8 予兆
段々文章量が多くなっていますが、もし読みづらければコメントください。
「アリス……!」
オレが名前を呼ぶと、酒場は更に騒々しさを増した。
「アリスって、あのアリス?」
「初めて生で見たぜ」
「おいおい。なんで『剣姫』がいるんだよ?」
「綺麗……」
Sランク冒険者、アリス・セントラル。
オレが働いていた『白亜の太陽』所属の冒険者で、当時はかなり親交があった人物だ。
その輝かしい活躍と美貌によって、連日のように新聞に載る有名人であることから、アヴァロニア人も彼女の事を知っていたようだ。
というか、オレが気になるのはそんなことより、
「アリス……なんでここにいるんだ?」
アリスは基本的にパンゲア王国で活動している冒険者だ。
加えて隣国のアヴァロニアは冒険者ギルド『白亜の太陽』の管轄外。仕事でアヴァロニアを訪れる理由は見当たらない。
だとすると、旅行……だろうか。
アリスは毎日のようにギルドに通う相当な仕事人間だから考えにくいが。
オレが職場にいる時はほぼ百パーセントの確率でギルドに顔を出していたくらいだしな。
とはいえ、アリスがアヴァロニアを訪れる理由なんて旅行以外に無いか。
「なんでって……そんなの決まってるでしょ」
と言うものの、アリスははっきりとは口に出さない。チラチラと周囲を見ているのを見るに、どうやら人目を気にしているようだ。
なんだ、お忍びか?
まぁそりゃそうか。アリスは有名人だからな。
「お前が旅行とは珍しいな」
オレが小声でそう答えると、アリスは「はぁ?」という顔をした。
「お、おい、ゼクス。お前、『剣姫』と知り合いなのか?」
アリスの登場に呆気にとられていた者の一人、オレの対面に座るジェフが話しかけてくる。
「前の職場で関わりがあったんだ。言ったろ、オレはギルド職員だったって」
オレが頷くと、ジェフを含めた騎士団の面々が納得の声を漏らす。
「ゼクスは私の師匠よ」
アリスが腕を組みながら言った言葉に、再びどよめきが起こる。
ジェフが身を乗り出してきた。
「お前っ……『剣姫』の師匠ってマジかよ!?」
「お、おい、落ち着け。師匠ってのはちと語弊がある。オレはアリスが冒険者になりたての時に、冒険者にとって必要な事をレクチャーしただけだ。職員として当然の事だろう」
そう弁明するも、騎士団の連中の興奮は止まず。
これ以上何か言っても無駄なので、オレはアリスに話しかける。
「まぁ、ここで会ったのも何かの縁だ。座って飲んでいけよ。もちろんオレの奢りで構わない」
するとジェフが同調し、
「おう、そりゃいいな! お前らもいいだろ?」
「もちろん! こんな可愛い子と飲めるなんて最高だぜ!」
「ほらアリスちゃん、こっちに座りなよ!」
というオレ達の気前の良い提案をアリスは無視し、
「ちょっと来なさい」
とオレの腕を掴み、ぐいと引っ張って外に連れ出そうとしてくる。
「お、おい。アリス?」
「……」
何も言わず黙っているのを見るに、どうやらアリスは若干怒っているようだった。
アリスはあまり感情を表に出したがらないから感情の起伏が読みづらいが、それなりに付き合いのあるオレだから分かる。
何に怒っているかは不明だが、ここは大人しく従っておいた方が良さそうだ。
オレはそっとジェフ達に片手を上げる。
「悪い、金は後で払う。また明日な」
「お、おう……」
アリスに引きずられてその場を後にするオレを、騎士団の連中は呆気にとられた様子で眺めていた。
酒場から出ると、街はすっかり夜の帳が降りていた。
「アリス。なぁ、ちょっと待てって。どうして怒ってるんだ」
街灯を三つ程越えた辺りでオレがそう言うと、アリスは立ち止まった。
そしてオレの腕から手を離し、振り返らないままぽつりと言った。
「……どうして何も言ってくれなかったのよ」
「え?」
アリスがオレの方を向く。
その目は僅かに潤んでいて、アリスはそれを必死に堪えているように見えた。
「どうして黙って出て行ったの。一言くらい、言ってくれたって良かったじゃない」
「……。それは……」
そうか……アリスはその事を怒っていたのか。
「すまない。誰にも迷惑をかけたくなかったんだ。それで――」
「分かってる」
アリスは目を伏せた。
「分かってるわよ……そんなの。あなたが何を考えて去ったのかくらい、分からない訳ないじゃない」
でも、とアリスはオレを睨んだ。
「誰にも言わなくても……私にだけは言って欲しかった」
「アリス……」
オレがアリスと初めて出会ったのは、三年前。
オレが十八歳、アリスが十五歳の時だ。
十五歳の華奢な少女が突然ギルドにやってきて、冒険者になりたいと言った。
ギルドの連中は誰もアリスを相手にしなかったが、オレは彼女の中にある溢れんばかりの才能を見抜く事ができた。
そして当時新人だったオレはアリスの世話を全て引き受け、冒険者にとって必要なあらゆる技能をアリスに教え込んだ。
するとアリスは瞬く間に才能を開花させ、Sランク冒険者への階段を一段飛ばしで駆け上がっていき、自分を見下していた奴らの鼻を明かす事に成功した。
一時期は天狗になって他者を見下す癖が芽生えたこともあったが、やがて驕りは抜け、アリスは心身ともに素晴らしいSランク冒険者へと成長したのだった。
そんな姿をオレはずっと近くで見ていたが……アリスもまた、オレを近しい存在であると認識していてくれたのかもしれないな。
であればこそ、彼女の怒りもよく理解できる。
「悪かった」
オレは頭を下げる。
アリスが唇を震わすのが分かった。
「…………もういいわよ」
やがてアリスがはぁ、と息を吐き、オレはゆっくり顔を上げる。
アリスは優しい笑みを浮かべていた。
「……あーもう、長旅で疲れたわ。久々にお酒が飲みたい気分。どこか良いお店に連れてってくれる? その……できれば、私達以外に誰もいない所に」
「承知致しました、アリスお嬢様」
オレはホッとしたのも相まって苦笑しつつ、冗談めかしてそう答える。
誰もいない店か……だったら前にピーアと行ったバーが適当かな。
その時、ふと視界の端、遠くの建物の陰に見慣れた人物がいたような気がした。
「レベッカ……?」
しかし目を向けると、そこには誰もいなかった。
なんだ。気のせいか。
バーに着くなり、アリスはどんどん酒を頼み始めた。
カパカパととんでもないペースでグラスを空けていく。
「ぷはぁー! やっぱりエールが一番ねぇ! ゼクスもそう思うでしょ!」
「ああ……そうだな……」
そういえばそうだった。
アリスは酔うといつものクールな感じはどこかにぶっ飛び、明るい性格に変貌するんだった。忘れてた。
まぁこのアリスは良い意味で明け透けだから、オレは結構好きだが。
「ところでアリス、ギルドはどうしたんだ? 旅行って言って出てきたのか?」
「旅行? 違うわよ。辞めてきたの」
「……は?」
「だーかーら、辞めたの! 聞こえましたかぁ!?」
「うぜえ……! いやじゃなくて、お前、正気か? ギルドを辞めたって……」
冒険者は基本的に皆ギルドに所属するが、しなくてもいい。
だがその場合、冒険者はギルドの恩恵を受けられず、冒険者協会から直接クエストを受けなければならない。
しかし冒険者協会に入る割りのいい上質なクエストは率先して大手のギルドに回され、それ以外のクエストもほとんどはその他中小ギルドに回るので、冒険者協会に残るクエストは余り物、つまりは超絶難しいか、もしくはドブさらいなどの誰もやりたがらない仕事のみ。
まあアリスなら難しいクエストも難なくこなすだろうが……ただでさえ冒険者というのはいつ死ぬか分からない身。わざわざリスクのあるクエストに挑戦する事もない。
「そうよ。悪い?」
エールをがぶがぶと傾けるアリスに一切悪びれた様子はない。
「別に悪くはないが……一体どうしてまた。あそこは色々と酷いギルドだが、冒険者への金払いは結構良かったはずだろ」
「そんなの、」
アリスはグラスをゴン、とテーブルに置いた。目が据わってる。
「ゼクスがいなくなったからに決まってるじゃない」
「……オレが?」
「そうよ。ゼクスをクビにするギルドになんて興味ないわ。まったく、なんでゼクスを……あいつらは全然見る目がないんだから……」
ぶつぶつと愚痴を呟くアリスが空のグラスを掲げて揺らすと、バーのマスターが頰を引きつらせながらエールのおかわりを持ってきた。どんだけ飲むんだこいつ……。
「まぁ……そう言ってくれるのはありがたいが、それはさすがに買いかぶり過ぎだ。というか、もしかしてお前、オレを捜してアヴァロニアまで来たのか?」
信じられない思いで尋ねると、アリスは今日一番のイラついた顔をした。
「あんたっ……まだ気づいてなかったの!? 信っじられない! くたばれ、この鈍感野郎!」
テーブルの下で足を思い切り踏みつけられる。
危ない。咄嗟に魔力を纏ってなかったら骨が砕けてたぞ。
「アリス、ちょっと飲みすぎだ。その辺にしとけ」
「あぁ? うるさいわね! 私の勝手でしょ!」
あーあ、悪酔いが始まった。
まぁだが……オレの為にわざわざアヴァロニアまで来てくれたんだよな。ギルドを辞めてまで。
それは褒められた事じゃないかもしれないが……素直に嬉しい事だな。
オレは故郷を出た時、あそこでの思い出を全て置いてきたつもりだったが……まさか向こうからやってくるとは。
どうやら過去というのは、切っても切れないものらしい。
「ギルドの連中はどうしてるんだ」
「ギルドぉ? 知らないわよ、あんな奴ら。まぁでも、近いうちに潰れるんじゃない? ふふ、いい気味だわ」
「それはないだろ。言ってもSランクギルドだぞ?」
「Sランクギルドになったのはほとんどゼクスのお陰でしょ。だって、ゼクスがいたから私含め、優秀な冒険者達が所属してたのよ? なのに、ゼクスをクビになんてしたら、皆出ていくに決まってるじゃない」
「……酔いすぎだな」
オレのお陰でSランクギルドになった? それは言い過ぎだろう。
オレはあくまで裏方。陰で皆のサポートをしていただけだ。
ギルドでオレがしていたことは、基本的な事務仕事以外に新人冒険者への指南、未開拓地域の調査、国に危機を及ぼす超危険モンスターの隠密処理、あとはフリーマンとして人手の足りない冒険者の手伝いなど。
まぁそれらは誰にでもできる事ではないし、オレも自分の仕事に誇りを持っていた。
とはいえ、ギルドが成長できたのは職員と冒険者、皆の力が合わさってこそだ。
一口にオレのお陰と言ってしまうのは驕りというものだろう。
「あ、そうだ」
アリスが若干我に返った様子で顔を上げた。
「ここに来る途中で気づいたんだけれど、ラストンベリー周辺でスタンピードの予兆があるわよ」
「! ……ほんとうか」
オレはつまみ用のチーズに伸ばしていた手を止める。
「ええ。北の森で本来奥地にいるはずのブルータルベアに遭遇したのと、他にもモンスター達の様子がおかしかった。まるで何かに怯えているような感じ」
「なるほど……それは確かにスタンピードの予兆だな」
スタンピード。
モンスターによる大移動の事で、定期的に発生する自然現象だ。
原理としては、とある圧倒的な捕食者によって生ける場を奪われたモンスター達がパニックを起こし、集団で逃げるように他の場所へ移動するのだ。
スタンピードは自然の中では割と頻繁に起きる現象だが、モンスターの移動先、もしくは道中に人の街があるパターンは珍しく、そして非常に危険だ。
対抗手段が無ければ、その街や村は一瞬で壊滅する。
「スタンピードは大体いつ頃に起きそうだ?」
「正直いつ起きてもおかしくないわね。それくらい逼迫した雰囲気が森全体に満ちてた」
「そうか。報告助かる」
「ん」
明日、オリヴィアに報告しておくか。
あ、そういや明日は休日だったか。
まあいい。これは一大事だ。
「そういえば、あいつら誰?」
「あいつら? 誰のことだ?」
「さっき酒場にいた人達のこと」
「ジェフ達か。あいつらは同僚だ。スカウトを受けて、アヴァロニア騎士団に就職したんだよ」
「アヴァロニア騎士団? あぁ、あの。ふーん……ゼクスをスカウトするなんて見る目あるじゃない。私も入ろうかしら」
「おい、Sランク冒険者が軽々しくそういう事を言うな。冒険者全体の士気に関わる」
オレが言うと、アリスは唇を尖らせた。
「わかってるわよ。でも……そっか。ゼクスはもう新しい居場所を見つけたのね」
嬉しそうな、だがどこか寂しそうな表情を浮かべるアリス。
「アリスはこれからどうするんだ? さすがにギルドには入るんだろ?」
「うん。たぶんそうする」
からん、とグラスの中の氷が音を立てた。
と、おもむろにアリスがマスターを呼び立て、
「エールを五人分追加で」
と注文した。
オレがぎょっとした顔で見ると、アリスはにっこりと笑った。
「今夜は寝かさないからね」
朝方、酔い潰れたアリスを宿に送り届けた後、オレは寮に帰るまでに五回吐いた。
「面白かった」
「これから面白くなりそう」
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