第四話 イカロスはアポロンの戦車に乗る
日本の航空機生産は戦後になっても許されていた。
それどころかイギリスの下請けや委託製造まで行われていた。
イギリスはアメリカの航空産業に対抗する為に、日本の航空産業を利用しようと考えたのである。
その為コメットの生産が日本でも行われることになっていた。
問題はコメットの連続事故が発生した後の調査で起こった。
何故か日本で製造されたコメットだけ耐久性が高かったのだ。
理由は日本の技術者たちが設計の欠陥を見抜き勝手に改良していたからである。
細部だけではあるが本来の設計とはかけ離れた、コメット改というべき物になってしまっていた。
イギリスの技術者や設計者たちにとっては屈辱的ではあったが、設計図が逆輸入されてイギリスでも生産されることになる。
さて戦闘機の開発にしても日英で共同開発が行われる。
まあ日英で戦闘機なんてものを共同開発すればどうなるかは目に見えている。
同世代である殆どの第2世代ジェット戦闘機が単発だったが、この機は速度を出すために双発を採用した。
言っておくが双発でも縦置きではなく横置きである。
エンジンが二つなら垂直尾翼も二つであったり、その割にエアインテークは下部に一つとかいう設計になっている。
また開発者たちが鉛筆の様な機体の造形を嫌ったので、鏃の様な平べったい機体になった。
主翼にしても後退翼とデルタ翼との中間のような形であり、結果的にクリップデルタ翼に近い物になっている。
部分的ではあるが可変翼を採用しており、デルタ翼の欠点を克服しようとしている。
これらの特徴からお分かり頂けただろう、当時からすれば変な機体である。
しかし技術者は当時のものでありながら基本設計は数十年先を行っている。
コストはかなり高かったが性能がそれを軽く上回っていた。
それゆえ単座式と複座式に限らず艦載機仕様や攻撃機仕様が作られる。
さらに異常な程に余裕を持って作られた為に、近代化改修が何度も行われる。
エンジンの変更なんかは序の口であり、レーダーなどの電子戦装備まで追加された。
魔改造され第2世代の戦闘機なのに、第4世代や第4.5世代の戦闘機と戦う羽目になった。
だがこの機体は重大な問題を一つ抱えている。
なまじか優秀過ぎて後継機の開発が全く進まないのである。
ジョークとして後継機が出ない以外欠点がない戦闘機と言われる始末だ。
ちなみに東アジアの航空機産業は日本がエアバス、中華民国がボーイングで中華人民共和国がロシア系というカオスな状態になっている。