6 水の楽園
今回は文字数多めです。
それと感想は時間がある時にまとめて返します。ご了承ください。
『エンド海には、かつて空に浮かぶ島があった』
サンプトンを出港する前、船を貸してくれたベテラン漁師が教えてくれた、サンプトンに伝わるもう一つの伝説。
よくある都市伝説。
正直、そう思っていた。
(まさかほんとうに存在するとは……)
霧が晴れた海に浮かぶ島。
それは海から噴きだした膨大な量の水に押し上げられるようにして、空に浮かんでいた。
島の底を支える噴水――逆滝と、外縁部から海へと滑り落ちる、幾重もの細い滝。
港で聞いた通りの見た目だ。
伝説によると、あの島の名は、確か――
「アトランティジア……」
伝説では、そこにはかつて海の生物が住む楽園があったという。
「水の楽園アトランティジア、か……。俺はかつて世界中の海を渡ったが、空に浮かぶ島なんてのは一度も見た事がねえ」
「伝説は耳にした事があったけれど……まさかほんとうに海に島が浮いているなんて……」
「……」
このあまりの非現実的な光景に、バレル達も目を疑っているようだ。
オレだってそうさ。
まるで絵本の中に入り込んだような気分だ。
「……どうするの、バレル」
オレ達の目線がバレルに集まる。
完全に不測の事態だ。
これからの判断は、リーダーであるバレルの役目。
バレルはしばし考えこんだ後、真剣な表情で言った。
「行くぞ、お前達。もしかしたらあそこに海霧の真の原因があるかもしれん」
バレルの判断に全員が頷き、ツォーネによって船が島に向けて動きだす。
オレの手元では、青い石がまだぼんやりと光っていた。
「近くで見ると圧巻だな、こりゃあ」
ドドドドドドド……、と響き渡るは、島を押し上げる逆滝の音。
目の前で、一体どういう原理か、圧倒的な水量が海から真上に向かって噴き出している。
「こりゃあ、迂闊に突っ込んだら木っ端微塵だな」
「だが、ここが海と島を繋げる唯一のラインだ」
「あぁ。どうしたもんかねぇ……」
とはいえ、逆滝を前に頭を捻るのも至極当然。
これだけの水量に人や船が突っ込めば、水圧でバラバラになるのは明白だ。
他に方法といえば、例えば空でも飛べない限りは――
(空、か……)
そういえば、アイルは戦闘時に翼を生やしていたな。
あれを使って島まで飛べたりするのだろうか。
いやだが、アイルが飛んでいるのは見た事がない。
あの翼にそういう使い道はないのかもしれないな。
「ゼクスくん、その石……」
ツォーネに言われて目を落とすと、石が再び輝きを増していた。
試しにかざしてみると、石の輝きは強まっていき、それと共に逆滝に変化が生じた。
猛烈な勢いで噴出する水の壁に、徐々に裂け目が生じていく。
「滝が……!」
「おいおい、一体どういう事だ……?」
滝が割れ、船が一隻入れるほどの隙間が生まれた。
これまた石が引き起こした不思議な現象に、一同は驚愕を隠せないでいた。
バレルが問うてくる。
「ゼクス、その石はなんだ?」
「オレにも分からない。サンプトンで偶然貰ったんだ」
サンプトンでの夜、オレの前に現れたあの少女。
彼女の正体は掴めないが、一つだけ気がかりな事がある。
『たすけて』
あの時、少女は確かにそう言った。
導かれている……のだろうか。
バレルが言った。
「……よし。行くぞ、お前達」
「なっ……バレル、本気!? 下手したら船を失うのよっ?」
「これは勘だが、この船は何か不思議な力に導かれている。その証拠に、島は俺達の前に現れた」
「でもっ……」
「オレもバレルと同じ意見だ」
「ゼクスくん!?」
ツォーネの意見は正しい。
最も考慮すべきは船の安全で、オレとバレルが提案しているのは、博打に近い。
だが……何者かがオレ達を島へと招いている。
そんな確信に近い思いが、胸の内にあった。
「アイル、お前さんはどう思う?」
「……今さっき、どこからか魔力の波動を感じました。何者かが私達を島に導いている、というのは私も同意見です。特に……」
バレルに振られたアイルがちらとオレを見て、
「彼を呼ぶ声が聞こえます。そして恐らく、船を導いているのは精霊よりも更に高位な存在。信用には足るでしょう」
と肯定の意を示す。
アイル……心なしか顔が青ざめているように見えるが、気のせいだろうか。
「アイルちゃんまで……」
「ツォーネ、お前さんは昔から心配性なんだ。慎重なのは良い事だが、たまには直感を信じてみるのも一つの手だぜ?」
バレルに笑いかけられたツォーネは、少しして、大きく息を吐き、
「まったくもう……いつも付き合わされる方の身にもなってよね」
どうやら折れたようで、風を操って船を逆滝へ向けて動かし始めた。
「いつもいつもすまねえな、ツォーネ」
「そう思っているなら、今度ご飯くらい奢ってよね」
「ははっ、お安い御用だ」
バレルとツォーネが軽口を交わす中、船は裂け目から逆滝に突入する。
滝の中は、ぽっかりと円柱状の空間が広がっていた。
頭上から差し込む、陽の光。
上を見れば、遥か遠くにある天井に、丸い穴が空いていた。
(あれは……入口?)
もしかするとこの逆滝は、ほんとうに海と島とを繋ぐラインなのか。
だが、ここからどうやって登れば――
「……ねぇ、何か聞こえない?」
ツォーネがそう呟いた。
確かに、耳をすませば、ゴゴゴゴゴ……、と重く低い音が聞こえる。
その音がするのは、真下、海の底。
途端、船が揺れ始めた。
いや……船だけじゃない。
水面が、海が、揺れている。
「な、何が起きているの!?」
「これは……!」
オレはハッと天井の穴を見上げ、それから三人に向かって叫んだ。
「全員、何かに掴まれ! ぶっ飛ぶぞっ!」
直後、船の真下の水面が激しく泡立つ。
「おいおい、マジかよ……っ!?」
「う、嘘でしょう!?」
バレルとツォーネが急いで近くにあった手すりや帆柱にしがみつく。
オレも側にあった中帆と呼ばれる小さな帆柱に掴まろうとして、すぐ近くで立ち尽くしているアイルを見て動きを止めた。
「アイル……?」
彼女の額には脂汗が滲んでおり、顔は青ざめている。
「アイルっ、早く何かに掴まれ!」
オレが言うと、アイルはふるふると首を横に振った。
「む、無理……です」
「無理って……掴まってないと危険だ! 早く――」
「――無理なんですっ!」
アイルが叫んだ。わなわなと震える唇。
「私……高い場所が……苦手なんです。想像するだけで……体が、う、動かない……」
「……!」
そういうことか。
――高所恐怖症。
動かないんじゃなくて、動けないんだ。
ふと目を動かせば、水面が今にも爆発しそうな程膨れ上がっている。
立ったままの状態では非常に危険だ。
「くッ!」
オレは急いでアイルの元に駆け寄り、アイルごとその場に倒れこんだ。
直後だった。
水面が一際大きく膨らみ、轟音。
爆発的に噴き出した水に押し上げられるようにして、船が天井めがけてぶっ飛んだ。
全身にふりかかる重力。
アイルが必死にオレの裾を掴んでくる。
船が、周囲を囲む逆滝とともに島めがけて上昇していく。
光が近づいてきた。
そして――
ドッパァァァァァァァァン!
穴から噴き出す水とともに、オレ達を乗せた船は宙に踊り出た。
全身を包む浮遊感。
空の最高点まで到達した船は、次いで、落下を始める。
その際、何にも掴まっていなかったオレとアイルは船から投げ出され、船とはぐれたまま直下の湖めがけて落ちていく。
「っ……!」
アイルがぎゅっと目を瞑り、オレにしがみついてくる。
オレはアイルの華奢な体をぎゅっと抱きしめた。
(くっ……左腕が……)
先ほど、ツォーネに応急処置してもらったのだが、傷が開いたようだ。
まずい、水面に激突する――!
オレは自分とアイルを包み込むように魔力をまとい、衝撃に備えた。
だが、それは訪れなかった。
湖に落ちる寸前、目の前に柔らかな風が巻き起こり、オレ達はふわりと浮かび上がった。
更に、風のお陰で船も落下速度が徐々に緩まり、やがてゆっくりと着水した。
風に運ばれ、オレとアイルは船上に着地する。
(ツォーネか……助かった)
こちらに向けて手を伸ばすツォーネに親指を立てると、彼女はウインクで返してきた。
「アイル、大丈夫か。もう船の上だぞ」
腕の中で目を閉じて震えるアイルに話しかける。
「ほ、ほんとうですか」
「ほんとうだ。目を開けてみろ」
すると、アイルは恐る恐るといった様子で瞼を持ち上げた。
それからアイルはゆっくりと周囲を見渡し、湖の上にいることを確認。
ほっと安堵の息を吐きかけて――オレと目が合い、動きを止めた。
「……! ……!」
途端、みるみるうちにアイルの顔が赤くなる。
そして、
「離れて……くださいっ!」
どんっ! とオレを突き飛ばした。
さすがは天使族、それが意外と力強く、オレは思い切り吹っ飛び、手すりに激突した。痛え。
アイルはぷいと背を向けると、スタスタと離れていった。
「ははっ、振られたなゼクス」
「黙ってろ」
タバコに火を着けながら笑いかけてくるバレルを睨みつけ、オレは小さく息を吐いた。
とりあえずは一安心といったところか――
「――貴様ら、何者だッ!」
唐突に響く鋭い声。
声の主は、湖にいた。
男だ。銛のような武器を手に持っている。
その姿は一見すると人族だが、水面下に覗く魚のような下半身を見れば、そうでない事が分かる。
魚人族。
古来より海で生きる亜人であり、自在に海を泳ぐ事ができる。海の生物と会話する事ができ、水の力を操る。また、女の魚人族をマーメイドと呼ぶこともある。
「人族が一体この島に何の用だ!」
男が声高に叫ぶ。
「ここは我々魚人族の国! 貴様ら人族が立ち入って良い場所ではない! 我らを侵略しようともそうはいかぬぞ!」
そうか……アトランティジアは、魚人族たちの楽園だったのか。
更にそこでようやく、オレは自分達の船がどこにいるのかに気づいた。
そこは街のど真ん中だった。
円形の湖、その周囲には、遺跡然とした石造りの建物が立ち並んでおり、街には水に溢れ、道や橋など、あらゆるところに水が流れている。
水の都。
そう呼ぶにふさわしい光景だった。
「ちょいと待ってくれ。俺達は敵じゃねえ。最近この島周辺の海域で起きている異常について調査しにきただけなんだ」
バレルが釈明するも、男は聞き入れてくれなかった。
「そんな話が信用できるか! 人族は欲望に満ちた野蛮な種族! 即刻ここから立ち去れい! さもなくば――」
ざざざざざぁっ! と船の周囲から武器を持った魚人族の集団が姿を現した。
「海の藻屑となってもらう。それが嫌ならば、すぐに島から出て行け」
聞く耳持たず、か。
どうやら、魚人族はかなり排他的な種族らしい。
と、オレはとある事を思い出し、一歩前に出た。
「待ってくれ。――これに見覚えはあるか?」
オレが懐から例の石を取り出すと、魚人族たちはざわめいた。
「そ、それはっ……貴様、なぜその石を!?」
「貰ったんだ、青い髪の少女に。心当たりはないか?」
「それは……いや、私が言う事ではないだろう。なるほど、貴様らはあの方に導かれてこの地にやってきたのだな」
あの方……誰のことだ?
「付いてこい、人族。あの方のお導きとあれば話は別だ。案内してやる。ただし、妙な動きはするなよ」
「案内って、どこへだ?」
問うと、男は尚も厳しい表情で答えた。
「王宮だ」
男を含めた魚人族に半ば連行されるように、オレ達は船に乗ったままアトランティジアの街並みを抜け、そのまま街の端にある石造りの洞窟に入った。
洞窟の中は薄暗いものの、青く発光する石が壁や天井に散りばめられており、神秘的な雰囲気が漂っていた。
「凄いわね……島の上にこんな場所があるなんて……」
「あぁ、こいつは心底驚きだぜ。まるで夢でも見ているようだ」
確かに、信じられない気分だ。
霧の中に宙に浮かぶ島があって、そこに魚人族の国があった、なんてあまりに非現実すぎて、誰に言っても信じてくれないだろう。
「静かにしろ、人族。じきに謁見の間だ」
男がそう言い、少し進むと、目の前に鉄製の扉が現れた。
「――、――」
男が何事か話すと、門番らしき体格の良い魚人族が扉を開いた。
扉を抜けた先、そこには広い空間があった。
奥には地面、玉座があり、そこに一人の魚人族が座っていた。脇には近衛兵が控えている。
厳格そうな雰囲気を持つ、長いヒゲを蓄えた巨大な男は、船でやってきたオレ達を見て厳かに口を開いた。
「――我はネプチューン。魚人族の王である。主らの事はあの方から聞いておる。特に、そこの黒髪の人族」
じ、とネプチューンがオレを見下ろしてくる。
「……とてつもない力の持ち主だな。あの方が認めるのも頷ける」
ネプチューンはそう言うと、おもむろに玉座から降りた。
そして両手を地面に着き、深くお辞儀をした。
唐突の行動にオレ達が目を見合わせていると、不意に周囲から水の奔流が集まってきた。
それはやがて人の形を成し、船の上に降り立った。
「お前は……」
「久しぶり」
現れたのは、青髪の少女。
サンプトンでオレに石を渡した謎の人物だ。
相変わらず不思議な雰囲気をまとっている。
「あなたを待っていた」
淡白な調子でそう言う少女に対し、オレは皆を代表して尋ねた。
「オレたちをこの島に導いたのはお前だな?」
問うと、こくり。
少女は頷いた。
「あなたに渡した石には私の力が込められている。よって、あなたたちはこの島へ……私の元へと導かれた」
「……お前、何者だ?」
「ウンディーネ」
少女は言った。
「私はウンディーネ。水を司る者」
それを聞き、いち早く反応したのはツォーネだった。
「ウンディーネ……四大精霊の一角……!」
四大精霊。
魔法の基本属性、火、水、風、土。
これら四つの属性を司る大精霊をそう呼び、彼らは各属性を自在に操り、絶大な力を誇る。
まさかこの子が四大精霊だったとは……。
ネプチューンがお辞儀したまま言った。
「……ウンディーネ様は遥か昔からこの島を見守ってくれて下さっている、我らの守り神なのだ」
「なるほど……つまり、この島を浮かしているのはウンディーネということか?」
「いいえ、それは違う」
ウンディーネがオレの眼前まで近づき、じっと見つめてきた。
「私に島を浮かべるほどの力はない。私はただ、この島を見守っているにすぎない」
「だったら、一体誰が――」
オレが尋ねようとした時、突如地鳴りが響き、この部屋全体が揺れた。パラパラと砂が落ちてくる。
少しして、地震はおさまった。
だが……なんだ? この胸騒ぎは。
「単刀直入に言う。今、この島は墜落の危機にある」
「……!」
この島が墜落、か。
もしそうなれば、きっと大勢の魚人族が犠牲になるだろう。
「原因は、この島を浮かべている者が暴れているから。島周辺の海域に異常が生じているのも、その余波といっていい」
この島が墜落しかけていることと、サンプトン近海で異常が起きたことが関係している、という訳か。
「この島を浮かべている者……そいつは何者だ?」
「それはね」
ウンディーネの吐息が鼻にかかる。
「神魔」
その時、島のどこかで背筋が凍るような咆哮が轟いた。
「神魔――リヴァイアサン」
「面白かった」
「これから面白くなりそう」
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