9 乙女の休日 1/2
「はぁ……」
洗濯カゴを抱えたまま人気のない朝の廊下を歩きながら、レベッカはため息を吐く。
窓から覗く空は澄み渡るように晴れていて絶好の洗濯日和にも関わらず、心の中は曇りがかっていた。
夕べ。
食堂の食材を調達している精肉店との定期契約の更新をした帰り、偶然ゼクスの姿を見かけた時、レベッカの心は踊った。
すぐさま駆け寄って声を掛けようとしたが、その隣にいた女性を見た途端、レベッカは慌てて建物の陰に隠れ、そのまま寮に帰宅した。
そして妙な気分のままシャワーを浴びて、ロクに夕飯も食べないまま就寝し、今に至る。
今日は休日。
団員は各々好きなように過ごしているが、自分には寮の仕事がある。
オリヴィアには働きすぎだと言われるが、他の団員達はいつも国のため、街のために命をかけて戦っているのだ。
戦えない自分にできるのはこういう事だから、とレベッカは率先して雑務を行っている。
だから、こうして休日に働いている事自体に不満はない。
ないのだが、
「綺麗な人……だったな」
昨晩、ゼクスの隣にいた女性。
絹糸のような金色の髪、ずば抜けた美貌、抜群のスタイル。
自分のようなただの町娘とは根本的に異なるオーラを放っていて、どちらかというと騎士団の同僚達に近い雰囲気があった。直感だが、彼女はとても腕の立つ人物なのだろう。
遠目に見て、あの二人はお似合いだった。自分が咄嗟に建物の陰に隠れてしまうほどに。
「はぁ……」
またため息。昨日から一体何度目だろう。
どうしてこんなに胸がモヤモヤするのか。
――もしかしてあたし、ゼクスさんの事が……。
ぶんぶんと首を振る。
ないない。
だって二週間前に初めて会ったばかりなのだ。
いくらモンスターに襲われたところを救ってもらったとはいえ、たったそれだけで、なんてちょろすぎる。
――そう、ちょっと働きすぎて疲れただけ。
この身体を包む火照りも、胸を占めるモヤモヤも、全部疲れのせいだ。そうに決まっている。
寮の裏口から外に出て、寮の角を曲がる。井戸はそこにある。
「っ!」
咄嗟に身を隠す。
一瞬、彼の姿が見えた気がしたからだ。
見間違いだろうか。自分の思い込みが生み出した幻影だろうか。
そんな事を思いながらそっと井戸の方を覗いてみる。
やはり見間違いではなく、そこには彼がいた。
この辺りでは珍しい黒い髪に、すらりと高い背。
間違いない。最近騎士団で話題沸騰中の新人、ゼクス・レドナットその人だ。
水浴びをしている青年は、どうやら体調が優れない様子だ。
どうしたのだろう、ともう少し観察しようとしたが、ゼクスがこちらを向きかけたので、レベッカは慌てて建物の陰に身を戻した。
――覗きなんてダメ。イケナイことなんだから。
そう自分に言い聞かせる。
でも……少しだけなら。
自分で自分が嫌になりながら、意を決しもう一度覗く。
髪を洗っているゼクスの肉体は、よく見ると無数の傷が刻まれていた。
少し冷静になったレベッカは、罪悪感に苛まれつつも更にゼクスの身体を観察する。
――筋肉、凄い。
思わずドキドキしてしまう。
大きすぎない程よい筋肉は、筋肉による重さでスピードを殺さない為に意図的に筋肉をつけていないからだ、と騎士団の誰かに聞いた事がある。
「……?」
目を凝らす。
ぼんやりとしか見えないが、ゼクスの背中には大きな痣があった。
それも普通の痣ではなく、不規則なノコギリのようで……まるでそう、稲妻のような。
目を眇めて観察していると、突然背後から声をかけられた。
「何をしているんだ」
「ひゃいっ!?」
思わず飛び上がってしまい、洗濯カゴから衣服が浮く。
なんとかカゴでキャッチしたあと、レベッカは慌てて後ろを振り向く。
そこにいたのは、ラフなシャツ姿のオリヴィアだった。
「だ、団長!? お、おはようごじゃいまっ! まふ!」
「噛みすぎだ。おはよう。何を見ていたんだ?」
「いっいえ、別に何も……っ!」
オリヴィアを制止しようとするも、洗濯カゴが邪魔してままならない。
井戸の方を覗いたオリヴィアが、少しして、レベッカを振り返る。その口元はにやけていた。
「覗きとは意外とムッツリだな、レベッカ」
「ちっ違いますよ! 覗きなんてしてませんから!」
苦し紛れの嘘に、オリヴィアは「そうかそうか」と笑い、ややあって、何かを思いついたように、
「そうだ、レベッカ、今日ゼクスをデートに誘ったらどうだ?」
「でっ……なななな何を言ってるんです!? あ、あたしとゼクスさんはそういう関係じゃありません!」
「別に付き合ってなくたってデートくらいするだろう」
「そ、それはそうかもしれないですけど……私は家事もありますし……」
「そんなのは暇な連中にやらせておけ。いつも言ってるが、レベッカはいつも働きすぎだ」
うぐ、とレベッカは言葉を詰まらせた。
「せめて今日くらいは羽を伸ばしてくるといい。ゼクスのラストンベリー案内も兼ねてな」
そんな風に言われると弱い。
レベッカは息を吐いた。
「……わかりました。ですが、まず心の準備を――」
「おーいゼクス、レベッカが遊びに行きたいって言ってるぞー!」
「ななななな何してるんですか、団長!?」
「いいから来い。ムッツリヘタレ娘」
「誰の事ですか!」
オリヴィアに引きずられるようにして井戸へ。
水浴びを終えたらしいゼクスがタオルで身体を拭きながら、まるで初めからこちらの存在に気づいていた様子で挨拶してきた。
「二人ともおはよう」
「お、おはようございます」
「おはようゼクス。レベッカが街を案内してやるとさ。今日は暇か?」
「だ、団長……」
レベッカは否定する素振りを見せつつ、ゼクスの反応を伺う。
するとゼクスはあっさり「ああ」と頷き、レベッカを見た。
「ちょうどラストンベリーを見て回りたいと思っていたところだったんだ。何時に出かける?」
「え? あ、えっと……」
あまりにすんなり承諾されたので拍子抜けしつつ、レベッカは頭で諸々の支度に掛かる時間などを計算する。
「そ、そうですね……では十時ごろでお願いします」
「オーケイ。じゃあ十時に本部前にいるよ。……そうだオリヴィア、耳に入れて欲しい報告があるんだが……」
ゼクスとオリヴィアが真剣な表情で何か話しているが、レベッカの耳には入らなかった。
ぽうっとした表情で洗濯カゴをぎゅっと抱きしめる。
男の人と二人きりで出かけるなんて初めてだ。
そしてそれが、あの時自分を助けてくれた人となんて。
「……どうしよう」
どくん、どくん、どくん。
胸の高鳴りが、抑えられない。
「お、お待たせしましたっ!」
思ったよりも支度に時間がかかり、十時ギリギリに騎士団本部の前に向かうと既にゼクスがいて、私服姿で門に寄りかかっていた。
ゼクスはレベッカを見て僅かに目を見張った。
「……驚いた。やっぱり綺麗な子が化粧すると敵無しだな」
唐突の褒め言葉に顔が熱くなるのを感じつつ、レベッカは自分の姿を見下ろした。
「普段は私服を着る機会があまりないので、思い切ってスカートとか履いてみたんですけど……へ、変じゃないですか?」
「変じゃない。似合ってる。もっと自分に自信を持てよ、レベッカは可愛いんだから」
可愛い……、と口内で言葉を反芻する。
「行こう。案内は頼むぜ」
「は、はい、任せてくださいっ!」
歩きだすゼクスの横に並び、この一週間にあった出来事なんかを話す。
胸のモヤモヤはとっくに無くなっていた。
午前中、二人は馬車を使ってラストンベリーにある色々な名所を回った。
「ここはアーサー広場。建国者である騎士王アーサーの巨大な銅像が建てられています」
「あれはビッグ・タワー。ラストンベリーで最も高い時計塔です」
「ここは昔使われていた水道橋です。なんと全長500メートルもあるんですよ」
レベッカは自分のうんちくも交えつつラストンベリーを案内し、正午。
二人は人で溢れる大通りにやってきた。
「アヴァロニアで最も盛んな市場、ライカールト通りです。そうそう、今月はこの先の広場にサーカス団がきているらしいですよ」
「サーカスか……そういえば観た事ないな。どうだ、観に行かないか?」
「もちろんいいですよ。でもその前に、昼食にしません? ここの屋台は美味しい物ばかりですよ」
「確かに腹が減ったな。よし、採用だ」
「ふふ、ありがとうございます」
レベッカとゼクスは屋台でフランクフルトなど幾つか屋台飯を購入し、食べ歩きを楽しみ。
そうして昼下がり、ライカールト通りを抜けてサーカス団のテントが敷かれた広場に到着した。
「ようやく抜けたか。凄い人だったな」
「今日は休日ですから。みんな遊びに来ているみたいですね」
「そうだな。ゴミを捨ててくるから、そこに座っててくれ」
離れていくゼクスの後姿を自然と目で追っていたレベッカは、ふと我に返ってベンチに座る。
空を見上げた。青空がどこまでも広がっている。
「……楽しいなぁ……」
久々の遊びというのもあるが、ゼクスといると不思議と心が踊る。
「はぁ……」
両手で頬を挟む。熱い。気候のせいだけじゃない。
レベッカがぼんやりと空を眺めている時だった。
「――ようお嬢ちゃん。一人かい? だったら俺達と遊ばねえか?」
気づけば、ガラの悪い三人の男が自分の周りを囲むように立っていた。
全員下卑た笑みを顔に貼り付けており、ロクな連中でない事は一目瞭然だった。
「……申し訳ありませんが、連れがいますので」
「へへっ、そんな事言うなって」
立ち上がって離れようとすると、男の一人に手首を掴まれた。
「痛っ……離してください!」
抗議するも、男達は動じない。
「結構気が強いな。へへ、俺はこういう女の方が好きだぜ」
「俺もだ。こいつ、見れば見るほど上玉だな」
「ひひ、ひとまずあっちに連れてこうや」
男達が舐め回すような視線で身体を見てくる。
レベッカはぞく、と身の毛がよだつのを感じた。
「っ――」
悲鳴を上げるべく息を吸い込んだ瞬間、
「その辺にしとけ、お前ら」
「っ、ぐあっ!」
戻ってきたゼクスがレベッカの手首を掴んでいた男の腕を捻り、男はうめき声を上げて手を離した。
「っ、ゼクスさん!」
「遅くなってすまない。意外とゴミ箱が遠かった。にしても……」
ゼクスが男達を見る。
「平和なラストンベリーにもこの手の輩はいるんだな」
「なんだぁ? てめえ。舐めてんのか?」
「それはこっちの台詞だ」
ゼクスが鋭い眼光を向けると、男達は目に見えてたじろいだ。
ゼクスの身体から僅かだが魔力が漏れている。
「くそっ……行くぞ、お前ら」
ゼクスが只者でない事を察したようで、男達は悪態をつきながら去っていった。
「喧嘩にならなくてよかった。レベッカ、怪我はないか?」
「は、はい……」
心配してくれるゼクスに見惚れていたレベッカだったが、慌てて頭を下げる。
「助けていただいてありがとうございます! あたしに力がないばかりにご迷惑をかけてしまって……」
「オレ達は仲間だ、助け合うのは当然だろ?」
ゼクスが頭を撫でてくる。
その力強くも優しい手つきに、胸が疼いた。
「ゼクスさん……くすぐったいです」
本音としてはもっと撫でて欲しかったが恥ずかしいのでそう言うと、ゼクスは「おっと悪いな」と手を離した。
「……」
「レベッカ? 顔が真っ赤だが大丈夫か? やっぱり手が痛むのか?」
「……大丈夫です」
「ならいいが。そんじゃまぁ、気を取り直してサーカスでも観るか」
いつもと変わらない飄々とした態度で笑うゼクス。
レベッカは誰にも聞こえない声で、大丈夫じゃないです、と呟いた。
「面白かった」
「レベッカ可愛い」
そう思っていただけた方は、下の☆☆☆☆☆ で高評価をしていただけると、大変励みになります。
もしよければブクマや感想もいただけると、とても嬉しいです。




