長居すると、団長に怒られてしまうので」
と言って、踵を返す。
案の定とでも言うべきかディラン様に引き止められたが、もう三十分も居座っているのでこれ以上は不味かった。
『団長に怒られる』と危機感を抱きながら魔塔を後にし、騎士団本部へ戻る。
と同時に、何故か応接室へ通された。
『えっ?何で?お客様でも来ているの?』と戸惑いを覚える中、ソファに座る人物と目が合う。
「────やあ、初めまして。私はミリウス・メルキオール・エタニティ。この国の皇太子だよ」
そう言って、こちらに手を差し出すのは金髪の美青年だった。
中性的な顔立ちに笑みを浮かべ、サファイアの瞳を細める彼は気軽に『よろしく』と宣う。
皇太子と思えないほどフレンドリーに接してくる彼を前に、私はパチパチと瞬きを繰り返した。
どう対応していいか分からず、私はここまで連れてきてくれた団長に助けを求めようとするものの……いつの間にか、居なくなっている。
『あれ?置いて行かれた?』と衝撃を受けながら、私は一先ずミリウス殿下と向き合った。
「エテル騎士団所属の第一騎士グレイスです」
ソファに腰掛けるミリウス殿下へ近づき、私は騎士の礼を取る。
そして、差し出された手に自身の手を重ねようとした瞬間、ディラン様の顔が脳裏を過ぎった。
あっ、そうだわ。約束……。
ミリウス殿下の手に触れる寸前で身動きを止めた私は、悶々とする。
果たして、これは必要最低限の接触に入るのか?と。
『ディラン様に知られたら、拗ねられそうだ』と思案し、私は少しばかり手を引いた。
が、皇太子殿下の握手を断るのはどうなのかと悩み、元の位置へ戻す。
────と、ここでミリウス殿下が顔を覗き込んできた。
「どうしたの?そんな思い詰めたような表情をして」
不思議そうに首を傾げ、ミリウス殿下は『具合悪い?』と気に掛ける。
そっと眉尻を下げる彼の前で、私は曖昧に微笑んだ。
「えっと、実はディラン様からあまり他の人と接触しないよう言われていまして……握手するべきか、否か迷っていると言いますか……」
「……えっ?」
思わずといった様子で間の抜けた声を出し、ミリウス殿下は固まる。
まじまじとこちらを見つめ、数秒ほど沈黙した。
かと思えば、ブハッと勢いよく吹き出す。
「ははははっ!君がディランのお気に入りという話は、事実みたいだね!まさか、そんな子供じみた独占欲まで発揮しているなんて……ははっ!ディランとは十年来の付き合いだけど、こんなの初めてだよ!」
バシバシと膝を叩きながら、ミリウス殿下は大笑いした。
目から涙を零すほどに。
「はぁー……久々にここまで笑ったよ。ありがとう、グレイス卿」
「いえ、お礼を言われるほどのことでは……私はただ事実を言っただけなので」
『ほぼ何もしていない』と告げると、ミリウス殿下はクスリと笑みを漏らす。
「いや、そんなことはないよ。さっきの笑いも、ディランの心の変化も全て────君の勇気ある行動から、派生したものなんだから」
『もっと胸を張っていい』と述べ、ミリウス殿下は膝の上で手を組んだ。
「論文発表会の件、部下達から報告を受けているよ。ほぼ単独で全てを調べ上げたらしいね」
「はい、騎士団を動かせるほどの根拠や証拠はなかったので」
『ディラン様は嘘をつかない』という信頼……あるいは思い込みから始まった捜査。
元弟子達の詰めが案外甘かったから、トントン拍子に話を進められたものの……一歩間違えたら、大惨事だった。
元来、魔術師と騎士は仲が悪いものだから。
魔塔の粗を探していると見なされる可能性だって、あった。
今考えてみると、結構無謀だったかも。
でも、ディラン様が困っていると思ったら居ても立ってもいられなかったのよね。
『ただ力になりたかった』と考える中、ミリウス殿下は眩しいものでも見るかのように目を細めた。
「『一人でもやる』『一人でも頑張る』というのは存外難しいものなのに、君は凄いよ」
「いえ、そんなことは……」
「謙遜しなくていい。そういう強さを持っている人間は稀なんだから、むしろ誇りたまえ」
『君にとっては当たり前なのかもしれないけどね』と肩を竦め、ミリウス殿下は少し前のめりになる。
「君のように素直で真っ直ぐな子が、ディランの傍に居てくれてとても嬉しいよ。まあ、彼の親友としてはちょっと複雑だけどね。ディランは基本無愛想で誰にも懐かない、猫みたいなやつだったからさ……彼を一番理解してあげられるのも、助けてやれるのも自分だけだと思っていた」
サファイアの瞳に寂寥感を滲ませ、ミリウス殿下は自嘲にも似た笑みを浮かべた。
かと思えば、クシャリと顔を歪める。
「でも、一番困っている時に私は何もしてあげられなかった……それどころか、視察先で優雅に紅茶を飲んでいたよ」
『ディランは地獄を見ていたのに……』と己を責め、ミリウス殿下は額に手を当てた。
能天気な自分を許せない様子の彼に、私はすかさずこう言う。
「それは知らなかったのだから、仕方ないと思います。私はたまたまディラン様の近くに居て、助けられる立場だったから行動したまでのこと。これまでの殿下の行いやディラン様と過ごした日々に比べれば、微々たることですよ」
『総合的に見れば、殿下の方が力になっている』と主張し、私は膝をついた。
「それでも納得いかないなら、こう考えてみてはどうでしょう?今回は殿下の番じゃなかったんだ、と」
ミリウス殿下の顔を下から覗き込み、私はスッと目を細める。
「何事にもタイミングというものが、あります。それがたまたま、外れただけです。何も卑下する必要はありません。だって、ずっと自分の番だったら疲れてしまうでしょう?だから、かわりばんこです。ディラン様を守る人はたくさん居るんですから」
『全てを一人で背負う必要はない』と説き、柔らかい笑みを浮かべた。
すると、ミリウス殿下は面食らったように目を見開く。
「はっ……ははははっ!君は本当に素直で真っ直ぐな子だね」
花が綻ぶような笑みを零し、ミリウス殿下は前髪を掻き上げた。
『敵わないなぁ……』と呟きながらソファの背凭れに寄り掛かり、天井を見上げる。
「ディランが君を気に入った理由が、何となく分かったよ。確かにこれは結構来るな」
『無自覚タラシだね、君』と他人事のように言い、ミリウス殿下はクスクスと笑った。
かと思えば、急に真顔へなる。
「ところで────ディランの様子はどう?情緒不安定になってない?」
こちらが本題なのか、ミリウス殿下は少し緊張した様子でこちらを見つめた。
僅かに身を乗り出す彼の前で、私はディラン様の生活態度を思い返す。
「そうですね……時折泣いたり拗ねたりはしますが、比較的落ち着いている方だと思いますよ」
どれだけ情緒不安定になっても、こちらの話を聞く程度の余力はあるため『まだ安全』と判断した。
日常生活を送る分には問題ないと太鼓判を押す私に対し、ミリウス殿下は目を剥く。
「えっ?本当に?今にも死にそうな顔になったり、自傷行為へ走ったりしてない?」
思わずといった様子で聞き返してくるミリウス殿下に、私は小首を傾げた。
『なんか、妙に具体的な例えだな』と。
「そういった行動は、取っていないと思いますよ。少なくとも、私は見ていません」
「う、嘘だろう……?だって、ディランは人体実験された子供と一緒に居るんだよね?」
「はい」
「なら、確実に────過去のトラウマを刺激されている筈なのに……」
『信じられない』とでも言うように頭を振り、ミリウス殿下は口元に手を当てた。
まじまじとこちらを見つめてくる彼の前で、私は瞬きを繰り返す。
「過去のトラウマ?」
「おっと……私としたことが、余計なことを言ってしまったようだ。忘れてくれ」
ハッとしたように表情を取り繕い、ミリウス殿下は素早く席を立った。
「まあ、とりあえず元気そうで安心したよ。私も後で直接ディランに会いに行くとしよう」
言及を避けるようにさっさと話を切り上げ、ミリウス殿下は私の横を通り過ぎる。
「それじゃあ、邪魔したね。そろそろ、私は城に戻るよ」
「あっ、でしたら送っていきます」
「いやいや、大丈夫。付き添いはギデオンに頼むから」
『気持ちだけ受け取っておくよ』と軽く流し、ミリウス殿下は部屋を出た。
かと思えば、何かを思い出したかのように立ち止まり、こちらを振り返る。
「ディランのこと、これからもよろしく頼む。仲良くしてあげて」
明るく笑ってそう言い、ミリウス殿下はおもむろに扉を閉めた。




