◆8 - 大防壁
「―――もうすぐ人の住んでる街が見えてくるよ」
23区から武蔵野方面へ向かって走行するトラックの車内で、ミソノはフードに言う。
軽快なミソノの声に対して、フードは俯いて沈んだまま一言も発さない。
思いのほか、女学生たちの遺体が消えた事のショックが大きかった。
回収する手間や理由を考えたら、あれは最初から無かった幻だと考えるのが妥当だ。
記憶だけでなく、目覚めて以降の認識力も曖昧な自分をとうとう信じられなくなった。
今見ている光景や、ミソノ達ですら、幻覚なのではないか。あまりにも現実離れした状況の連続で、フードは疑心暗鬼に陥っている。
そんなフードの身を、隣でミソノは案じていた。
ミソノ自身はフードの言葉を偽りだとは思っていない。その反応や言動は、嘘と言うにはあまりにも真に迫るものがあった。
しかし、あの現場には女子高生たちの遺体などどこにもなく、その血痕の一滴ですら見つける事はできなかった。
フードが語るように、全身を濡らすような流血があればその痕跡は地面に残るはずだ。
そして一番問題なのはフードの身体だ。彼女の体には、血の一滴だって付いてはいない。
確かに雨のせいで全身が濡れているが、それで洗い流せるものなのだろうか。
ミソノはフードが虚偽の申告をしたのではなく、本当に在った事だと思い込んでしまっているのだろうと考えた。その理由までは分からないが、そんなフードが危なっかしいと感じた。
「……ほら、フーちゃん見てみなよ。あれ、めっちゃヤバいでしょ!」
フードの気を紛らわせてやろうとできる限り明るく振舞って、ミソノはフードの肩をゆすって正面を指さす。
「―――うわっ、何あれ」
顔を上げた瞬間、目に入ってきた光景にフードは口を開いたまま硬直した。
それは、街の中にそびえ立つ壁だった。どんな建物よりも高く、天まで届くような漆黒の防壁。それが視界の端から端まで続いている。
「はははっ、SFみたいですげえだろう。あれは23区と市部を隔てている防御壁でな。東京の端から端まで伸びてるんだ」
ロゴスが荷台から壁の説明をしてくれる。しかしそう言われたところで、フードには受け入れられない。今日見た中で一番現実離れした光景だ。
「あんなの、何のために造ったの? っていうか、本当に人が造ったのアレ? 障壁とか怪物みたいに突然現れたとかじゃなくて?」
「まあ、その気持ちは分かるが、俺らは実際造っている工程も見てるからな」
戸惑うフードに、ロゴスがそう返す。ミソノもそれに頷いた。
「大隔離の後に色々やって、すっごい権力を手に入れたニイジマって企業があってね。そこが主導であの壁を建設したんだ。23区は一部が『異界化』って現象でおかしな事になってて、そこからアンライフたちが現れるから、安全に暮らせるように防壁で塞いじゃったんだ」
ミソノの説明に頷きながら、フードは質問を重ねる。
「アンライフって?」
「街に居た怪物たちの総称。機械っぽい見た目だから、アンライフって誰かが呼び始めたんだ」
「なるほど。"生きていないもの"って訳か」
荷台から、ロゴスが補足を入れる。
「あの防壁に使われている金属は、実はアンライフどもの装甲を再利用した物なんだぜ。普通の金属よりも頑丈なんだと」
「ああ。どおりで。おかしいと思ったんだ。外から物資を持ってこれないのに、どうやってあんなの造ったんだろうって。でも、あれだけの金属ってなると相当でしょう? 結構殺したんじゃないの?」
「大隔離直後に大軍で押し寄せてきた事があってな。あれはその名残みたいなもんだ。敵の死骸で壁を造り、第二の大軍襲来があっても良い様に備えたんだ。だから、あの壁自体を嫌う奴っていうのもそれなりに居る。辛い記憶の象徴みたいなもんだからな。とはいえ、それだけ殺しても未だにアンライフどもはどこからか現れる。永遠に終わらない戦いを、都民は強いられ続けてるのさ」
どこかうんざりといった雰囲気で、ロゴスは言った。
ミソノもロゴスも陽気に振舞っているが、それは過酷な状況を生き抜いてきた強かさの表れなのだろうと、フードは再認識する。
「―――ああ、そう言や、俺のこの武器もアンライフ装甲のリサイクル品なんだぜ」
ロゴスはそう言ってハンマーを肩に担ぐ。やたらとメカニカルな装甲を纏った外見だが、ロゴスの使い方を見るにただのハンマーなのだろう。
「連中には俺たちの武器が効き難いからな。それなら連中の武器をこっちも使ってやろうって訳だ。今時冒険者はみんなそうさ」
「じゃあ、やたらと強いこのバールも?」
フードはバールをロゴスに見せて尋ねる。これもまた、アンライフの装甲を砕く様な代物だ。
しかし、ロゴスは素っ気なく否定する。
「いや、それは普通のバールだろう。大隔離後はリサイクル志向に世間が一気になったからな。今だって普通に金属製品くらいは売ってるよ。アンライフの装甲は滅茶苦茶高価なんだ。そんな物には使わんだろう」
「……ふーん、そっか」
ロゴスの回答にあまり納得がいかなかったが、事情通がそう言うのならフードには何も言えなかった。
「ふぅ、よーやく帰ってこれた。ここが私たちの街だよ、フーちゃん!」
ミソノの言葉に引かれて、フードは視線を前に戻す。瞬間、目に飛び込んできた光景にフードは感嘆の声を漏らす。
「おおっ、すごいね」
そこに在ったのは、人でにぎわう商店街だった。道路も建物も相変わらず荒れているが、通りの両脇を埋め尽くす露店と、買い物に興じる人々の活気がそれを気にさせない。
これまで荒廃した風景ばかりを目にしてきたフードにとって、人が生活を営んでいる光景は、それだけで感動できるものだった。