12 狼と英雄
二時間後――。
奥に進むにつれてモンスターの姿は見えなくなり、森は徐々に静けさを増していた。
「ゼクスの索敵能力は目を見張るものがあるね。ここまでほとんどモンスターに遭遇していないじゃないか」
マルスが周囲を見渡しながらそう言い、ジェフが頷く。
「ほんとうだぜ。【感知】なんて必要ない技術だと思ってたけどよ。ゼクスを見ると考えを改めざるを得ねえな」
「ニャニャ! ゼクスは凄いのニャ!」
先頭のピーアがえっへん! と胸を張る。なんでお前が誇らしげなんだ。
まぁここまでモンスターに遭遇していないのはラッキーと捉えていいだろう。
早ければ早いほど、被害は小さく抑えられる。
だが……少し気になるな。
森が静かな割に、さっきから何か得体のしれない強烈な気配がビンビンと第六感を刺激している。
まあ、いいか。
モンスターが近づいて来たら【感知】で分かる。
敵を知覚できさえすれば、この五人で問題なく対処できるはずだ。
「【感知】のコツなら、今度お前らにも教えてやる」
「ほんとニャ!?」
「ああ」
オレが首肯すると、ピーアが「ニャハー!」と両手を上げて喜んだ。
「やったニャあ! あたしは鼻が効くけど、ゼクスほど索敵範囲は広くないニャ。これでもっと楽に盗めるように……じゃなくて、戦えるようになるニャ」
なんか今、聞き捨てならない台詞が聞こえたぞ。
ガウェインが苛立った様子で言った。
「おい貴様ら、気を抜くな。平民、貴様も調子に乗るなよ」
相変わらずオレにはあたりが強いな。
「なぁ、オレが何かしたか? 気に触る事をしたのなら謝るよ」
「……」
無視。
なんでここまで嫌われてるんだろうか。
オレが平民だからか?
まぁそれもあるかもしれないが……にしても、オレ対してだけ態度が刺々しすぎる気がする。
「ゼクス、気にすることないニャ。ガウェインは単に団長がゼクスを気に入っているのが気に入らないだけニャ。ガウェインは団長が好きなのニャ」
ピーアがやれやれといった様子で肩をすくめる。
すると、
「なっ……貴様、何を適当な事を言ってるんだっ!」
ガウェインが顔を真っ赤にしてキレる。分かりやすっ。
なんだ、そういう事だったのか。
「適当じゃないニャ。ていうかみんな知ってるニャ。ニャあ?」
マルスがうんうんと頷き、ジェフがどうでもよさげに「あぁ」と答える。
「ふ、ふざけるなッ! お、俺は団長にそのような感情は抱いていない!」
「ふーん、じゃあ嫌いニャの?」
「なわけあるか! 当然団長の事は尊敬している! だが……それだけだ。俺にとって団長は上司であり、師であり、恩人だが、それ以上の感情は抱いていない。俺は誇り高きスカイウォード家の人間だ。貴様らのような平民と同じにするな」
「ニャー、好きなクセに。なんでそんな嘘つくニャ?」
「嘘ではない! ピーア、貴様は前方への注意を怠るな!」
「ニャー、はいはい」
「ジェフ、貴様は気を抜きすぎだ!」
「へいへい」
「マルスもだ! 気合いを入れなおせ!」
「はいはい」
三人揃って適当な返事を返している。
ガウェインは厳格で団員に怖がられているイメージがあったが、違うようだ。
厳格なのは厳格だが、怖がられているかというとそんな事はないらしい。
というか、むしろ舐められている。
だがピーア達の態度に嫌味はないし、ガウェインも本気で怒っている訳でもなさそうだ。
表には出さないが、彼らの間にはこれまで培った確かな信頼があるのだろう。
良い関係性だ。少し羨ましいとさえ思う。
ギルドでは……いや、わざわざ思い出す必要もないか。
「……!」
急に立ち止まったオレにガウェインが苛立った声を漏らした。
「おい突然止まるな。さっさと歩け――」
「全員、止まれ」
ピタッ。
さすがはアヴァロニア騎士団、全員即座に足を止めた。
ジェフが周囲を警戒しながら呟く。
「ゼクス、敵襲か?」
「ああ。異なるモンスター二体が左右より接近中。十秒後、ぶつかる」
マルスとガウェインが両手用長剣を抜き、ピーアは短剣を手に取った。ジェフは無手で戦うようだ。
オレは魔法使いだが、杖は持たない主義だ。よって素手のまま。
シュタタタタタタ……!
右から聞こえてくるのは、小刻みな足音。
音で分かるが、四足歩行で、サイズは小柄。
ドスドスドスドス!
一方、左から聞こえてくるのは、重低な足音。
二足歩行。サイズは大柄だ。
こいつらは――
『ギィィィィィィ!』
『ブルァァァァ!!』
左右の茂みから飛び出してきた二頭は、オレらの頭上で衝突し、もつれ合うようにして地面に転がった。
「距離を取れ!」
ガウェインの指示で素早く離れる。
もつれ合う二頭は互いに牙をむき出しにし、小柄なモンスターが大柄のモンスターに乗りかかる形で争っていた。
マルスが叫ぶ。
「ビッグフット……それに、チュパカブラだ! 皆、気をつけて!」
ビッグフット。黒い体毛を持つ猿人型のモンスター。体長は3メートル以上。その握力は鉄をも容易く握りつぶし、拳は一撃で樹齢百年の大木をへし折る。危険レベル45。
チュパカブラ。緑色の長い体毛に包まれた、赤い大きな目を持つ爬虫類型のモンスター。背中と頭部に生えた棘には毒があり、長い舌から獲物の血を吸う。また、非常に素早い動きをする事でも知られる。危険レベル43。
どちらも普段は森の奥地に潜み、気性が荒く、非常に危険なモンスターだ。
そして二頭とも、森の頂点捕食者に位置する存在。
なぜ彼らがこんな場所にいるのか。
答えは一つ。
逃げているのだ。
誰から?
決まってる。
彼らを超える、圧倒的捕食者から。
二頭の表情は必死そのもの。
つまり、それだけの危機が迫っているのだ。
元凶のモンスターは、すぐそこまで来ている。
「ニャあ! こっちに気づいたニャ!」
ピーアがオレの背中にしがみついて怯えている。
小柄なチュパカブラを投げ飛ばしたビッグフットがオレ達を見ていた。
鼻息が荒く、完全に興奮状態に陥っている。今すぐにも襲ってきそうな勢いだ。
やるしかないか、と身構えた時。
「へっ、ここは俺らに任せろ」
「ガウェイン隊長達は先に行ってていいよ。彼らは僕らがやる」
ジェフとマルスが前に出る。
二人ともやる気満々、といった様子だ。
どうやら戦いたくてウズウズしていたらしい。
ガウェインは一瞬考える素振りを見せたが、すぐに「分かった」と頷き、
「死んだら騎士団の恥として一生語り継いでやるから安心しろ」
と実にガウェインらしい口調でハッパをかけた。
ジェフとマルスは笑みを深め、
「てめぇこそ、死んだら墓石にションベンかけてやるよ」
「それはやりすぎだよ。せめて蹴り壊すくらいにしておこう」
「貴様ら……」
ガウェインは青筋を立てたが、さすがに何も言わなかった。
ジェフがオレを見る。
「ゼクス、頼んだぜ。くそったれの元凶を倒してくれ」
「任せろ。二人とも、幸運を祈る」
ガウェイン、オレ、ピーアが走りだす。
少しして、背後でジェフの雄叫びが響いた。
◆
「……さて、俺はこっちのデカいのをやるぜ」
ジェフは自らの拳と拳を打ち付けた。その目には闘志が迸っている。
「マルス、てめえはそっちのチビをやれ。どっちが先に倒すか競争な。負けた方は一週間パシリだ」
「乗った」
素早い動きで距離を取ったチュパカブラを追いかけるマルスを尻目に、ジェフは正面で唸るビッグフットを見据えた。
――でけえな。
ジェフの身長は二二〇センチ。
自分よりも頭三つ分は大きい相手を前にして、ジェフは口許に笑みをにじませた。
「ガキ以来かぁ? 自分よりもデカい相手と戦うのはよ」
正確には自分よりも大きいモンスターとは何度も戦ったが、こうして二足歩行の生物で自分よりも大きな存在と戦うのは実に久しぶりだった。
滾る。
やはり格上との勝負が最も血湧き肉躍る。
ジャイアントキリング。
他者から奪い合った少年時代。闘技場で最年少優勝を掻っ攫った時。これまでに幾度となく果たしてきた偉業であり、彼の誇りだ。
この前はゼクスに苦渋を舐めてしまったが……
「てめえにまで負けたら、俺ぁ腹を搔っ切るぜ。なにせ、」
――闘技場では、二度目の敗北は死を意味するからな――
直後、ドォォン! と鈍い音が弾けた。
ジェフとビッグフットが正面衝突したのだ。
二頭の猛獣が両手を組み、押し合いの格好になる。
『ブルルルルル……!』
「ぐぅぅぅ……!」
重い。
まるで巨大な山を相手にしているようだ。
このままでは押し込まれ、首を噛みちぎられる。
逃げてきたとはいえ、相手はこの森の頂点捕食者。
舐めて勝てる相手ではない。
幸い、マルスはチュパカブラを追って離れている。
周囲に気遣う必要は皆無。
であれば、成っても構わないだろう。
忌まわしき、あの姿に。
「う、お、おおぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!」
瞬間、ジェフの瞳が獣のそれへと変わった。
肉体が膨れ上がるように膨張し、騎士団服が破れる。
その下から現れたのは、焦げ茶色の体毛。
ビッグフットにも劣らない巨大な筋肉。獰猛な牙と爪。
およそ人とは言えぬ姿へと変貌したジェフは、全力で息を吸い込み、
「ウオォォォォォォ――ンッ!!」
森に響き渡る、狼の遠吠え。
ジェフは人狼族。
普段は人の姿をしているが、いざ獲物を狩る時に人狼の姿へと変身するのだ。
――力ガ、漲ッテクル……ッ!
闘争本能に理性が塗り潰されそうになるのをギリギリのところで抑えながら、ジェフは全身に力を込めた。
「グルルルルル……」
唸り声を漏らし、満身の力をビッグフットにぶつける。すると、
グ、ググ……。
少しずつ。ほんの少しずつ、ジェフが押し始めた。
魔力で強化された人狼のパワーがビッグフットを上回ったのだ。
そして、
「オラァァァァァ!!」
ズゥゥゥゥン……。
地面を揺らしながら、ビッグフットが尻餅をつく。
ジェフが三百キロはあるビッグフットの巨体を投げ飛ばしたのだ。
『ブルル……』
ビッグフットが後ずさる。
ビッグフットは、この森の王者は、本能で悟ったのだ。
自分を見下ろす一頭の猛獣が、自分よりも上位の捕食者であることを。
「……逃げる気か?」
ジェフは震えるビッグフットを冷静に見下ろした。
「いいかエテ公。闘いってのはよぉ……ゴングが鳴るまで終わらねえ」
だからよ、とジェフはその鉄槌のような拳を振り上げる。
「ゴングを鳴らしてやる。くたばりな」
打ち下された拳。
それはビッグフットの顔面にめり込み、そのままビッグフットを森の地盤ごと粉砕した。ひび割れ、めくれ上がる地面。
耳をつんざく破砕音が鳴り響き、決着。
「まだまだ、王者を名乗るのは早かったなァ」
ジェフは息を吸い込む。
今一度、森に雄叫びが轟いた。
◆
「ちょっと、いくらなんでも逃げすぎじゃない?」
少し前を先行するチュパカブラに対し、マルスはやや呆れ気味に言った。
とはいえ、言葉が通じるはずもなく。
まだ逃げ続けるチュパカブラを見て、マルスは嘆息した。
「ボクから逃げるなんて無理なのに」
正直に言って、チュパカブラはかなりのスピードで走っている。
並みの機動力では追い縋ることすら叶わず姿を見失い、背後からの一撃で殺されてしまうだろう。
だが、マルスは別だ。
「……よし。誰も見てないし、ゼクスの【感知】からも離れたし、もういっか」
刹那、マルスが神速の動きで剣を振るう。
それと同時、先行するチュパカブラの手足が千切れた。
『ギィィッ!?』
チュパカブラは何が起きたのか理解できないまま、その場に倒れ伏した。
両手両足を失っても尚、もがくチュパカブラの下に、マルスは歩み寄る。
「あーらら。苦しそう」
四肢を失ったのだ。
このまま放っておいても死ぬだろう。
となれば、一思いに命を断つのがせめてもの情け。
だが……マルスは息も絶え絶えのチュパカブラを見下ろすと、凄絶な笑みを浮かべた。
「ジェフがくるまで、遊んじゃおっかな♪」
一分後――
「あー、もう飽きちゃったな」
マルスはぽいと目玉を投げ捨てると、その場を後にした。
そこには大量の血しぶきと、見るも無残な姿になったチュパカブラがいた。
――かつての戦で英雄と呼ばれた男がいた。
男は大勢の敵を殺し、その国を勝利に導いた。
しかし戦後、男は国を滅ぼした。
英雄だと思っていた者に裏切られ、人々は男をこう呼んだ。
反逆の英雄、と。
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