4 泡沫のアリア
※8/3追記
執筆の難航により、次話の更新は8/4になります。
楽しみにしていただいている皆様には大変申し訳ありませんが、気長にお待ちいただけると幸いです。
二章自体は、8/8までにはエピローグまで更新したいと思いますので、引き続き応援のほどよろしくお願い致します。
翌朝。
曙光が窓から忍び寄る早朝、オレ達は宿を出た。
緩やかな坂を下り、賑やかな朝市を抜け、港へ向かう。
船が何隻も泊まっている港には、数人の漁師たちがおり、今朝出航するか否かの話し合いをしていた。
彼らに話を聞くと、約三週間前から、サンプトン周辺の海域に異常な海霧が発生し、それに伴ってモンスターが活発化、漁や貿易がほとんど行えない状況に陥っているという。
更に話を聞いてみると、一つの情報にたどり着いた。
なんでも、最近、海に出た船が二隻ほど行方不明になっているという。
その原因は不明だが、漁師たち曰く、それは船が“悪魔の海域”に入ってしまったからだとか。
“悪魔の海域”とは、昔からサンプトンに伝わる伝説の一つで、そこは年中濃霧に覆われた海域であり、ひとたび船が迷い込んでしまえば、二度と帰ってくる事はできないという。
この街の漁師たちはその伝説を信じ、長い間、“悪魔の海域”に入らないよう細心の注意を払ってきた。
しかし、海霧の影響で、通常の海域と“悪魔の海域”の区別が曖昧になり、とても海に出られる状況ではないのだという。
「こりゃあ、中々深刻な問題だな」
話を聞き、バレルが片眉をあげる。
「皆さん、霧の発生に心当たりはありますか?」
ツォーネの問いかけに、ほとんどの漁師は首を横に振ったが、ややあって、一人のベテラン漁師が重々しい口調で答えた。
「ウチの祖父から聞いた話だが……“悪魔の海域”には世にも恐ろしい怪物が棲むという。やもすると、その怪物が暴れているのかもしれん」
「恐ろしい怪物、ね……。どうする、バレル?」
「行かない手はねえさ。海に出られないのは漁師にとって死活問題だしな、一刻も早く解決してやりたい。それに、サンプトンはアヴァロニアの海洋産業を支える重要な場所でもあるしな。なぁオッチャン、船を一隻借りてもいいか?」
バレルの言葉に、ベテラン漁師の男が周囲を代表して頷いた。
「もちろんだ。かのアヴァロニア騎士団になら、安心して任せられる。ぜひウチの船を使ってくれ」
「感謝する。出航は今すぐ可能か?」
「あぁ、準備万端だ。食料も大量に積んである。付いてきてくれ」
男の後を付いていくと、船着場に泊まる一隻の帆船に辿り着いた。
「ほう、こりゃ立派な船だな」
「貿易船だ。定員は百名。四人じゃちと大きすぎるかもな。……っと、この中に操縦できるヤツはいるのか? 見たところ、そこの姉ちゃんとちびっ子は無理そうだが」
男の問いに、オレは頭を振る。
横でアイルが「ちびっ子……」と呟いていた。
バレルがタバコをふかしながら、
「俺ができる。安心してくれ、船は必ず守る」
と言い、それに対してツォーネがくすりと笑った。
「バレルは昔、海賊だったのよ」
「おいツォーネ、人聞きの悪い事を言うな。俺は海で悪さをする連中を懲らしめる義賊だ。海賊とは違う」
「義賊でも、海賊には変わりないでしょ。結局、先代の騎士団長にしばかれたわけだし」
「……その話は忘れろい」
バレルはバツが悪そうに頰をかく。
どうやら海賊うんぬんは、バレルにとって恥ずかしい過去のようだ。
「はっはっは、義賊か。だったら安心して任せられるな」
漁師にもからかわれ、バレルは「勘弁してくれ」と手を振って船に乗り込んだ。
続いてツォーネ、アイルが搭乗し、オレも船に乗った。
「おぉ」
思わず声が漏れる。
こんな大きな船に乗るのは初めてだが、結構安定感あるな。
小型のボートとは大違いだ。
「兄ちゃん、船旅は初めてかい?」
バレルが船内のチェックをしている間、オレは漁師と会話を交わす。
「あぁ。今からこの船一つで大海原に出ると思うと、ワクワクするな」
「ワクワク……か。俺が初めての時はビビりまくってたぜ。あんた、中々大物だな」
「そうでもないさ。正直に言えば、少しだけビビってる。顔に出さないだけだ」
オレが言うと、漁師は「がはは!」と笑い声をあげた。
「面白え兄ちゃんだな。そうだ兄ちゃん、この街に伝わるもう一つの伝説……聞きたくねえか?」
「もう一つの伝説? あぁ、ぜひ聞かせてくれ」
と、こんな風にして会話で盛り上がっているうちに、いよいよ出航の時間になった。
「お前たち、無事に帰ってこいよ!」
オレらに船を貸してくれた漁師を含め、大勢の街の人々に見送られる中、船が船着場から出発する。
「っと、久しぶりなもんで忘れてたぜ。ゼクス、銅鑼を叩いてくれ!」
バレルに言われ、オレは撥を手に取った。
腹を底から震わすような出航の合図が、黄金色に輝くサンプトンの空に響き渡った。
出航から数時間。
太陽が頂点に上りつめようとしている頃、辺りはすっかり霧に包まれていた。
白く霞みがかった視界は、百メートル先さえ望むことは叶わない。
(……暑いな)
この周辺は風がほとんどなく、そのせいで汗が額に滲む。
だが、船は問題なく航行していた。
これは帆で風を受けて進む帆船。
通常なら風がなければ進まないが、船はグングン進んでいた。
「風の精霊よ、私たちに力を貸して」
ツォーネが呪文を呟くと船の周囲に風が巻き起こり、船は穏やかな海域を走る。
亜智族のツォーネは、精霊――大気中に漂う、目に見えない魔力の精――に語りかける事ができる。
そうして風の精霊に力を借りる事で、無風状態の海での航行を可能にしているのだ。
更には、オレの【感知】によって海に棲むモンスターにも全く遭遇していない。
つまりは現在、航海は順調といえる。
「おうゼクス、飲むか?」
バレルがツォーネに気づかれないよう、こっそりと話しかけてくる。
彼が隠し持っているのは、船に積まれていた酒瓶。
確かに、船を貸してくれた漁師は「船にある食料は好きに飲み食いして構わない」と言っていたが……
「さすがに、いつ敵が出るかも分からない状況で酒を飲むのはどうかと思うぞ」
「そこはお前さんの【感知】のお陰で、モンスターに会わないルートで進めるじゃねえか」
それはそうなんだが……酔うと、いざって時に魔力操作をミスる可能性がある。
「オレは遠慮しておくよ」
「そうかい。んじゃまぁ、敵が来たら知らせてくれや」
酒瓶を片手に、鼻歌交じりに離れていくバレル。
あんなのが一番隊隊長かよ……。
「ん?」
なんだ。
どこからか歌声が聞こえる。それも複数。
(っ、空か!)
バッと天を仰ぐと、霧の中、こちらに向かって飛んでくる一団があった。
あいつらは――
「セイレーンだ! こっちにくるぞっ!」
セイレーン。
上半身が人間、下半身が鳥のモンスター。美しい歌声で舟人を惑わせ、遭難や難破に遭わせる。危険レベルは16。
海中のモンスターにばかり気を取られていたせいで、空への警戒が疎かになっていた。
「――ゼクスは周囲の警戒を続けろ! ツォーネもそのまま船を動かせ! あいつらは、俺とアイルがやる!」
さすがはバレル、先ほどとは打って変わって真面目な様子で指示を出し、剣を抜きつつ船首に向かう。
その時、船尾にいたアイルが銀髪をなびかせながらバレルを追い抜き、甲板を船首へと駆けていった。
「アイル、一人で突っ込むな!」
バレルの指示に耳を貸さず、アイルは船首までたどり着くと、船に向かって滑空してくるセイレーンの群れめがけて両手を広げた。
そして何事かを呟くと、途端、アイルの身体をまばゆい光が包み込んでいく。
光はアイルの頭上と背中に集まっていき、美しい光の輪と翼を形作った。
この世のものと思えないほどに神々しい姿、あれはまるで――。
「【罪なき光天の矢】」
アイルの周囲に光の粒子が集まっていく。
それらは無数の光の矢を形成、直後、ほとんどノーモーションで射出された。
尾を引きながら飛来する無数の矢に対し、セイレーン達は一斉に大声でがなりたてた。
耳をつんざく爆音。大気が揺れ、海が波立つ。
あれは音に魔力を乗せることで、振動を増幅させ、対象を破壊する技だ。
原理はオレ達が使う魔法とほとんど変わらない。
猛スピードで迫る無数の光の矢を、音の壁が迎撃する構図。
だが衝突の瞬間、不可解な現象が起きた。
魔力を乗せた音の壁にぶつかった光の矢は、何事もなかったように音の壁をすり抜け、セイレーン達を次々と貫いた。
海に墜落していくセイレーンの群れ。
最後の一匹が羽ばたいて逃げようとするが、光の矢は追尾、あっけなく撃ち落とした。
瞬く間に静かになる周辺。
アイルの輪っかと翼が光の粒となって消えた。
(……なんだ、今の魔法は)
魔法を貫いた――?
オリジナル魔法だろうか。
だが、見た事がない。
魔法を貫通するなど、一体どうやって――
「おいアイル、単独で先行するなっていつも言ってるだろ」
バレルが剣を仕舞いつつ呆れた調子で言い、アイルはバレルを一瞥すると、
「あの程度の敵、私一人で十分。連携は不要です」
と答え、船尾の方に歩いて行った。
「ったく、あいつは……」
バレルが頭を掻き、ため息をつく。
(アイル・リル・ディ・サンダルフォン……)
あいつはまさか――
夜。
どこからか聞こえてくる美しい歌声で、オレは目覚めた。
一瞬、またセイレーンが来たのかと【感知】を巡らせたが、船の周囲にモンスターの影はない。
だがそれで、歌声の主が分かった。
「ゼクス」
仮眠室を出て船内を抜け、甲板に出ようとしたオレを、船外に繋がるドア脇のテーブルで酒を飲んでいたバレルが呼び止める。
近くのソファでツォーネが眠っているからか、抑え気味の低い声で。
「お前さんも騎士団の仲間だ。だから、アイルについて話しておく」
アイルについて、か。
オレが無言で先を促すと、バレルは言葉を続けた。
「アイルは、天使族だ」
「……」
やはり、というべきか。
天使族とは、雲よりも高い場所、『天空』に浮かぶ島に住む種族。
地上に降りてくる事は滅多になく、その生涯の大半を『天空』で過ごす。
アイルは、そうか、天使族……
「お前さんの考えている事は分かる。そうだ……アイルは、天使族唯一の生き残りだ」
そう。
天使族は、すでに絶滅した種族。
約三年前、天使族が住む島は何の前触れもなく墜落した。
全世界を震撼させたその大事件により、一夜にして天使族は絶滅した。
世間ではそう信じられていたし、オレもそう思っていた。
だが、そうではなかった。
生き残りがいたのだ。
それが、アイル。
少し納得できた。
騎士団の連中のアイルに対する妙な態度は、その過去を知っていたからだったんだな。
「あの事件で唯一生き残ったアイルは、一人きりで地上を彷徨い続けた。半年前、心身ともにボロボロになったアイルを、俺達一番隊が保護した。あいつが騎士団にいるのは、そういう経緯なんだ」
なるほど……そうだったのか。
外の世界を知らなかった子供が、一夜にして家族や友人を失いながら、それでもただひたすら見知らぬ世界で戦い続ける。
その過酷さは、壮絶なんて言葉では表せないほどのものだろう。
「あいつは全てを失った後、ずっと一人でこの世界を生き抜いてきた。他人を頼ろうとしないのも、きっとそういった経験からだろう」
……そういうことか。
「ゼクス、お前さんはあいつと年も近い。どうか支えてやってくれ。本来は隊長である俺の役目なんだろうが……どうもあの年頃の子の扱いは苦手でな」
「あぁ、分かった」
オレは頷く。
バレルが「頼む」と小さく笑った。
甲板に出ると、生ぬるい夜風が頰を撫でた。
空には星々の絨毯が広がり、海には真っ暗闇がどこまでも続いている。
海の音を滑るように撫でる、美しい歌声。
船首側の手すりに体を預けるようにして、アイルがいた。
月光に煌めく銀髪を風に揺らしながら、遠い空に向けて静かに口を動かしている。
海に響く、美しく、どこか悲しみを帯びた歌。
やがてそれが尾をひくようにして終わり、アイルが言った。
「私の故郷の歌です。毎年、お祭りになると皆で歌っていました」
「……綺麗な歌だな」
オレが言うと、アイルは小さく頷いた。
「私が一番好きな歌です。……聞いたんですね」
アイルがその青い瞳をオレに向ける。
聞いたとは、自分の過去を、という事だろう。
「ああ」
「だとしても、私に余計な干渉は不要です」
じ、とオレを見る眼は、強い拒絶の色を示していた。
「……どうしてそこまで他人を遠ざける? オレ達は仲間だろう」
「あなたには関係のないことです」
取り付く島もなくそう答え、オレの脇を抜けて船内に入ろうとするアイル。
「そういえば、あの魔法はなんだ?」
尋ねると、アイルは足を止めた。
「……“天界魔法”です。他の魔法の影響を受けない魔法で、天使にしか使えません。つまり、世界で天界魔法を使えるのは、私だけ」
天界魔法、か。
道理で見た事がなかったはずだ。
「もう一度、言っておきます」
アイルが振り返った。
「私に関わらないでください。助力など、私には必要ありませんから」
船内に入るアイル。
(……そうか……)
分かった。
どうしてオレは、こんなにアイルの事が気にかかるのか。
似ているんだ。
昔の自分に。
全てを失い、この世の全てを信じられなくなった、あの頃のオレと――。
「面白かった」
「これから面白くなりそう」
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