3 港町サンプトン
「ここが、港町サンプトン……」
白い石の門をくぐってすぐ、目に飛び込んできた景色にオレは目を奪われた。
海沿いの傾斜に立ち並ぶ、これまた白い石灰の家の数々。
ここからでも望める、曲がりくねった坂を下った先にある広場には市場があり、海産物の宝庫たる港町にふさわしい盛況ぶりを見せていた。
目の前を横切る、穏やかな空気が漂うストリート沿いでは、昼間だというのに人々が酒を飲んで語らっており、その脇の通りでは子供たちが無邪気に遊んでいる。
これらの光景はとても暖かく、穏やかで、不思議とこの街だけゆっくりと時間が流れているような、そんな感情を抱かせてくれる。
港町サンプトン。
またの名を、エンド海の宝石。
ラストンベリーから馬車を四度乗り継ぐこと二週間。
一番隊の三人にオレを加えた一行は、ようやく“変動”の目的地であるサンプトンにたどり着いたのだ。
「いつ見ても綺麗な街ね」
一番隊副隊長、亜智族のツォーネが空気を味わうように目を瞑りながら呟く。
「あぁ、サンプトンはいい。バカンスには最適の街だ。ゼクス、その様子だとお前さんははじめてか?」
興味深げに街並みを観察しているのを見られたか、バレルにそんなことを言われ、オレは頷いた。
「はじめてだ。というより、こういった街に来ること自体がはじめてだ。バカンスはした経験がなくてな」
と言うと、バレルとツォーネがやや驚いた表情をした。
「おいおい、休暇はちゃんと取った方がいいぞ?」
「バレルの言う通りよ。休む時は休まなきゃ、疲れも取れないわよ。大事なのはメリハリだからね」
そうか……確かにそうだよな。
今までは働きづめで、バカンスなんて考える余裕もなかった。金もなかったしな。
だが、今は違う。
給料はいいし、休暇だって十分にある。
今度の休みは、バカンスに行ってみるのもいいかもしれないな。
「今は任務中であまりのんびりはできないが、少しでもサンプトンを堪能するといい」
「あぁ、そうするよ」
街の入口付近でそんな風に会話していると、これまで黙っていたアイルが、
「雑談をする前に、今日泊まる宿に向かいましょう」
と言って、先に歩きだした。
それを見たバレルとツォーネは顔を見合わせ、
「まだまだ打ち解けてくれねえなぁ」
「えぇそうね。でも、無理強いするわけにもいかないわ。あの子には時間が必要なのよ」
「それもそうだな」
などと話している。
アイル、か。
ここにくる道中、バレルとツォーネとはそれなりに親睦を深めたが、アイルとはほとんど口を利いていない。
こちらから話しかけても淡白で短い返答のみで、それ以上の会話はない。
しかしそれはどうやらオレが嫌われているというより、アイルは誰とも必要以上の会話をしたくないようだった。
それはバレルとツォーネも例外ではなく、四人でキャンプを開いて夕飯を食べている時も、アイルは一人黙々と食事をしていた。
一体それが何故なのか、理由は定かではないが……
どうも、放っておけないんだよな。あの手のヤツは。
お節介かもしれないが、アイルも同じ騎士団の仲間だ。
悩みがあるなら、聞いてやりたい。
今度、機会があったら少し踏み込んでみよう。
夕方。
サンプトンに着いたのは昼過ぎだったこともあり、腹を空かしていたオレ達は早めの夕食を取るべく、宿近くのレストランに足を運んだ。
そこで出てくる料理は当然ながら海鮮料理が多く、どれも絶品で、食べる手が止まらなかった。
「ふぅ……最高だぜ……」
一通り料理を食べ終え、気持ちよさそうに一服するバレル。
ここはテラス席で、周りには煙で文句を言ってくるような人もいない。
サンプトンの陽気な空の下での食後の一服は、さぞ格別だろう。
そう思いきや、ツォーネだけは違ったようで、
「バレル、タバコはやめて。まだ仕事中よ。あなたはいつもそう、この前だって遺跡の調査中に――」
などとガミガミ説教していた。
ちなみに、アイルはオレの横でもぐもぐと食後のデザート食べている。
「おいツォーネ、あんまし固い事言うなよ。今日はいいじゃねえか、長旅で疲れてるんだしよ。店員さん、赤ワインをグラスで頼む。ゼクスも飲むか?」
「ああ」
「あ、ちょっと!」
バレルだけでなくオレまで酒を頼みだしたので、ツォーネは頭を抱えている。
「もう、ゼクスくんまで……」
「かっかっかっ。いいぞゼクス、息抜きを覚えたな。ほらツォーネ、お前も肩肘張ってないで、酒でも飲んで一休みしろよ」
バレルに言われ、ツォーネは「はぁ〜〜〜……」と盛大にため息を吐いた。
「……明日のミーティングはどうするのよ」
「明日の事は明日考えりゃいい。もっと気ままに行こうや」
「気まますぎるのよ、あなたは。……あ、店員さん。白ワインを一つ」
結局頼むんかい。
心の中でツッコみつつ、ふと店先から聞こえてきた声に目を向けると、そこにはスタスタと歩く女と、それを追う男がいた。
「なぁアリス、あの男はキミを騙していただけなんだよ。いい加減目を覚まして、僕と一緒にパンゲアに戻ろう」
「嫌よ。私の目はいつだって曇ってなんかいない」
「キミは彼の復讐に巻き込まれ、無理やりアヴァロニアに連れてこられたんだ。もうあんな男に構う必要はないんだ」
「ここにきたのは、私の意思よ。ゼクスは関係……なくはないけど」
「いいから、僕と一緒に――」
「しつこいっ! いい加減にしないと――」
女の方――アリスが振り返りざま、テラスに座るオレを見つけ、顔を綻ばせた。
「ゼクスっ!」
「……ちっ」
ぱぁっと笑顔になってこちらに歩み寄るアリスを見て、ジークが舌打ちしている。
「ゼクス、こんなところで会うなんて偶然ね。どうしたの? 仕事?」
「ああ、ここらの海域の調査をな。アリスは仕事か?」
「ええ。私はちょうど仕事を終えて帰るところだから、これ以上滞在できないのが残念ね。折角なら、ゼクスとバカンスでも楽しみたかったわ」
「それはまた次の機会にな」
と、オレとアリスの会話を聞いていたバレルが口を開く。
「おいゼクス。もしかしてこちらの嬢ちゃん、あの『剣姫』か?」
「そうだ。パンゲアにいた頃からの付き合いでな」
「はーん。そういえば、後ろの兄ちゃんも新聞で見た事があるな。『勇者』とか言ったか? ゼクス、お前さんは冒険者だったのか?」
「いや、そうじゃないんだが――」
「彼は単なるギルド職員さ」
ジークが話に入ってきて、笑みを浮かべながらそう答えた。
「職員くん、ここで会うとは奇遇だね」
「そうだな。アリスを説得しにきたのか?」
「あぁ、その通り。彼女にはいい加減目を覚まして欲しくてね」
ちらとアリスを見ると、やれやれと首を横に振っていた。
「どうやら、アリスに戻る気はないらしいが」
「それはキミが決める事じゃないだろう? アリスはキミといるより、僕といた方が幸せになれる。そう思わないかい?」
ジークが笑みを深めてそう尋ねてくるので、
「それはアリスが決める事だ」
と答えると、ジークのこめかみがピク、と動いた。
「……どうしてもキミは僕の邪魔をしたいようだね」
「違うさ。オレはお前の邪魔をしたいんじゃない、アリスの意思を尊重したいだけだ」
オレとジークの間に剣呑な空気が流れる。
ジークは小さく息を吐くと、爽やかな笑みのまま言った。
「だったら、僕とキミ……どっちが彼女に相応しいか、今ここで勝負しないか?」
そう提案してくるジークの表情は、余裕綽々。
完全にオレを舐めている顔だ。
「……いいだろう」
こんなアリスの意思を無視した提案、断ってもいいが、勝負を断るのは男としてダサい気もするし、なによりアリスがジークに迷惑しているようだしな。
相手は最強のSランク冒険者だが、油断しているとあれば別だ。
立ち上がったオレを、ジークが鼻で笑う。
「威勢だけはいいようだね。ま、手は抜いてあげるよ」
こうして、オレは店先の通りでジークと決闘することになった。
「ルールは簡単。相手に攻撃を一発でも当てた方の勝ち。いいね?」
「了解だ」
対峙する、オレとジーク。
それを一番隊のメンツとアリスが眺め、酒の肴にしていた。
「ゼクスー、頑張れよー」
「負けないでー、ゼクスくん」
「ふん。ゼクスが負けるわけないでしょ」
「……(もぐもぐ)」
あいつら……確実に楽しんでやがる。
約一名、興味なさげなのもいるが……アイル、お前は食べすぎだ。
「職員くん、アリスの前で格好つけたい気持ちは分かるけど、たかがギルド職員が僕に勝つなんて絶対に――え?」
刹那、オレはジークに肉薄していた。
【ハイヴォルテージ】。雷をまとい、稲妻の如きスピードで動く魔法。
「いくら何でも油断しすぎだ」
神速の掌底をジークの懐に叩き込む。
ズン……ッ、と重い感触が響き、ジークはその場に倒れこんだ。
膝を着き、ピクピクと体を震わしている。
「オレの勝ちだな」
「ふ、ふざ……けるな……」
ジークが口端に血を滲ませながら睨んでくる。
「一発当てた方の勝ちだろう? お前が決めた勝負だ。それとも、敗北を受け入れず、アリスの前で醜態を晒す気か?」
「く……そ……卑怯者め……っ!」
少しして、ジークはアリスを見、それからよろよろと立ち上がり、去って行った。
その際、オレを見る彼の目は怒りに満ちていた。
……もっと穏便に済ませるべきだったか?
いや、どんな形であれ、ジークの怒りを買うのは必至だったろう。
「余裕だったわね、ゼクス」
アリスがテラスを跨いできて、ウインクしてきた。
「向こうが油断しきっていたからな」
ジークのヤツ、オレを見くびって魔力もほとんど練っていなかった。
なればこそ、不意打ちは容易かった。
恐らく、ジークが本気でやっていたらああは上手くいかなかったろう。
だが、相手が油断しているならそれさえも利用する。
卑怯? なんとでもいえ。
使えるものは全て使う。それがオレの戦い方だ。
「その」
アリスがいつになくもじもじとした様子で、上目遣いに見てくる。
「ありがとね、ゼクス。私の為に戦ってくれて」
「当然だろ。アリスが困ってるなら、オレは助ける」
「そ、そう」
やや顔を赤らめたアリスは顔を背け、そのまま背中を向けた。
「じゃあね、ゼクス。帰りの馬車の時間があるから、もう行くわね」
「ああ。またラストンベリーでな」
歩き去るアリス。
その後ろ姿を見送りつつ、オレはテラスに戻る。
「よぉ、凄かったな。速すぎて霞んで見えたぜ」
バレルが赤ワインをグラスに注いでくれる。
いつの間にボトルまで頼んだんだ。
てか、霞んで見えたのは酔ってるからじゃないのか?
「さすがね、ゼクスくん。油断していたとはいえ、Sランク冒険者にタイマンで勝っちゃうなんて。団長が認めるのも頷けるわ」
そう微笑むツォーネの頰は若干赤い。
バレルに続き、ツォーネも酔いはじめたか。
「……」
黙々とデザートを食べていたアイルが紅茶を飲み終え、スッと立ち上がる。
「ご馳走様でした。ミーティングが無いようなので、お先に失礼します」
誰かが呼び止める間もなく、店を出て行くアイル。
その様子を尻目に、オレは赤ワインを傾ける。
もうすでに、夕陽が海に沈みつつあった。
すっかり陽は沈み、夜――。
酔いつぶれたバレルをツォーネとともに部屋に運んだ後、オレは昼間にかいた汗を流すべく、一人で宿の裏手にある井戸に足を運んだ。
井戸の冷たい水で全身を流すと、火照った身体が冷えて気持ちいい。
一通り全身を洗った後、オレはタオルで体を拭いて薄着に着替え、宿の中に戻ろうとして――足を止めた。
先ほどまでオレが使っていた井戸の側、一人の少女が立っていた。
夜風で揺れる青い髪。幼い容姿。
子供……いや。
人じゃない。
どういうわけか、あの少女からは、人の温もりを感じない。
「お前、何者だ?」
声をかけると、少女はくすりと微笑み、一言、
「あなた、呪われている」
と口にした。
「……。どういう意味だ」
というオレの質問には答えず、少女は音もなく歩み寄ってきた。
近くで見ると、少女からは温もりどころか、精気をまるで感じなかった。
本当に目の前に存在しているのかも怪しいほど、存在が儚い。
「手」
「え?」
「手、出して」
何だかよくわからないが、手を差し出す。
スッ……。
すると、少女が何かをオレの手のひらに乗せた。
「これは……」
青い石。
だが、ただの石じゃない。
僅かだが、魔力の流れを感じる。
「――たすけて」
ハッと顔を上げると、そこに少女の姿はなかった。
手元に目を落とす。
石はある。
「助けて、か……」
井戸の水面に映る月が、僅かに揺らいでいた。
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