ライトアーマー
これを書いていた時は、軽装甲機動車が、マニュアルだと信じてました…。
民兵が出口の中央に立ち、RPGを構える。かまわずトップギアのままアクセルを踏み込んだ。このままいけば車はRPGに貫通されて炎上、中の人間は蒸し焼きだ。しかし燃え上がったラブは慣性によって直進、あいつを轢き殺すだろう。
「田中ぁ、あいつが『日本軍』に特攻かけられるかどうか、見てやろうぜ!」
あと2秒で出口というところで、赤いシャツを着た民兵が壁の向こうに退いた。ラブはそのまま路地から飛び出した。
少し広い通りに出た。建物に夾まれた状況が終了し、装甲に銃弾が当たる音が止んだ。
田中が(恭輔もそうだが)ラブを民兵に向かって直進させたのは、ただの希望的観測による行動でもなければ、自暴自棄でもない。
さっき大通りで民兵はRPGを、全て(・・)ラブ(・・)に(・)向かって(・・・・)撃ってきた。
田中はそれをことごとくかわしてみせたが、しかし彼の技術でもどうにもできないやり方が民兵側にはあった。
大通りに全員でラブの幅より狭い間隔に並んで立ち、同時にRPGを発射するのだ。
弾幕射撃である。
こうすれば田中がどんな機動を取っても、絶対にどれかのミサイルが当たることになる。ラブは所詮軽装甲機動車なのだ。空中の軍用ヘリを撃墜する能力があり、対戦車ロケットとしてさえ使われるRPGなど一発もらえばおしまいだ。
無論彼らにもそんなことはわかっているだろう。
しかし民兵はこの方法はとらず、個人でバラバラにラブに向かって撃ってきた。
なぜか。
弾幕射撃とは、当たらないタマがあるのを承知で敵の逃げ場をふさぐやり方だ。したがって当たったタマを撃った者も、当たらないタマを撃った者も、上官から見たら同価値である。
軍隊だけではない。近代組織とはすべて「任務の束」である。個々が任務を遂行することによって作戦目的、たとえば「敵車両を破壊する」という全体の目的が達成される。そしてひとりの任務は自分の担当正面に向かって撃つことであって、結果として敵に当たっても当たらなくても、彼の評価には関係がない。
この国の民兵のリーダーのことを「山賊のお頭みたいなものだ」と言っていた者がいたが、田中の感覚では「戦国大名みたいなもの」だ。
それも、信長以前の大名である。
信長や秀吉の軍隊では「抜け駆けの功名」など認められない。しかし信長以前には、手柄を立てた者だけに恩賞が与えられたため、大将の制止を振り切って突入していく武士たちがいた。
つまりこの民兵たちは、「自分の撃ったタマが当たらなくても敵の逃げ場をふさげばいい」などと考えていない。自分が撃ったタマが当たらなければ自分の手柄にはならない。手柄を立てなければ自分は何ももらえない。つまり戦う意味がない。だから全員が同じ標的を撃つのだ。
だから昨夜の倉庫で、そして廃屋で、あっさりと抵抗するのをやめた。
数が違いすぎる。手柄など立てようがない。彼らに、敵わぬまでも最後まで抵抗するという文化はない。たとえ全滅しても、少しでも敵の兵力を削り、後に控えた味方を助けるという価値観はない。
この価値観が最も旺盛だったのが日本軍だ。そしてこの価値観のために多くの人が死んだことは、エリカが指摘した通りである。
一方部族社会と言われながら、この国の民兵が戦うのは各個人ひとりひとりまで自分のためだ。しかし「特攻」は、自分を犠牲にしてでも敵を滅ぼすやり方だ。「民族」なり「国家」なり「地域」なり「宗教」なり、自分以外のもののために戦う者でなければ取りえない戦術なのだ。
どちらがいいとか悪いとか、正しいとか正しくないとか、そういうことではなく両者は全く別の文化なのである。
そうは言っても、戦国前期と同じというのは、ずいぶん古くさい文化であるが。
あの赤いシャツの民兵は、自分の姿を見てラブが急停止すると思ったのだろう。そこにRPGを撃ち込めば自分の手柄だ。しかし突っ込んできた。たとえ敵を撃破しても自分が死んだら何にもならない。すぐに離脱した。
「田中! 左折しろ!」
「レインジャー!」
このまま直進しても海岸には出られない。思い切り左にハンドルを切った。
あの大通りにもどるのは危険すぎる。小路を縫うように走るしかない。狭い路地を見つけてとびこんだ。フルスピードで走る。ここを抜けて、海岸に…。
いきなり路地の出口にドラム缶が転がってきた。
バリケードだ! 思い切りペダルを踏み込んでクラッチを切る。シフトレバーをトップからローに直接ぶちこむ。クラッチをつなぐ。ガクッという勢いでエンジンブレーキが効く。車体も中の人間も思い切りつんのめった。同時にクラッチとブレーキを踏み込んだ。ラブのボンネットはドラム缶数センチ手前で停止していた。フロントガラスいっぱいに横になった赤さびの金属が映っている。
「後退!」
一尉の号令の前にクラッチを踏み込んでいた。レバーをリアに放り込む。もう一度クラッチを上げる。
「レインジャー!」
エンジン音が低くなる。タコメーターの針が下がる。クラッチがつながっているのは間違いない。しかしいくらアクセルを踏んでも、車体はピクリとも動かない。この程度の荒っぽい扱われかたで故障するようなクルマではない。
バリケードはドラム缶だけじゃなくて、地面にオイルか何か撒かれたのか…。一尉がこちらに背を向けた。
「どうするんです!」
「外に出て前から押す!」
「待って下さい!」
その時、ハンドルに、アクセルペダルに、ごく自然な手応えが伝わってきた。
グリップした!
「走れ! ライトアーマー!」
バックギアが許すかぎりのスピードで、ラブは一直線に後退する。
腰を回転させて上半身を進行方向に向ける。100メートルくらい、小路の向こうの出口まで半分くらい進んだとき、出口を覆うように、軽トラックが横付けしたのが見えた。鈴木とうふ店だ。荷台に重機が載せられている。銃口がこちらを向いた。真奈美が叫ぶ。
「6時の方向、12.7ミリ機銃が一丁! 攻撃機動!」
カラシニコフの土砂降り射撃に耐え続けたラブだが、重機ではそうはいかない。前面装甲ならともかく、背面にあんなものをぶちこまれたら、ラブといえどもただではすまない。12.7ミリということは、一個ずつのタマの長さではなく直径が、一センチ以上あるということだ。すぐに破られることはないにしても、長くは保たない。しかし今はバックし続けるしかない。真奈美がとんでもないことを叫んだ。
「銃座についてRPGを撃ちます!」
たしかに鹵獲品のそれが、汎用ロケットランチャーが積んである。しかし銃座につけば上半身は直接敵に晒される。しかもラブの中は狭いため、四人とも防弾ベストはおろかヘルメットさえつけていない。一尉が叫んだ。
「よせ! 危険だ!」
鈴木とうふ店の機銃が火を噴いた。ごつい弾帯が蛇のように車体の外にまでうねっている。金色の大蛇が振動とともに長い銃身に飲み込まれていくのが見える。空薬莢がきれいな半円を描いて飛び出す。カラシニコフの土砂降りみたいな音とは違い、ハンマーでぶっ叩かれたような衝撃が間断なく伝わってくる。いきなり衝撃がやんだ。
ジャミングだ…。
カラシニコフには滅多に起きない現象だ。銃器もまた機械である以上、整備しなければかならず故障する。銃というものはそんなに複雑なシステムではない。火薬の入った薬莢を撃針で叩いて爆発させ、長い銃身を通してタマを前に飛ばす。それだけである。
しかし、火薬を爆発させれば必ず機関にススやゴミがつく。これが故障の原因になる。つまり、撃ったら必ず分解して掃除しなければならない。
しかしタマが行き交う戦場で、じっくり分解している余裕などめったにない。カラシニコフという突撃銃は、極力それをせずにすむように設計された。
銃器に限らず機械は全て部品が組み合わさってできている。そして部品と部品が隙間なく、キッチリ組んであればあるほど精巧な動きをする。そして故障しやすくなる。
その点カラシニコフは、まるっきりスカスカなのだ。無論命中精度は落ちる。しかし相手が見える距離で殺し合いをしなければならない歩兵にとって、必要なのは精度の高い機械ではなく、引き金をひけば確実にタマが出る鉄砲なのだ。
それはそれでいい。しかしあの民兵たちはカラシニコフの頑丈さに慣れてしまったのだろう。重機関銃も同じだと考えていたらたちまち故障する。
こちらにとっては好都合だ。このままバックして軽トラを押し、道の外に出る。
可能か…? 軽トラといえどもタイヤが進行させたい方向の横を向いている。文字通りの「横車」だ。摩擦が大きすぎる。
「今だ! 銃座につきます!」
真奈美がまた叫んだ。
「危険だ! やめろ!」
一尉が上半身をねじって手を伸ばしている。しかし狭いラブといえども、座席を挟んで動きを封じるのは無理のようだ。
真奈美が、抱えていた藤原医師をつきとばした。一尉が叫ぶ。
「エリカ! おまえが止めろ!」
「えっ、えっ、えっ、えっ…」
いきなり突き飛ばされた藤原は、突然の命令にただキョロキョロしている。
何なんだこの女は!
いくらただの民間人だと言っても、おまえ医者だろう!
もうちょっと冷静になれないのか!
真奈美がこんなことを言い出したのはおまえのせいだろう!
もう少しこいつに気を使ってくれれば…。
何が反差別だ! この職業差別者のレイシストめ!
真奈美がRPGを取り出して天井のハッチを開けた。
「真奈美! よせ!」
思わず叫んでしまった。
「あんたに命令される筋合いはない!」
真奈美は藤原が言いそうな子どもっぽいセリフを叫ぶと、座席の上に立った。藤原がその隣で縮こまっている。止めてくれよ!
今、真奈美の上半身と敵との間をさえぎるものは何もない。
今はただ、無事にすむように祈るしかない。
プシュッという発射音と、シュルシュル…という飛行音が開いたハッチから聞こえる。場面の重さに対していやに軽い音だ。
この距離で外れるわけがない。
爆発音がした。真奈美の体の向こうにリアガラスを通して、軽トラが炎上するのが見える。
その時、銃声ではない、タマが空気を切り裂く音が聞こえた。
いきなり高橋の体が振ってきた。エリカは両手でそれを受け止めた。血まみれだ。恭輔が叫ぶ。
「建物の上から狙撃された!」
陸上戦においては、上空にいる者が絶対的に有利だ。
「たぶんカラシニコフだろう。それだけですぐに死ぬことはまずない! エリカ! どんな具合だ!」
エリカはこんなことを聞かされたことがあった。
カラシニコフは歩兵同士の戦闘のために開発された。軍用小銃は、撃った相手が確実に死ぬことを求められていない。味方が撃たれて死んだら死体をそこに置いていけばいいが、重傷者が出たらそうはいかない。野戦病院まで引きずっていかなければならない。それには二人の健康な兵士が必要だ。つまり一人死ねば一人無力にできるだけだが、一人に重傷を負わせれば三人無力化できる。だから歩兵用のライフルに大口径の銃は使われない、と。
エリカはこれを聞いたとき、軍人ってなんて残酷なんだろうと思った。
これが高橋にとっていい結果になるだろうか。
「エリカ! 高橋はどうだ!」
「頸動脈を切られてるわ! 出血がひどい! 傷口が首じゃなければ縛って止血することも可能だけど、撃たれた位置が悪すぎる。だけど15分以内に手術室に運べれば…」
「結論から言え! 助かるのか!」
エリカは恭輔の顔を見てはっきりと首を振った。手術室どころかメスの一本もない。医者だろう何だろうが、道具がなければ何もできない。医師としてのエリカに可能なことは、高橋がもうすぐ死ぬことを理解することだけだ。
何か叫び声が聞こえた。後ろをふり返ると炎上した軽トラの向こうに民兵、銃を手にした男たち女たち子どもたちが、喚声を上げながらこちらに走ってくるのがガラス越しに見える。
「ライトアーマー放棄! エリカ! 車の外に出ろ! 田中! 89式をかせ!」
「だけど…」
「いたい、いたい、いたい…。くるしい…」。
高橋が小さな声をあげつづけている。
「田中! 何をしてもいいからエリカを外にひっぱり出せ!」
田中は運転席から出ると、後部座席にまわってドアを乱暴に開けた。思わず身をすくませた。田中がエリカの髪をつかんでぐいぐいひっぱる。たまらなく痛い。この田中の態度には「八つ当たり」のようなものを感じる。その時「いたい…」という高橋の弱々しい声が聞こえた。思わず手を離した。そのまま外に出されてしまった。田中に乱暴に腕をつかまれ、ドラム缶に向かって走った。確かに車では無理でも、人間なら簡単に越えられるだろう…