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オレンジ・ビーチ  作者: 恵梨奈孝彦
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淫夢

バレンタインデーの翌日である。

 エリカは、恭輔に音楽室へ呼び出されていた。

 引き戸を開けて入っていくと、恭輔と机を挟んで座っていた高橋が、ギョッとしたような顔をした。

「遅かったな、エリカ」

 あたしだって待たされたんだ。たまには待たせてもいいだろう。

 しかし、恭輔と高橋を二人きりにさせたのは失敗だった。

「藤原先輩、その姿は…」

「寒いわね…」

 高橋を無視して恭輔に言った。

「あたしをこんな格好にさせて呼び出すなんて、どういうつもり?」

 エリカは恭輔をにらみつけた。

 昨日の夜、いきなりメールが来た。

「明日の放課後、ブルマ―と体操着姿で音楽室に来い」

無論高校生である。体育の時間にもハーフパンツを使っている。ふだんブルマ―など履くことはない。

 止むを得ず中学生のころ使っていたブルマ―を引っ張り出して履いてきた。

 むろんあのころと体格は大きく変わった。太ももからふくらはぎまでの白い肌が外気にむき出しになっている。

「おしおきだ、エリカ」

 そっぽを向いてやった。

「あたし、おしおきされる覚えなんかないんだけど」

「おまえ、高橋を脅したそうだな」

 バレンタインの前の日に、この高橋真奈美が言ってきた。

「先輩は新条くんとおつき合いをしてるんですか?」

 照れくささのあまり、ついこう答えてしまった。

「あいつとは何でもないわよ」

 そして昨日、高橋は恭輔に告白して失恋した。

 許せない。

 昨日の放課後、傷心の高橋を呼び出して思いつく限りの言葉で罵倒した。

「バカな後輩に、ひとの男に手を出したらどうなるかを教えてあげただけよ」

「なぜ初めからそう言わなかったんだ」

「さて、ね…」

「まあ、そんなことはどうでもいい。高橋に謝れ」

「いやっ!」

「謝れ!」

「絶対いやっ!」

「本当におしおきされたいのか」

「こいつに謝るよりましよ!」

 高橋がほったらかしにされてオロオロしている。

「そうか。ならここに来い」

 恭輔が椅子の上の自分の腿を指した。

「フン」

 鼻を鳴らしてその上にうつぶせになった。今、恭輔の眼には自分の太ももの裏から膝の裏、はぎのふくらみまであらわになっているはずだ。数年前でさえピッタリだったブルマ―に、近年特に大きくなったお尻を包み込むことなどできず、わずかに尻の割れ目が露出しているのをさっき確認した。

「もう一度聞くぞ。謝る気は…」

「ないっ!」

 バッシーン!

「痛いっ!」

 薄い布ごしに恭輔の大きな手(大きいが、彼の指は長く椎爪をしていて、とてもきれいだ)が振り下ろされた。お尻にひりひりした痛みが走る。

「謝るか?」

「いやっ!」

 バッシーン!

「ああ…」

 何回も何回もお尻を叩かれた。いつの間にか子供のように泣いていた。

「きょうすけぇ…、いたいよう…、もうゆるしてよう…、エリカはいい子になる…、いい子になるからあ…」

「高橋に謝るか?」

「あ、あやまるから…。今はお尻をさわらないでえ」

 お尻に恭輔の手がやさしくのせられる。

「ひっ…」

 痛みのあまり、うつぶせのまま3センチくらい飛び上がった。

「エリカ、謝れ」

「わ、わかった…。高橋さん、ごめんなさい。ごめんなさいよう…」

 小さな子どものように泣きじゃくった。

これで終わりである。しかしエリカは、自分の腹の下の、恭輔の体の変化に気づいていた。このままでは自分はどくことができない。しかし自分がここにいる限り、同じことだろう。

「お、おんぶ…」

「ああ、わかった、わかった」

 エリカが膝の上からすべりおりると同時に、恭輔がしゃがんだ。胸を精いっぱいおしつけながら恭輔の背中に抱きついた。恭輔が立つ。これなら前かがみになっていても不自然ではない。

「女子更衣室の前まで行け!」

 今の状態のまま、女子がたくさんいる廊下を通り抜けさせてやる。

 なにしろあたしは、年下の女の子の前で、年下の男の子に、子供みたいなおしおきをされて、子供みたいに泣かされたんだ。世の中に、あたしよりも屈辱的な目に遭わされた女が…、

 いた。

 高橋が鬼のような目をしてこちらをにらんでいる。

 彼女にしたら、好きな男の子がすぐそばにいる自分に目もくれずに、他の女を押し倒したようなものだろう。

 ニヤリと笑うことができた。

 背負われたまま、思い切りあかんべえをしてやった。

 …目が覚めた。


 ぼんやり目を開けると、車のシートの背もたれと、大人の恭輔の短く刈った後頭部が見えた。

 読者の混乱を避けるために、また新条恭輔の名誉のために作者が口を挟むが、生徒会室であったことは全て事実である。しかし音楽室でのエピソードはすべて、エリカが車の中で居眠りをした夢にすぎない。

 エリカは恭輔に、尻どころか手をさわられたことさえなかった。


「起きたか」

 恭輔が振り返って言った。

「う、ごめん…」

 昨夜ほとんど寝られなかったため、いつの間にか眠っていた。

「いい。なるべく体力を温存しろ」

 軽装甲機動車、通称ラヴ。ライト・アーマーと呼ぶ人もいる。Light Armoured Vehicleの略で、12.7ミリ機銃の直撃に耐える前面装甲を持ちながら、行動距離500キロ、最高速度100キロを叩き出す。不整地走行にすぐれ、しかもエアコンまでついている!

 とは、いまハンドルを握っている田中祐一三等陸曹の言である。

 お調子者っぽいが、悪い男ではなさそうだ。

 それよりも気に入らないのは、隣に高橋が座っていることだ。

 恭輔は前で指示を出さなければならないのだから助手席に座っていることはいい。

 安全を考えれば、自分が後部座席に座らされるのもわかる。

 恭輔の真後ろに座っているため、彼の後頭部しか見えないのも仕方がない。

 しかし、隣に高橋がいるのは不愉快だ。

 昨夜、「恭輔といっしょじゃなければここを動かない」とだだをこねた。

 一方望月たちも、「この男といっしょには行動できない」と言い張った。

 「中隊を二個分隊に分ける。第一分隊はおれが直卒する。任務は藤原医師の護衛だ。第二分隊は石井二尉が率いて、その他の邦人を宿営地まで送れ」というのが、恭輔の出した結論だった。

 望月は、恭輔たちが完全な別行動を取ることを要求した。

 恭輔は結局、軽装甲機動車一台と、部下二人だけを引き抜き、エリカ一人を護送することになったのである。

 確かにエアコンはよく効いているのだが、軍用車両だけあって乗り心地は決してよくない。

 しかも、全面装甲されているだけあって、狭い。

 ときどき高橋の体に触れなければならないのがいやだ。

 それにしても、お尻が痛い。

 この痛みが伝わって、あんな夢を見たんだろう。

 「夢は全て願望充足をあらわす」という者もいるが、フロイト派の精神分析学者だけだ。

 だいたい、フロイト自身は医者でも、「精神分析学」は科学ではない。

 演繹的な方法、つまり決して科学的とはいえない方法によって組み上げられているからだ。

 自分は外科医であるが、精神科医が心理学者を馬鹿にするのも当然だろう。

 決してあの夢は、自分の欲求不満をあらわしているのではない!

 …はずかしい。

 なんていやらしい夢を見ているんだ!

 なにが「おしおき」だ。あたしはこいつに支配されたがっているのか!

 昨日「だまっておれについて来い」と言われて赤面したことを思い出した。

 きっと、そんな意味じゃないのに…。

 エリカは、母親に反抗して家を出た。

 しかし、母親からの影響はしっかりと彼女の中に残っている。

 どんな育て方をされようと、親のことをどう思っていようと、子供は親と同じことをするものらしい。

彼女の母親がそうだったように、エリカは自分をフェミニストだと自覚している。

あたしはこいつに支配されたりしない。逆に支配してやる。

むろんエリカは、母親から教えられた「命を守る者」としての義務についても自覚している。

だからこそキャンプで、あの黄色いシャツを着た少女の診察を優先した。

……それにしてもはしたない夢を見た。

ピチピチブルマーって、今では中学生だってはかないだろう。

いや、男ははしたない女の方がいいのかもしれない。

少なくとも(夢の中の)恭輔はそうだった。

しかし、それ以上に気がかりなことが二つあった。

「そんなことより、聞きたいことがあるんだけど」

 よほど深刻な声を出していたらしい。ふりかえった恭輔が真顔になった。


 あの時、赤ちゃんを殺そうとしていたの?


「…あんた、高校生のころ、女の子から告白されたことがある?」

 全く違うことを聞いてしまった。

 恭輔はまず拍子抜けした表情をし、次に呆れた顔をした。

「何だよ、それ…」

「言いなさい! バレンタインとか何とか、告白されたことはあるの!」

 あの夢の中では恭輔は自分の彼氏だったが、現実には互いに告白するということがなかった。連絡先は交換していたし、たまに二人で会うこともあったが、彼氏彼女という肩書にならないままエリカは卒業した。だからこそ、高校を卒業して六年後、改めて「会いたい」と連絡があったと聞いたとき、告白だと直感したのだ。

「ねえよ。おまえこそ告白されてたみたいじゃねえか。ひどいフリ方をしたって聞いたぜ」

「なんでそんなこと言うの…」

「は?」

「なんで、そんなこと言うのよ!」

 高校生のころ、一度だけ告白されたことがある。

 エリカは、もう顔も忘れた男の子を、あの勇気をふりしぼって自分に声をかけてきた男の子を、容赦なく嘲弄し、笑い飛ばした。

 彼が泣き出すと、さらにひどい言葉を浴びせた。

 あの時の自分の言葉を、二度と思い出したくない。

 なぜあんなことをしたのか。

 恭輔の耳に届かせるためだった。

 「自分はあなた以外の告白を受ける気はない」という恭輔へのアピールだった。

 いつまでも自分に告白してこない恭輔へのいらだちも含まれていた。

「あたしが大学を卒業間近のころ、あんたが『会いたい』ってメールをくれたとき、あたしの携帯からどんな返事が来たか覚えてる?」

「忘れた」

 ウソだ! 覚えているに決まっている。

「あのメールを打ったのは、あたしじゃなくてあたしの母親なんだよ」

「…そうか」

 あのあと、自分は恭輔を追いかけなかった。

 たとえ恭輔が任務で海外に行ったとしても、がむしゃらに追いかけようとすればできたはずなのに、やらなかった。誤解を解こうとはしなかった。

 恭輔が自らを傷つけながら自分を救っているのではないかということに気づいてしまったからだ。

 それは…、しかたがないことではある。初めて話した時から、自分はあまりにも余裕がなかった。恭輔の気持ちを思いやることなどできなかった。

「買いかぶりだ。おれはやりたいことをやっただけだ。学校で評判の美人会長に近づきたかっただけだ」

「だれかを傷つければ自分が痛い。あんたが傷つけばあたしが痛い。心が痛い。ぎりぎり痛い!」


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