獣の躍動
「エリック! それ以上口を開くな」
審判である団長が間に入って、セシリアは脇に運ばれる。彼女がもう自力で立てないと判断したからだろう。回復士による治療がすぐさま始まるのをウツロは確認すると、改めて目の前の男を見る。エリックの発言は、セシリア個人に向けられたものではない。貴族という特権階級、貴族が回すこの世の中。自分一人では太刀打ちできない大いなるものの代わりに、セシリアを攻撃したに過ぎない。
「お前は退がれ。ウツロの相手は別の団員に任せる」
団長は、鋭い目付きでエリックを睨みつけた。しかし、
「いえ、そのままで結構です」
ウツロはエリックに向かって歩き出す。男がやったのは、ただの八つ当たりである。どんな過去があるのか知らないが、貴族に対して思うところがあって、その象徴ともいえる公爵家令嬢を前にして抑えきれなくなった。ただそれだけのことである。理屈で考えればこのように理解は出来る。しかし、ウツロはそんなものを頭の中で引きちぎった。今は、実力を測るのが目的の場。それなのに、この男はセシリアを侮辱し、動けないのを分かった上でさらに痛めつけた。ウツロはその事実だけ認識できれば十分だった。
団長は、ウツロの目を見る。いくら言葉で説得しても聞く耳は持っていないだろう。彼は再び審判を務めるべく、持ち場に戻った。
『こっちの勝負は、安心だし楽しめそうね』
副団長は自然と安堵の一息をついていた。
「そんな槍なんぞで、俺に勝てるのか?」
ウツロは口を閉ざしたままである。この男と、言葉を交わす必要はない。
「まあどうせ見かけ倒しだろうがな。元貴族様の隣に立つには、奇抜な芸の一つや二つはこなさないとか?」
ウツロは烈火のように魔力を回していた。二人の熱量の差に、観客たちは一層緊張していた。
「はじめ!」
その静寂を破った声と同時に、エリックの視界は宙を見上げていた。
『どうして……!』
何が起こったのか、脳は思考を整理できなかった。その刹那、左胸に走る痛みで状況をようやく理解する。彼はウツロの攻撃によって後方に吹き飛ばされている最中だった。地面に大きな音を立てて背中を打つ。エリックは己の左胸を確認する。そこには、一秒前までウツロの手に握られていた朱槍が突き刺さっていた。
『あいつ、槍をぶん投げたのか……?』
痛みに耐えながら体を起こして、エリックはウツロに視線を戻す。男は青い炎を纏いながら、こちらを見下していた。その瞬間、胸に刺さっていた槍が一人でにエリックの元を離れて、ウツロの右手に帰っていく。槍を引き抜かれたことで、出血がより酷くなる。
『まずい、このままじゃ出血でお陀仏になっちまう。早く治癒を』
エリックは、ウツロには目もくれず治癒魔法を発動させた。
「ずいぶん呑気だな。敵を目の前に戦うことを放棄した選択だ」
エリックの耳に届いたウツロの声は、あまりにも静かで、そして冷たかった。血が抜けるよりも先に、耳から凍死してしまう。それほどまでの鮮明な恐怖が頭によぎった。
ウツロは攻撃をせず、ただそれを眺めていた。本来ならば、無防備な敵を前にとどめを刺せばいいだけなのに、敢えてそれをしなかった。
『あの子、まさかこれから拷問でも始める気?』
副団長は、団長の方へ視線を向ける。
『エリックにとっても、勉強だ。まだ手は出すな』
二人は視線だけで会話を済ませる。この瞬間、ウツロが知らない間に、殺人許可が出ることになった。
「中々やるじゃねえか、ウツロ!」
何とか立てるまで治癒が待ってもらったエリックは、気炎を吐いて立ち上がる。
「もう油断はしねえ! 俺もお前を全力で殺す!」
エリックは、ようやく殺気で目を血走らせる。
『それを最初からできるようになれば』
まだマシだっただろうにと、団長は心内でこぼす。
『ヤツの魔法は、おおよそ掴んだ。肉体強化の朔と、"忠誠"の権能を持つ槍。こんなガキ相手に遅れを取ってるのは不本意だが、近づいて戦うのは分が悪い!』
エリックは接近戦に見切りをつけて、魔法戦に切り替えた。エリックの体から魔力の揺らぎを感じ、ウツロは神経を集中させる。次の瞬間、彼の足元に溜まった血の海から、鋭い刺が飛び出してくる。それは地を這う大槍のようだった。ウツロは横に回避しつつ、後退させられる。
『これが奴の属性魔法、いや朔か』
「朔"嘔心瀝血"! 俺の属性は"血"。己の血液を使うことで、鋭い矛や堅固な盾を瞬時に作り出す攻防一体の魔法だ。おあつらえ向きにすでに血をぶちまけさせられたからな。後悔しても、もう遅いぜ!」
血に限らず液体を使った魔法は、形が不定であるため対処が難しい。自由自在に変え、素手では掴めない。普通に戦えば苦戦は必至の相手だが、ウツロは笑い出す。
ウツロは再び槍を振りかぶる。
「来い!」
エリックは、自分の目の前に血を固めた壁を作り出す。全力で魔力を注ぎ込んだ壁、これ以上ない彼に出せる最大最固の防備だった。
『反りも入れて、表面を滑らせるつもりね。だけど、それ以前の問題じゃない?』
副団長の予想は見事に的中した。エリックの血壁はウツロの槍に容赦なく貫かれ、その勢いのまま体には突き刺さる。
『こいつ……さっきと同じ位置に!』
痛みの最中、エリックは寸分違わずに再び打ち込まれた槍を見つめる。今度は何とか踏ん張って青天井を仰ぎ見ることはなかったが、力なく膝から崩れ落ちる。
『クソ! 魔力が、上手く練れない……』
二度目の心臓打ちからは帰還できそうにない。エリックはもはや意識も薄れ、呼吸さえままならなかった。
ウツロは槍を手元に引き戻す。力なく地面に堕ちた敵を見て、ウツロはもう一度槍を構える。その目には、憐憫の情などカケラも宿っていなかった。
「そこまで!」
ウツロとエリックの間に割って入る団長を、ウツロは静かに睨みつける。
「外野が勝手に決めるな。そこを退け」
「断る。聞いたはずだが、俺はこの基地で一番偉い人間だ。逆らうなら、たとえ客人でも容赦は出来ない」
ウツロと団長の間に、緊張が走る。長として、規律は絶対であり、子ども相手に大人げないとしても引くことは出来ない。そもそも、団長は今目の前の男を騎士見習いなどと思っていない。
『これは、獣だ。騎士でもなければ兵士でもない。ただ己が怒りに身を任せ、敵を屠るだけの残虐な存在。抜き身の剣と何も変わらない。浴びるほどの血を見るだけでは、決して止まらない!』
ウツロの狂気と暴力を前にしても、団長はたじろぐことはない。目の前の男を斬り落とす、事態の収束にはそれしかないと腹を決めたそのとき、訓練場に甲高い声がこだまする。
「ウツロ!」
その瞬間、獣の目に光が戻る。野生に支配されていた頭が、理性に手綱を引かれる。ウツロの脳裏には、先日の事件の光景が思い出された。自分を殺そうとした相手を、セシリアは身を庇って守った。今呼吸が止まり、血を流しながら倒れているソレにも、彼女は同じ行動を取るのだろう。ウツロは大きく息を吐き、構えた槍を納める。
「すいません、団長。冷静になりました」
「良かったよ、俺もお前さんを斬らないで済んで」
団長はすぐさま回復士に指示を出し、エリックの治療を開始させた。
「ウツロ、体は大丈夫ですか?」
治療が済んだばかりのためか、セシリアは少しふらついていた。ウツロは黙って体を貸して支える。
「他人の心配より、自分の心配をしろ。俺は何も外傷はない」
セシリアは胸を撫で下ろす。
「良かったです! 目が覚めたら、ウツロがとても辛そうな顔をしていて……。何かあったのかと、不安になって」
あの一瞬で最適解を導き出し、それを実行した。その事実にウツロは驚かされる。
「辛そうだった、というのは中々興味深いわね」
副団長が二人に歩み寄る。そして物珍しそうに、セシリアの全身をあらゆる角度から観察し始めた。
「あの……副団長、そんなに見られても」
「うん、治療はバッチリみたいね。でも、服はちょっと寒そうね。着替えついでに部屋へ案内するわ」
副団長に手を引かれて、二人は慌ただしく訓練場を後にした。
「副団長、団長に何も言わずに出てきて大丈夫なんです?」
「堅いわね、ウツロ。さっきみたいに普通に喋って。あと副団長呼び禁止!」
エライザはウインクで、二人に合図する。
「ならエライザ。団長を無視して、いいのか?」
「私はこの基地で二番目に偉いのよ。文句は言わせないわ」
いまいち二人の力関係がどうなっているか分からないので、ウツロは口を閉じる。
十分ほど長い廊下を進むと、エライザがとある部屋の前で踵を返す。
「はい、ここが二人の部屋。相部屋だけど、パートナーだから勘弁してね。それじゃあセシリアは着替えましょう。ウツロは荷物を置いたら、訓練場に戻って」
こちらが返答をする間もなく、ウツロは一人廊下に取り残される。
「強引な女だな」
ウツロは一つ悪態をついてから、来た道を戻る。
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