6 開放感
浮かれた気分の体育祭も終わり、学業に専念する時になった。私は、時間時間の勉強に集中して毎日を過ごしている。来週はテスト週間になる。進一の授業態度を見ていると、どうして秀才なのかわからない。誰も真剣に、先生の話を聞いているのに、本に落書きをしては、私に見せえてにやけている。
一度にやけた所を見つかり、本を読まされた。いい気味だと私はほくそ笑んだが大間違いだ。どこから、あんなに素敵な声が出てくるのだろう。二役も三役もやってのける。
女性は、丸みを帯びたやわらかく、ゆったりする声で読み、男性は、力強よく、少しおさえた太めの声、子供は、やや高めの幅を細めた、清らかな声、うっとり聞きほれた。
教室は、進一の声だけ、私の頭の中には、場面がありありと浮かんでくる。素敵な声に酔いしれていた。突然止まった。一瞬、みんなは顔を見合わせた。何がおきたかわからない。
「先生、僕は、いつまで罰を受ければいいんですか」 進一の怒った声が飛んできた。
先生は苦笑して、「すまない」と誤っている。
「どうしてやめるんだよ。聞きほれていたのに」 私の口から文句が出ていた。
「おれは声優ではないよ」 また睨まれた。 やっぱり、みんながほめる秀才なんだ。何をやらせても、苦も無くやり遂げていく。
「今のは、お前に聞かせたくてさ」と 小声で言うと、済まして前を見ている。これは、ほのかな恋の場面であるはずだ。私のほほは熱くなってきた。急いで本を見る振りをして下を向いた。 ノートの端をやぶした紙が、そっと横から滑り込んできた。
「好き」 とだけ書いてある。私はあわててノートに挟み込んだ。なおも下を向いた。
「しょう」 あの女性の声で進一が呼んだ。私は何も言わないで、むこう向いてくれるのを願
った。
「しょう」 いつもの声だ。でも、まだあの声が私の耳の底に残っている。しかたなく、
「なに」 また呼ばれるのを恐れて、返事をして顔を見た。
「忘れるなよ」と 言うと、先生の姿を目で追う。声に劣らず、きりっとした横顔の素敵なこと。避けようとすればするほど、意識の中に入り込んでくる進一の存在。
ベルが鳴った。私は、ほっとして急いで帰り支度をして、一人でさっさとローカに飛び出した。クスッと笑う声を聞いたが無視した。その後の日々は、進一も邪魔をしてこない。私は、家でも学校でも勉強に没頭した。朝は早く起きだして予習した。夜も遅くまで勉強した。誰かを意識した。多くの開きを残したくない一心で勉強した。
そしてテストの日が来た。緊張していた。「肩の力を抜いてリラックス」と 進一に言われた。無視、横にいるのも無視、見られているのも無視、全部無視した。テストに集中した。出来たのも、出来ないのもあるが終わった。ほっとしている。
開放感でいっぱい。何でもいい。何かやりたい。勝彦を誘いどこかに行こう。夕食のときに聞いてみよう。
「勝彦、どこかに僕を連れて行ってくれないかなー?。初めてのテストも終わったから、遊びたいんだ」
「俺とか?」何か不振そうな態度。
「友達と約束があるならいいよ」
「約束は無いさ−−。そうだ、君は遊園地に行ってないだろう」「うん、まだない」
「よし、そこに行こう」私は、にっこり。パパさんもママさんも、にこにこしている。
「気をつけてやるんだぞ」と パパさんが注意している。
日曜日、二人は遊園地に出掛けた。沢山の人にびっくりしている私を、リードしながら人、人の間を通りぬかせてくれた。最初に観覧車に乗せてくれた。だんだん上って行く。
「園内が良く見えるだろう。どれに乗りたいか見とけよ」勝彦が言う。
「あれがジェット、こっちがゴーカード」と 指差して説明してくれた。どうやら乗せたいものばかりのようだ。
「うまいよ、うまいよ食べてみな」男の声に、思わず顔を向けた私のために、ホットドックを買ってくれた。ケチャップの赤を見つめている私に、「おいしいよ、熱いからな」 歩きながら食べた。
「今度はこれ」と 勝彦が乗り場にならんだ。ジェットだ。重々しいものに縛られ席に着いた。動き出した。なんなんだこれは…。
猛烈なスピードにびっくり。「勝彦ー」上った、下りた。回転した。
「勝彦ー、怖いよー、怖いよー、勝彦」 勝彦は私の手を握ってくれる。楽しむどころではない。ふらふらして降りた。
「ごめん、。きつかったかな」身体を支えてくれる。
「怖かった。少し休みたいよ」 身体は勝手に揺れている。頭の中は、上り下りと体験を繰り返していた。めまいがしている。
「わかった。歩けるか。ゆっくりでいい」支えていた手を離した。男の子が男の子を抱えているのは、おかしく見られる。
ベンチで休んでいる間に、御弁当を買ってくれた。これも初めての経験。ママさんの味より濃いみたい。全部食べてお茶を飲み、元気になった。
山にいたときは、川に走り水を飲んだ。草の上で横になり青空を眺めて、友達とおしゃべりして、いつの間にか居眠りをしているのに、ここは大違いの所なんだ。
誰もが歩く、みんなよく歩いている。次は射的をした。全部の玉を当てた。ぬいぐるみの兎を抱いて歩くうちに、山の友達を思い出した。今日は町の子をしている。うーちゃんは山にいてね。側を女の子が通る。「これあげる」と渡した。」「ありがとう」と にっこりして言う。
「山で父さんと撃っていたのか」と聞かれ、「うん、たびたびな」 私の顔を見たが何も言わない。私は、父と撃ち合った事を思い出した。空に木の玉を投げ上げては、打ち落とした。父のように高い所をめがけて幾度も練習した。離れた木に吊るした木の根を打ち落とすこともやった。時には練習ではない、実際の悲しみもある。小さな動物を抱えてくる父さんを見た。食事のためだ。私には絶対に撃つことを禁止していた。私も山の友達は撃たない。
最後にメリーゴーランドに乗せてくれた。前の恋人さんたちを真似して、手を繋いだ。ちょっと照れた勝彦の顔が赤い。私も同じだ。
次の日から、ホテルに泊まりにいった。仲田さんは、親切に接してくれた。毎日を読書、勉強、山の友達の思い出とで過ごした。夕方からは、森の広場に毛布を一枚持ち、父と母に会いに行く。毛布にくるまり、寝転んで空に話した。学校の事、三人の事、友達の事、全部話した。声は夕空に吸い込まれていった。
「私の一番お友達は進一君なの。女の子の憧れの子よ。素敵な男の子なんだ。何でもできて、頭がよく、ハンサムなんだ。すべてを独り占めしてるよ。不公平に思はない。でも、父さんには勝てないけれどね」
「しょう、そんな事いうなよ。隣で母さんが笑っているぞ」 空から聞こえた。私のおぼえている声だ。「母さんごめん。少しだけ私にも、父さん貸してよ」「少しだけよ」懐かしい母さんが答えてくれた。笑っているようだ。
「進一は、よく私をいじめるんだよ。ちびちびと言っては、あれやれ、これやれ、あれはだめ、これはだめと命令ばかりするんだ。ほんとにいやな奴だよ」 空のどこかでクスッと笑ったような気がした。
「そんなにいやな奴と思うのかね」 何か父さんは信じていないような言い方だ。
「父さんは見てい無いから解らないと思うよ。それとも見えるの。聞こえるのかも知れないね。もう一つ変なのはね、進一の睨む顔なんだよ。いく通うりもあるんだ。少し口の端を上にして、目を横に向けるのと、その目に力が入るのもあるよ。口を一文字にして、ぐーと目を大きくして睨む時が一番怖いよ。その時必ず「しょう」と 呼んでから睨むんだ」 空の一所が少し明るい。
「父さんが笑うけど、私はすごく怖い時があるよ」「それでも友達だろう」父さんが言う。
「そうだね、友達なんだ」
いつの頃からか、私を守ってくれる人がいるようだ。広場の周りを歩いているのが解る。静かな足音だが、聞き覚えのある歩き方だ。山の友達と遊んでいたから、わずかな音でもすぐわかる。ここは、山の友達が来てはいけない所だから。
一番の変化は、彼が来ることだ。私がここにいるのがどうしてわかるのか、絶対に教えてくれない。私が、ホテルに帰る時間の少し前になると、そっと近ずいてくる。寝転んでいる横に自分も横たわる。
何も言わない。しばらくじっとして過ごす。時間になると、起きるのを手伝い、毛布を持ちホテルまで送る。それでさよならして別かれる。
何も言わない。何も聞かない。ただ、黙り一週間を付き合ってくれるだけ…。