不死とは?
皆様とは違う認識の内容も含まれている可能性があります。間違った内容等ありましたら教えていただけると幸いです。
不死とはなんだろうか?
不死とは三省堂の現代新国語辞典第四版には「死なずに、いつまでも生きること」とあり、広辞苑にも同じようなことが記載されている。これは漢字からも予想することのできる意味だ。
宗教では不死における観点が度々見られるため、ここからは3つの宗教の観点から見た「不死」について考えていこうと思う。
【キリスト教】
まず人としての生は神との繋がりであり、キリスト教における命とは神から頂いたものであるという認識である。実際に旧約聖書には神に似せて人を土から創造したとあり、キリスト教の信者たちは各々のこれを比較することはないであろう。そして死は、キリスト教では肉体の死だけでは終わらないものである。これは旧約聖書におけるシュオール、新約聖書におけるハデスから読み取れる事である。どちらも死者の世界を表す単語として用いられているのだ。また、新約聖書におけるイエス様の死によって人は救済され死後の世界が約束されたとある。これらの情報からキリスト教においては、不死とは、有限の肉体的な生命を全うした上で精神的な生命をキリストと共に歩むものであると考えられる。
【仏教】
死生観に関して考えると不死永生であったり、不生不滅であったり考えることが必要であるが今回は記載しない。仏教ではキリスト教とは異なり魂の永続性ではなく、無我での輪廻転生が主だった考えとなる。輪廻転生とは、人の生まれ変わりを意味し、人は天上・人間・修羅・畜生・餓鬼・地獄の六道の何れかに転生し、転生する世界は引業によって決まるのである(天台宗では六道に声聞・縁覚・菩薩・仏を足して十界とする)。ここまで聞くとその転生は永遠に続くようにも感じるが、仏教では輪廻は苦であるため、解脱し自由となることが目的とされている。つまり、仏教における不死とは、輪廻転生における解脱までの道のりを指すのではないかと考えられる。
※ 最近では仏陀の教説は輪廻転生を表していないと輪廻の思想を否定するものもあるため、仏教全体の考えではないという認識は必要かもしれない。
【ヒンドゥー教】
ヒンドゥー教も輪廻と解脱の考えが中心的である。ヒンドゥー教では全ての生命体にはアートマンと呼ばれる霊魂、つまりは自我が存在し、アートマンは肉体とは切り離された永遠の存在であるとされている。そのため、肉体の死後も輪廻によってアートマンは生き続けることができるのである。ヒンドゥー教の目的の一つとして仏教でも記載した解脱があり、苦から脱却し永遠の生を実現した状態をモークシャという。
記載者は素人であるため解釈違い等があるかもしれませんがご容赦ください。
以上の3つの観点より、どの宗教も一つの生で終わらないことが分かる。上記以外の不死の捉え方もあるだろう。
また、最初に明記した「死なずに、いつまでも生きること」とは異なった不死の意味が見えてきたように思える。
今回の題は筆者が転生ものを読んでいるときにふと思ったことをそのまま題としました。
次は不老不死について書こうと思います。
今回と次回に関する筆者の疑問
「異世界転生ものでよくあるけど不死と不老不死は別?」
不老のみの場合は見た目はそのままで寿命や病で死んで、不死のみの場合は老い、病や寿命で死ぬ度に生き返って即死ぬのか?不老不死の人は大切な部位を失っても生き続けることはできるのか?