国境越え、はじめての出会い、カルチャーショック
新連載開始しました!
初日なので、今日中に合計5話アップ予定です(4/5)
「さて、いよいよ国境を超えますね」
不眠不休で進み続け、時刻はちょうど日付が変わった真夜中。月も出ていない新月の闇の中、二人はようやくサンセベリアの地に足を踏み入れる。
「旦那、ちゃんと資料は読みましたよね。これから隠し通路を通って、第二の故郷 ナキリに入ります」
「実家に到着したところで、カガイは帰還。俺はいよいよ帝都に入ると」
「その通りです。渡した資料はあっしが回収しますから、最終確認は今だけですよ」
情報漏洩を避けるための処置である。
「あいにく、記憶力はそこそこあるんでな。何なら今渡そうか?」
「さすがスパイに選ばれる御方だ。これなら潜入も安心ですね」
二人は暗闇を全く恐れず、歩みを進める。そしておよそ一時間後、地下道を通って二人はとある一軒家の床下に出る。
「この上です。入ったらちゃんと中に置いてある土で塞いでおいてください」
カガイは人差し指を真っ直ぐ立てる。
「ここまでありがとうな」
「とんでもないです。旦那の方もご武運を!」
二人は固く握手をしてそれぞれの道へ向かった。
床板を押し上げ、スパイは家の中にとうとう侵入する。辺りを見渡すと、真っ暗な部屋の端に土山が建っていた。スパイはまずカガイに言われたことを実行する。
『この家は今は一人暮らし。元々父母と妹の四人暮らしだったが、三年前に流行り病に倒れてしまう。というか、ナキリ村で生き残った住人は一人もいない。俺はちょうど叔母の家に転がり込んでいたため、死ぬことはなかった』
スパイは設定を思い出し、それを頭の中で復唱する。実際に疫病で廃村になった村の出身者。確かに誰も積極的に身元を調べたがらないだろうが、致命的な爆弾にもなりかねない。そこは立ち回り次第か。
自分の侵入口へ偽装を施した後、スパイは風呂に入ってから部屋にあるベッドで休息を取る。目覚めると太陽が頭の上に昇っていた。ここから帝都までは約四日、またギリギリの旅程がスタートする。
国をかけた任務の割にはずいぶんとタイムスケジュールが杜撰である。ギリギリまで悩んだ結果なのだろうが、実際に実行する方からするとたまったものではない。スパイは文句を言いながらも、誰もいない実家を後にする。
「おっと、忘れてた。今日からこの目ともおさらばか」
スパイは支給品の黒色のコンタクトレンズを装着する。これで外見からキロトリデの人間とは誰にも認識されなくなった。頭の中に入った地図と、己の体を信用して明るい太陽に向かって進んでいく。
~~~~
二日後の夜、入学式まであと三日。スパイは順調にサンセベリアを駆けていた。この調子なら問題なく帝都に入ることが出来る。ろくに食事も休息も取っていなかった彼は、ここではじめて補給に入る。
その街はヌベンセ。風車とラベンダー畑で有名な土地であり、またサンセベリアでも有数の観光地である。本来であれば二日は使って、雄大な風車と一面に広がる畑を堪能すべき場所であるのだが、残念ながら今回はそんな暇はない。
スパイがここを選んだのは、単に余所者であっても目立つことないはないからである。ひとまず宿に行ってから、すぐさま食事に向かう。観光客でもないため、こだわりなど当然ない。目に入った近くの酒場に入店する。店内はとても明るく、陽気な歌まで聞こえてきた。一番手前のカウンターに座ってメニューを開くと、スパイは困惑する。
『一つも分からん』
文字は読めるけど、どんな料理か想像もつかない。仕方なく彼は適当に上から三品注文をする。料理がくる間、スパイは店を横目で見渡す。明るい照明に誘われて、店内は客でいっぱいである。ワインだろうか、どこかから仄かにアルコールと甘いブドウの匂いが漂ってきた。テーブルからは人々の話し声や、食器が触れ合う音が響いている。
見たところ観光客が多いが、彼と同じように旅の中継地に滞在している人間もチラホラいた。ヌベンセは盆地に位置しているのもあるため、山越えを前に休もうとする人間が多い。観光地でもあり、山小屋的な側面も備えた「風の人」向けの街なのである。
旅人らしき格好の人間で、特に目を引いたのは、左後ろの客。金色の髪色に、端麗な顔立ちと、妙に色っぽい真紅の瞳。きちんと膝を揃えて背筋を伸ばし、料理が運ばれてくるのを待っている。
年齢は自分と同じくらいの女性だが、席には他の人間の姿がない。うら若い少女が一人だけで、山越えを経験するほどの長距離旅を行なうのは、リトガルトでもサンセベリアでも一般的ではない。何か特別な事情があるのだろう、と更によく見るとその答えが分かる。腰にいかにも高貴で、そして高そうな剣を差していた。
『なるほど、聖剣持ちの同年代。目的地は俺と同じか』
スパイと同じく目的地は帝都。当然サンセベリア帝国立騎士学校の入学試験を受けるためである。ひょっとすると同級生になるかもしれないので、顔と武器くらいは覚えておこう。向こうは一際目立つ格好をしているが、こちらは手ぶらの身。気付かれることはないだろうが。
やがて目の前に料理が運ばれてくる。スパイはその禍々しい見た目に少し手をつけるのを躊躇ったが、空腹の前に人は無力である。この食レポを一言で表すと"味は良いけど気分は最悪" 。
異文化の料理とは得てしてそのように感じてしまうものである。とはいえ、頼んだ以上文句も言わず口に運ぶ。カルチャーショックの一つや二つ、これから乗り越えていかなければならないのだ。