夜、そして出発
新連載開始しました!
初日なので、今日中に合計5話アップ予定です(3/5)
夜も更けて風も出てきていたが、二人は変わらず夜道を歩いていた。これが今生の別れである。そのくらいは付き合ってやらねば。しばらくすると、目の前に人影が現れる。
「よう、ミヤじゃねえか。どうしたこんな夜道で」
名前を呼ばれた女性は、金色の長い髪を靡かせ小さく微笑む。暗くて表情まで見えないが、いつも通り健やかな顔つきをしているのだろうと、ゼンは推測する。
「こんばんは、ゼンにアヤメちゃん。ちょっと夜風に当たりにきたの」
丁寧にお辞儀までされたので、アヤメはそれを返す。
「こんばんは、ミヤ姉。あ、私ちょっと用事思い出したから行くねー」
アヤメは言いながら脱兎のごとくその場を離れていく。彼女なりに気を遣ったのだろう。
「忙しないやつだな」
「そうかもね。……司令から聞いたけど、明日なんでしょ?」
ミヤはアヤメに感謝しつつ、本題に入る。
「ああ。お前のところにはこれから行くつもりだったから手間が省けたな」
「私のところに?」
「そりゃ、長年軍で相棒として働いてきた仲だからな。何も言わずにさようならってわけにはいかないだろ」
ミヤは目を見開いて口に手を当てる。この綺麗な顔からたくさんの表情が出てくるのも、ゼンは長い付き合いから学んでいた。
「驚いた。まさかゼンにそんな感覚があるなんて」
「おいおい、長いんだからそのくらいしっかり把握しといてくれよ」
「いやいや、いくら小さい頃からずっと一緒の幼馴染でも、知らないことの一つや二つはあるよ。でもそっか、ありがとね」
何に対する感謝なのか、ゼンは首を捻ったが口には出さない。
「やっぱり、行きたくはないよね」
ゼンの顔を見ながら、ミヤが口を開く。妹にさえ分からない機微を、相棒はしっかりと感じ取っていた。
「そりゃな。今だって断れるのなら断りたいさ」
「でも、決してそれを口にはしない。どこまでいっても根っからの軍人、いや戦士ってわけか。司令は殴られる覚悟で伝えたらしいよ」
「俺がそんなに分別のない人間に見えていたのか?」
これだから、現場に来ない管理職は。ゼンは大きなため息をつく。
「いやいや。ゼンには愛国心があるからね。それもとびっきりの大きさの」
「愛国心? そんな大層なものを宿した覚えはないぞ」
ミヤはゼンの目を真っ直ぐ見つめる。彼女の引き込まれそうなヘーゼルの瞳を見ていると、ゼンはいつも穏やかな気持ちになる。
「ゼンはキロトリデの名前に誇りを持っている。家を、そして一族を守るために国を守る。根底は違えど、結果的にゼンは愛国心を持った人間だよ。そのためならどんなことでもする、今までもこれからも」
ミヤの言葉は真実である。だからこそ、祖国を離れて異国の地でスパイになるという任務がどれほど耐え難いことか。その苦しみも人一倍なのだ。
「なるほど、それも愛国心か。勉強になった」
自分の相棒は聡明である。ゼンは月に二回はこの事実を思い出す。
「実は私、ゼンに伝えたいことがあったの」
「何だ? 今しか言えないぞ。明日からは別人なんだから」
「ずっと前から言いたくて、でも勇気が出なくて言えなかった」
ミヤはゼンの下に歩み寄る。そして両手を彼の頭の後ろに回し、精一杯背伸びをする。数秒間、二人は息のできない時間が続いた。
「やっぱり、まだ口じゃ言えないみたい」
頬を真っ赤にしながらミヤは照れ臭そうに、はにかむ。ここに来て、ゼンがまだ知らなかった表情であった。
「ゼンは背大きいね。私が百七十センチくらいだから二十センチは離れてる?」
ゼンは、ミヤの言葉が耳に入っていない。それよりも先に、先ほどの彼女の行動を処理しきれていないからだ。
「ゼン、聞いてる?」
その真意が何なのか、男はようやく理解する。そうか、ならちょうど良かった。ゼンは口を開く。
「ああ、ちゃんと聞いてるよ。ミヤ、今度は逆に俺の方からお前に一つ頼みたいことがある」
「いいよ、何でも言って」
ゼンはミヤの耳に口を近づけて、誰にも聞かれないように小さな声で要件を伝える。さらにミヤの顔が赤くなり、耳まで熱を帯びている。
「……私でいいの?」
「お前にしか頼めない」
今度はゼンが、真っ直ぐな眼差しを返す。そこにはただならぬ信頼の色があった。
「いいよ」
女は恥じらいながらも、男の願いを聞き入れた。二人はゆっくりと移動し始める。それを見ているのは月しかいない。
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翌朝、まだ日が昇るかといった頃。キロトリデ家の前には、家族四人とミヤが立っていた。ゼンはガイドが来ればすぐに出発することが出来る。その顔はまるで生まれ変わったような爽やかな表情であった。
一方見送る側は、穏やかな表情を浮かべてはいるものの、涙の痕が残っているのが数名。別れの挨拶はいくら済ませても足りないといったところだろうか。
「父上、水簾は持っていくぜ。必要になったら何とかしてくれ」
家長の決定には、たとえ父親であっても異論を挟むことはない。
「お前に正式に継承した際にも言ったが、好きにしなさい」
最後まで感情を見せない親子のやりとり。いつも通りで、ゼン逆には安心した。
「おやおや、もうお揃いで。待たせてしまうとは、こりゃ失敬」
家の前に現れた男は、軽く会釈をしている。
「あっしは、カガイと申します。今回ボンビジナ中将から、キロトリデ特務曹長のサンセベリア入国のお手伝いをするよう言われております。どうぞよしなに」
カガイに握手を求められ、ゼンはそれに応じる。どこか昔訛りのある話し方だが、司令がよこしたのであれば腕は問題ないだろう。
「では、旦那。準備がよければ早速行きますけど大丈夫ですか?」
「ああ、問題ない」
見送る四人を、ゼンは振り返ることなくカガリの後をついて行った。
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「にしても、国の英雄様の出発にしては寂しいもんですね」
二人は現在、国境を分断するシイナ山を登っている最中である。この山を一日かけて越えて、明日の午前中にはいよいよサンセベリアに突入となる。
「王命でもスパイ任務だからな。他言無用で静かにしてるのが当たり前だろ」
ゼンはカガイに渡された資料に目を通している。カガイはゼンが歩きやすいように道を踏み分けながら、先導している。
「いやいや、それにしてもですよ。あっしはこの任務を言われたとき驚きましたね。キロトリデ特務曹長といえば、押しも押されもせぬ軍の若手筆頭ですよ。それをよりにもよって、敵国のスパイになんて。そりゃ初のスパイで慎重になる人選なのは分かりますけど、他にもっといたでしょ」
「決まったことに文句を言っても何も変わらないぞ。そんなに言うなら国王に謁見でも申し込めばどうだ?」
ゼンは資料から一切目を離さない。この情報はスパイ任務の根幹をなしている。どんな無茶な設定だろうとも演じ切らなければいけないし、どんな小さな情報でも頭に叩き込まなければならない。なぜなら、これらは全て国が総力を上げて捏造したもの。
帝国にバレないように何とか築き上げたその労力と偉業に、自分の単なる怠惰や凡ミスで泥を塗ってはならない。ゼンは膨大な資料をゆっくりと目に焼き付けている。
「冗談はよしてください。あっしみたいな人間は国王様の声を聞くことすら叶いませんよ。キロトリデの旦那と違って」
「いや、俺も一度会っただけだぞ」
前を行くカガイがたまらず後ろを振り返る。
「え、冗談でしょ? 旦那くらいの人なら、もはやマブダチみたいな距離感だって聞いてますよ」
「そっちの方が冗談だろ。ただの戦士と国王が同じ視座で関係を築けるわけがない」
「旦那でも雲の上の存在なら、あっしには別世界の人間ですね」
「悪かったな、夢のない話で」
「てっきり青の一族だし、ズブズブなんだと思ってたのになあ。あっしもすごい人を案内したって自慢できると思ったのに、こりゃ尾鰭は付けられないか」
絶対に失敗できない任務へ臨んでいるというのに、緊張感のない二人である。だからこそ、旅は滞りなく順調に進んでいるのかもしれない。
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