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オレンジ・ビーチ  作者: 恵梨奈孝彦
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エリカ誕生

 一瞬ポカンとしてしまった。

少年がいきなり乱暴な言葉づかいをしたからではない。

あたしには見えるはずがない?

混乱する貴子にかまわず、男は言葉を続ける。


「やっと最初の問題に帰ってきたか。バカ女め、手間かけさせやがって。さっき言ったとおり、なんとなく考えてしまったとか、軍人の孫に生まれて育ったとか、そんなものに責任なんか取りようがない。おまえが誰に何を言われたか知らんが、『取りようのない責任を負え』なんて言う奴を信用するべきじゃない。確かにおれには幽霊がいるかいないかなんかはわからん。だけどいるんなら、自分に害を与えた奴のところに出るだろう。いないんならそいつを見てしまうのは、自分は祟られてもおかしくないっていう後ろめたさがある奴だけだ。その地元の人がなぜおまえに塩をかけてくれたかわかるか? おまえにそんなものを見てほしくないからだ。だから絶対に見えるはずがないんだ……」

 男が貴子に指をつきつけてどなった。


「おまえにはな!」


「だけどあたしは罪でできている! 多くの血と犠牲によってつくられている!」

「ふざけるんじゃねえ…。そんなものに人間が作れるか! おれもおまえも、おまえのじいさんも同じだ…」

男は、にやりと笑って言った。


「人間はすべて、恋によって作られている」


 人間は恋によって作られる…。この言葉を反芻した。

「だけど…、あたしの両親はもう…」

 男がたたみかけるように言う。

「試験やスポーツの試合なら、いつが最後かは他人が決めてくれる。だけど恋と戦争は、自分で終わらせなければならない。その恋はもう、どこにもないかもしれない。それでもおまえが生まれたとき、たしかにあったことは間違いない」

 だけど…、そう言われても…、自分はこれからも死ぬ妄想に苦しめられるのではないか。

 裁断機を見れば、頸を切るのではないかと。

 ロープを見れば、首を吊るのではないかと。

 刃物を見れば、頸動脈を切


「そんなことはできない」


「え?」

「おれが生きているかぎり、おまえは死ぬことができない! おまえがどこで何をしていようが、おれが必ず邪魔してやる!」

 

 このことがあってからも、貴子の軍人への偏見がなくなったわけではない。しかし彼女はこのとき、自分を数か月苦しめていた不安と焦燥が、完全に消えていることに気がついた。

 父方の祖父に対する気持ちも変わった。貴子はもともと、自分の「藤原」という姓が好きではない。母親に対する屈折した気持ちからだろうか。しかし父方の姓は「江尻」である。貴子はちょっとした肉体上のコンプレックスもあり、「尻」という字が名前に入っているのはいやだった。

 さらに母親がつけた「貴子」という名前も、「貴族」への憧れが滲み出ているようで好きではない。

江尻(えじり)貴子(たかこ)…」

 なんとなくつぶやいた言葉を男は聞き逃さなかったのだろう。

 男が、今度はにっこりと笑って言った。


「エリカ!」


 不覚にも動悸が収まらない。こんな年下の男の子に、何をときめいているんだ、あたしは!

 男は少年にもどって深々と頭を下げた。

「会長、失礼なことばかり言って申し訳ありませんでした」

 動悸がおさまらないが、ぬけぬけとこんなことを言う少年に腹が立った。

「あんた、名前は?」

「新条恭輔と言います」

「たしかに失礼だわね…」

「タカコ…」

 百合江があきれたようにこちらを見ている。知るか。

「恭輔!」

「はい」

 どさくさにまぎれて下の名前を呼び捨てにしてやった。

「さっきあたしのこと『バカ女』って言ったわね…」

「すみませんでした…」

「あたしって、そんなにバカっぽく見える?」

「いえ、うちの学校始まって以来の秀才だという噂は前から…」

「あんたには、罰が必要ね!」

 もっとも、「他人に腹を立てる」ということ自体、数分前の、吐き気を催すほどの罪悪感に苛まれているころには、あり得ないことだったのだが。

「どうしてくれようか…」

「どんな罰でも受ける覚悟はあります」

 姿勢を低くして、上目遣いに恭輔の顔をねめつけた。自分の頬が緩んでいるのがわかった。

「本当?」

「はいっ!」

 今度はこちらが指をつきつけてやった。

「あたしのことは、これからずっと、『エリカ』って呼びなさい!」

 これは、「エリカ」が父方の姓をもじったものだからというより、恭輔につけられた名前だということの方が大きい。

 そこで作者も登場人物の意志を汲んで、以後貴子のことを「エリカ」と呼ぶことにする。

「は…、エリカ先輩」

「敬語は禁止! ちゃんと呼び捨てにしろ!」

「いやあの…」

「はやく!」

「わかりました。いや、わかった…、エリカ!」

 女子とはいえ三年生の生徒会長を呼び捨てにするのは、「学校」という閉鎖社会に暮らす新入生にとってはきついことだったのかもしれない。もっとも卒業まで、恭輔がそれで苦労しているという話を、エリカは聞いたことがなかった。


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